新潟県中越沖地震[第24報]

浦野です。お疲れ様です。
以下、活動報告をさせて頂きます。[2007.8.14現在]
■サテライト
・高町地区でカキ氷を行い、75食出、来場者の多さを感じた。
・来場者の中には、ボランティア対応の必要なニーズや、仮設住宅についての問い合わせなどの声が出ており、ボランティア班や行政につないでいる。
・明日は赤田地区でカキ氷を行う予定。来場した地域の方々と共に、「仮設住宅応援パック」200パックの袋詰め作業を一緒に行う予定。
・サテライトの場所から自宅が遠く、カキ氷などのサロン活動にいけない人がいるという声が出ている。


<浦野所感>
・サテライトは、本来在宅の方のニーズを吸い上げ、丁寧に対応していくために設置されているものであるが、現状はカキ氷などのプログラムを実施することが目的になってしまい「声をひろう」という作業に上手くつながっていないと感じる。
・現在は「○○が心配だ、どうすればよいのか教えて欲しい」などという問い合わせが少しずつ出始めており、ボランティア班につなぐなどの対応を取っている。しかし、このような目に付きやすい課題だけに視点を合わせるだけでなく、一見何気ない会話と思える部分にも焦点を合わせてみる(相手の生活や気持ちに、こちらから寄り添っていく)と、今後の中長期的なものも含めて必要な支援が、少しずつ浮き彫りになってくると思う。今までのようなその場その場の対応ではなく、ある程度先を見越した(予測した)支援体制づくりや活動メニューを検討できるようになると思う。このような作業を丁寧に重ねていくことにより、本当に「必要な人に、必要な支援が届く活動」に近づいていけるのではないかと思う。
・以上のことから一人ひとりの声を丁寧に拾い、次の支援に結び付けていけるよう、今まで避難所班で使用していた「つぶやきカード」の作成をここでも行うことで同意
した。また、15日以降は、「つぶやきカード」を元に、本来のサテライトの目的・意義を再確認しつつ、今後の支援計画等についても検討していけるよう体制を整えていきたい。
■調整チーム
・明日、8:30から仮設住宅のカギの受け渡しが実施される。15日の引越しのニーズは7件程度。
・仮設に入居される方の相談窓口を設置し、行政職員と中越復興市民会議稲垣氏が窓口担当として配置される。
<ボランティアの確保について>
以下の団体・組織よりボランティアの申し出を頂いているも、全体的にボランティアが不足している。
・15日縲鰀16日:小千谷市の東山の皆さんが「引越しなんでも隊」を結成し15名派遣。その場で持ち上げるニーズに対し、臨機応変に対応して頂く。
・16日縲鰀17日:新潟市社協よりボランティアバス1台派遣
・16縲鰀17日:JC
・当面は東京電力よりボランティア20名参加。交通誘導と共に電気の配線などの相談にも対応して頂く。
※ボランティア確保のため、新潟日報でもPRする予定。
■避難所チーム
○子ども対応(ピカピカ隊)
・避難所でカキ氷を実施し好評。
・センターに寄せられた託児ニーズは1件。
・日中かなり暑いため、避難所に氷とおしぼり、アイスパックのようなものを用意し、熱中症などを防ぐ対策をしたい。
○環境班
・入浴送迎利用者10名
・今まであまり打ち解けてくれてなかった人が、入浴送迎を繰り返すことにより、「頑張ろうね」とボランティアにも声をかけてくれるようになるなど、信頼を寄せてくれるようになった。
・明日移行、被災された方と直接接することで見えてくる変化やニーズを、「つぶやきカード」にまとめていく。
○看護チーム
・ほとんど避難所にいる方は少なくなってきているが、一つの避難所には高齢者が多い。
・避難所Aでマットをあげて、掃除をしている。カビが生えていたり、ダニが出るの
で衛生管理をきちんとする。明日以降、順番に避難所を巡回し整備する予定。
・避難所の入居者の状況としては、全体には落ち着いているが、血圧が高めの方が多い。
・仮設住宅では、最近の暑さを考えると、室温の上昇がかなり心配され、体調不良者が出る可能性がある。一番心配しているのは、胃がんや人口透析を受けている人など食生活が上手くできていない人への対応。入居後、スープやおかゆを持っていくなど、きめの細かい対応をする必要がある。
■仮設住宅寄り添いプロジェクト
○仮設住宅応援パック
・内容としては、ラップ/ゴミ袋/ウェットティッシュ/かぼちゃスープ/ミネラルウォーター/スポンジ/ジップロックを1パックとする。
・パック化作業を15日午前中、赤田地区サテライトで実施予定。赤田地区区長さん、役員さんなどが手伝いの申し出をしてくださっている。
・作業の前には、仮設の状況、入居予定者からもれ聞こえた不安の声などを地域の方に報告する。これに対し、外から来たボランティアだけでなく、地域の中からも「お互いに頑張っていこう」というメッセージが届くことにより、住民の地域を離れることへの不安の軽減に繋がるかもしれないということを相談したいと思う。あくまでも物を渡すことが目的ではないことをきちんと説明し、このような気持ちを届ける一つのきっかけとして「応援パック」を作成などについてご協力いただけないかとの働きかけができればと思う。
○談話室・集会場の活用
・談話室→子どもの託児を実施。ピカピカ隊を行う(看板作成、仮設の目印を作るなどの作業をしてもらう)
・集会室→環境整備(机・椅子・トイレ用品・台所周り・お茶セット用意等)
・入居者の一時休憩場として開放。集会室が気軽に出入りできる場所であること、困った時などのより所として認知して頂けるよう、8月1杯は毎日開放する。
■在宅訪問寄り添いプロジェクト
・赤田地区の一つの集落で、訪問活動を実施。現在は1日4縲怩T件のペースで訪問。冷たいお茶をきっかけにして、時間をかけながら、少しずつ会話を進めていく。数が問題ではなく、会話の内容(質)が重要で、被災された方の現状の把握や、埋もれている不安や困りごとの早期発見、先を見通した支援を考えるための糸口を見つける活動である。
・赤田で活動のモデルをつくり、いずれは、高町、刈羽でもサテライトを拠点にしながらこのような活動を少しずつでも進めていくことができればと思う。
・明日より、地元社協と共に訪問活動を継続予定。
[訪問活動から聞こえた被災者の声、見えてきた状況]
■50代男性
・家屋被害はほとんどなし。黄色紙。
・訪問時は、本人と奥さんと子ども(20才くらい)がいた。子どもが同居しているかは不明。
・血圧高め。血圧を押さえる薬は飲んでいる。低すぎるとめまいがする。以前に脳梗塞あり。手足に麻痺はなし。認知症の気配もない。「脳梗塞の日は、朝おきたら口が聞けない状態だった。少し経ったら治ったので、気にせず過ごしていた。昼くらいに親友がお酒を持ってきた。少し飲んで、歩いたらこけてしまった。けれど、手にも足にも力が入らずに、言葉も出ないので、奥さんを呼ぼうと思っても呼べなかった。また、少し経ったら口も手足も動くようになったので、病院に行った。軽い脳梗塞だったので、良かったが次は危ないと先生に言われた」と話す。現在、調子は良いとのこと。
・かなりお酒を飲む。医者に酒は駄目といわれても、ビールは酒(日本酒)ではないといって飲む。家族関係は良好様子だが、奥さんが夫の健康状態を心配している。言語障害が多少あるため、多少話が分かりにくいところがある。言語障害は、アルコールを摂取するとひどくなる。
・隣のAさんに関して「認知症が少し進行している」と話す。
・ボランティアに関してはかなり社交的で、訪問してすぐ家に上がれという。また冗談も多い。
■70代男性
・家屋被害はほとんどなし
・訪問時は、本人 奥さんの妹(70位) 奥さんの姉(85)が在宅していた。
・奥さんは地震数日後に亡くなられている。
・奥さんの妹は49日が終わるまではここにいると話す。奥さんの姉は新潟市内在住足が悪く、血圧も高い。
・本人、血圧は高め。耳がかなり遠い。
・あまり活発に動くタイプではない。動作がとてもゆっくり。訪問時も奥の座敷で横になっていた。コミュニケーションが成立しないときもあるが、基本的にはこちらのいうことは理解している様子。また、地震のことや奥さんが亡くなられたことで、かなりストレス負荷がかかっていると思われる。49日までは奥さんの妹が精力的にお世話をする様子だが、49日以降も継続した見守り活動が必要かと思われる。
・奥さんの妹に関して・・・ご本人と奥さんの姉、どちらもそれほど介護が必要というわけではないが、同時に両方に気をかけなければならないので、奥さんの妹さんの介護疲れが心配される。
・まだガスが出ていない。
■60代男性
・家屋被害はかなり被害が大きい。ブルーシートが目立つ。2階の床が落ちてくると話す。前の倉庫もはかったら5センチメートルほどゆがんでいるという(建築関係の仕事をしているとのこと)。
・少し肥満気味。血圧高め。手足の湿疹。→看護師が対応。
・とても社交的で訪問したときもすぐに中に入れという。避難所から地域へ戻った方で湿疹のこともあるので、継続的な見守りが必要な方になっている。なかなか電話にも出ていただけなく、つかまらない。本人は「避難所にいなければ、ここ(家の前の車庫)にいる」と話す。
・今後、仮設住宅に入居する予定(2K)。引越しについては、15日は混雑するから18日に行うという。ただ、「冷蔵庫や洗濯機など、全部自分もちで用意しなくてはならないのに、刈羽にも柏崎にも仮設住宅に置けるような大きさのものは売切れてしまってもうない。今日、長岡のレンタルショップにでも買いに行く」と話す。
・お酒とコーヒーがすき。避難所でも水のペットボトルに焼酎を入れて隠れて飲んでいたと話す。
■80代女性
・自分も大変だけど、周りの人も大変だから、自分も頑張らないといけないという言葉が印象的だった。でも、頑張りすぎてもいけないので、疲れたら休むということを心がけている。でも、頑張った。
・生まれ育った家が潰れてしまったと涙ぐんでいた。
・井戸があったので、水が確保できていたため、洗濯などができたのがよかった。
・家の外見の被害は一見大きくなさそうに見えるが、中はかなり被害がでている。土蔵も傾いて次の余震で倒壊の危険あり。ボランティアさんに頼めなかったので、家族で1階から物を引き出した。2階にまだものが残っている。
・常時「遠いところから来てくださって、ありがとう」と頭を下げ、丁寧に対応してくれた。少し気を使っていらっしゃるようにも見受けられた。
○80代女性
・お茶などを進めるも、最初は少し警戒している感じであった。(のちに、お茶がお金がいるのかと思っていようで、無料ですよというと安心した様子であった。)
・生まれてから今までずっと刈羽。結婚も親がきめたこと。当時は、自分の人生を自分で選べる選択肢はなかった。
・特に趣味もなく、日中家族のものが仕事に行っている間はボーっとしている。サロン活動にも足が悪いので参加していない。大勢の中でわいわいやるよりも、家で自分のペースでボーっとしていた方が気が楽。
・色が白い。あんまり外に出ていない模様。
・お隣さんの話をするも、「ああ、そうだったんですか」とあまり普段の接点がない様子。
・壁の隅がぼろぼろしていた。黄色紙。玄関にある2階に上る階段のしたにひびが入っていた。
■80代女性
・とてもよくお話して下さった。
・壁のひび割れ、玄関のコンクリートの崩れ、破片の撤去など、業者に言って直したいけど、時間がかかる。秋ぐらいといわれた。気はせくがあせってもしょうがない。
・息子さんがしょうじはりをしてくれた。自分ではしょうじはりなんて後回しになっていた。とても手がまわらなかった。
・地震以降、夜はあまり眠れない。睡眠薬を飲み眠れた。
・新潟にいて、これまで3回も大きな地震を経験した。
■80代女性
・家の壁の四隅が崩れていた。
・自分の趣味や昔やっていた仕事などについてよく話して下さった。
・家の片付けのために家族に迷惑がかかるということで、しばらく避難所にいた。今はようやく畑仕事もそろそろ復活しようか、と考えている。
・夜はよく眠れる。
・息子さんがいたが、20代で事故によりなくしている。
<訪問活動全体の印象(活動に参加したボランティアの言葉)>
・どの方もとても沢山しゃべってくれる。話し相手になることの意味は大きいと感じた。
・自分みたいな知らない人がいっても、土地柄なのか、受け入れてくれているのかすぐに話してくれるということが、地域の特性なんだな、と思った。家にまで上げてくれた。
・全体的にありがたいということばかりしか言わない。文句をいう人が一人もいなかった。本音を話せるような関係になるまでには、やはり時間がかかる。
・本来は同じ人が訪問するのが望ましいが、現実には難しいため、「寄り添い隊の人がきた」と認知してもらえるような目印を身につけるなどしたらどうか?(そろいのジャンバーやTシャツなど)