新潟県中越沖地震[第13報]

皆様
浦野です。お疲れ様です。
29日まで現地で活動されていた宇田川氏より報告が届きましたのでお知らせ致しま
す。また、現在は神奈川・加納氏が引き継いでおり、(8月1日まで)本日からRS
Y・松田が再び現地入りします。(8月2日まで)
尚、スタッフの引継ぎ等の関係で、活動報告が遅れましたことを深くお詫び致しま
す。


[7月29日現在の報告]
■避難所内での活動
・トイレットペーパーが切れているという事を、入居されている方がボランティアに
頼むという場面があり、避難所で活動したボランティア側から、時期的に見て「被災
者の主体性」について疑問の声が上がっていた。
・仮設の建設は急ピッチで進んでおり、2週間もすれば引っ越しとなりそうである。
・ここの避難所は自治会単位で入っている訳ではないそうなので避難所での自治活動
が生まれにくく、避難所リーダーがいない。
・全体の雰囲気を盛り上げるために、子どもによるボランティアチーム「ピカピカ
隊」の活動として、ボラセンスローガン『すべては被災者のために』を、刈羽中学校
の生徒に横断幕に書いてもらった。
・また、一般ボランティアと協働で、寝床と食事する場所が一緒という状態を少しで
も改善するために、廃段ボールを利用して、手作りのお膳を作ってもらった。夕食時
には早くも活用している方もあった。それを見た子どもたちが避難所運営に主体的に
関わり始めてくれればうれしいし、また、それを見た大人も「自分たちもしっかりせ
にゃあ」と元気付けられ、積極的に動き始めてくれればと思う。
■地域での活動
・今日は800食の炊き出し。村内4カ所での豚汁は1時間も経たないうちに無くなっ
てしまった。
・被災者のつぶやきにも、「ナス漬けが食べたい」との声が良く上がるが、素朴な献
立に飢えているのかもしれない。そうめんも好評だった。
・村内4カ所の食事はすべて自衛隊の炊き出しに頼っており、1日からは業者の給食
に替わる。
・食中毒を懸念してあえて配備していないのかもしれないが、避難所に炊事道具を配
備し一定の自炊ができる体制を準備するのも必要ではないかと思う。
・梅干し班は「うるうるパック隊」と名を変えて村内を廻った。信頼関係の構築など
は少しずつ進んでいるが、住民の反応が出るまでに、もう少し時間がかかるだろう。
○いきいき田麦山活動報告
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震で被災した、新潟県川口町・田麦山地区の
「いきいき田麦山」の皆さんより、刈羽村・柏崎での活動報告が届きました。田麦山
の皆さんとは、「あいち中越支援ネットワーク」を通じて、今までも様々な関わりを
持たせて頂いております。
ボランティアは「被災者本位」といいながらも、活動が長期化すると、知らず知らず
のうちに、「ボランティア本位」となってしまう時期があるように思います。しか
し、田麦山の皆さんは、同じ経験をされたからこそ、いつまでも同じ目線でお一人お
一人の心に寄り添える、貴重な存在であると感じます。また、このような報告を頂く
中で、あらためて「被災者本位」の意味を認識させて頂いた思いがしました。
[7月21日刈羽村での活動]
・この日の活動はボランティアセンターが立ち上がったばかりで、被災者にボラン
ティアの存在と今何を求めているかを確認するため、対話を中心とした活動でした。
・このボランティアセンターでは「中越地震」の際、田麦山がお世話になっている湯
沢町のNさん、中越復興市民会議の稲垣さんの面々が中心となって活動していまし
た。
非常にお世話になっているお二人とお会い出来るのはうれしいのですが、この様な災
害での再会は複雑な心境でした。
・私たちもそうだったように被災者一人ひとりと会話をするとボランティアの存在、
認識は浅いと感じました。
・これからの各地区における地道な活動により、ボランティアに対する信頼と必要性
が生じると確信しています。
・また、各避難所を訪問し感じたことは、小さなコミュニティーセンター(地区集会
施設)を含め、「中越地震」からの教訓からか、県の職員が2縲鰀3人在住して、避難所
の統括をしており、地区の自治組織の負担を少しでも軽減する体制となっていたこと
は、行政の対応の早さ伺えることが出来ました。
[7月25日柏崎市での活動] 
・21日に引き続き被災地に入りましたが、同じ被災経験者として感じたのは、周りを
見て復旧の速さでした。
・一部、マスコミでは柏崎市へのボランティアは数多く入っているとのことでしたが
いざ現地に行ってみると市街地からそれほど離れていないのにもかかわらず、ボラン
ティアの「ボ」の字も見えませんでした。やはり、広範囲の市街地では細部までボラ
センの目が届いていないようです。
・活動内容ですが、刈羽と同じく対話をはじめ、二次災害防止のための瓦礫(ブロッ
ク塀)の撤去でした。先に触れたように被災経験者から見ると非常に復旧の速度が速
く(現地被災者はそう感じていないようですが!)被災者全体に情報の伝達が行き届
いておらずその中で今後、自分達がどの様に対処して行けばよいのか不安を感じてお
り、復旧のスピードと被災者の気持ちがイコールでないことを感じました。
・これからは市街地以外に対し、ボランティアが被災者のニーズに応えられるよう刈
羽と同じようにロラー作戦で対話を重ねることが大事なように思います。その上で情
報を収集してボランティアセンターで調整、派遣することが急務と思います。
・瓦礫撤去作業については、この地域は個々の家屋周辺にブロック塀があり、地震被
害によりことごとく倒れたり、傾き、通常生活の歩行で支障をきたしていました。ま
た、そのままにしておくと余震等により二次災害の危険があり、削岩機や大ハンマー
などで通路等を確保・撤去しました。
[8月27日刈羽村での活動]
・2回目の刈羽入りでしたが、被災者からの要望はボランティアセンターへ収集され
ており、活動(作業)内容、配置はスムーズでした。
・活動内容は、倒壊家屋(業者により家屋の処理済)に残された家具等の運び出しと
整理・分別収納でした。
・柏崎同様、これから被災者が仮設入居等にあたり、被災経験のある我々が少しでも
お役に立てればと中越復興市民会議の稲垣さんへ伝えてきました。