新潟県中越沖地震[第38報]

皆さま

清野です。
9月1日から2日、愛知県内の市町村社協の職員・Iさんが、学生さんと一緒に寄り添いプロジェクトへ参加してくださいました。活動報告を送っていただきましたので、配信させていただきます。日誌形式で、率直な感想を含め、非常に細かく書いていただいております。読んでいて、活動の様子が浮かぶような報告です。
2回に分けて配信したいと思います。

■刈羽村災害ボランティアセンター 活動報告
9月1日(土)の活動
・8:10。全体ミーティング前に現地入り。時間があったので周辺を少し歩く。道路の隆起の激しさや家屋が斜めになっていたり、家の中はものすごく散乱したと推測する。
・8:25。刈羽村災害VCの本部に入る。RSY松田さんより、刈羽村社協の方につないでくれていたため、せともの市のスタッフとしての活動参加となる。
・9:10。仮設住宅近くのグラウンド駐車場のイベント会場でせともの市の準備。本日はライオンズクラブを中心としたイベントに相乗りする形で参加。テントは仮設住宅の集会場前のテントを借用。せともの市の準備は地元社協の職員などと一緒にブルーシートにせとものを、テント横のスペースに救援物資(水・ウエットティッシュ・ドライシャンプー・牛丼カレー・コーンポタージュ・うちわ・膝掛け等)を並べる。準備をしていると、前回のせともの市に協力してくれた地元のボランティアの方が「手伝うわよー」と声をかけてくださり、バザーのプロとしてテキパキと動いたり、指示をしてくれる。とても心強い。残念ながらいくつか割れてしまっているのもあった。また、段ボールの中身はせとものだけでなく、紙袋を入れて送っていただいたものもあった。売り手の気持ちを考えて送ってくれたその気持ちをありがたく思う。
 イベント会場に来られた地元の方も「今日もせともの市するのー?」と声をかけてくれる。「せとものはどうやって準備したの」との問いに、全国各地から送ってくれたことを伝えると、「本当にありがたいねー」との声。待ちきれない様子なのか、開封していない段ボールを空けて品定めをしながら陳列に協力してくれる。「お皿は地震でほとんど割れてしまったから、そろえるだけでも大変なのよ」と言われるが、品定めをしている表情はどことなく嬉しい様子。

・10:00。せともの1個10円に価格設定し、セットものはボランティアさんがその場で判断していく。購入開始がOKになると、会話ができないぐらいの忙しさであった。救援物資の配布は、すごい人だかりで、陳列する時間もないぐらい物資がなくなっていく。急遽、災害VCの資機材にある物資を取りに行き補充していく。VC閉鎖ということもあり、物資をある程度はかなくてはいけない状況ということであった。
 風はある程度吹いていたものの日差しが強い時間が続く。第1弾の物資もほとんどなくなり、届くのを待っている状況の中、シルバーカーに座り強い日差しの下でずっと待っている高齢者がいた。日陰に移動したらどうかと声をかけたら「水を待っているが、移動したらいつ届くかわからないので待っている」と。迷ったが、届いたら水を確保しておくからくつろいでと声をかけたら安心したのか、くつろぎスペースのテント内へ移動してくれた。結果的には大量に届いて、確保しておいたものの渡す必要はなくなってしまったのだが。
・現場も落ち着いてきて、ある程度余裕ができてきた。実習生のM君も無我夢中であったが物資を渡すときに会話ができるようになってきた。様子を見ながら声をかけ、地元の人と会話している。仮設住宅に引越ししたばかりの方と会話し、「避難所よりは仮設住宅の方がよっぽどいいけど、以前住んでいた家は広かったからね・・・」「仮設におばあちゃんと一緒に住んでいるけど、お風呂が入れないときもあるから、このドライシャンプーは本当に助かるわ」「お風呂はそんなに高くないからおばあちゃんも入りやすいけど、被災してからはおっくうというか、面倒くさくて毎日お風呂に入っていたのに週3回ぐらいしか入らなくなってね・・・」といった声を聞く。
・忙しく時間が過ぎたため、ふと気づけば会場内には大勢の人で賑わっている。新潟県社協の職員さんも会場入りして、スタッフとしてサポートしてくれる。刈羽村災害VCが立ち上がったときからずっと現地入りしていると聞く。災害VCを運営の難しさ、大変さ、3度襲われた災害(豪雨・中越地震・中越沖地震)について、過去の災害の教訓が生かされていないことも多くあると教えていただいた。
・正午が過ぎ、神戸から国体のキャラクター「はばたん」と子ども達と一緒に体操をするおねえさんがやってくる。神戸の震災復興のシンボルでもあったらしい。着ぐるみの顔が抜けて中の人の顔が見えてしまうハプニングもあったが、子ども達は体当たりするなどそれなりに楽しんでいる様子。

・13:00。物資を配布した際の空段ボールが散乱していたが、一般ボラさんの協力によりあっという間に整理ができた。段ボールのゴミ処理は、宮崎プラントの社長さんの協力で、もっていってくださることになった。聞くと自衛隊のお風呂に入れない方がでてきたときに、移動入浴をしてくれた方らしい。
・時間も後半に差し掛かり、せとものも売れなくなってきた。平らな大皿が大量にあったため、どうですかと声をかけるも置くスペースもないからねといった声や、レトルト食品が多くどんぶり皿がほしいといった声もあった。
・15:00。人気のあったたこやきや焼きそばも終了し、撤収作業に入る。ライオンズクラブも一段落し、テント撤収もスムーズに進む。撤収先は災害VCの閉鎖も重なり、刈羽社協へテント資材等を運ぶ。その時に、刈羽村社協の職員さんに震災の状況を聞くことができた。どうしようもなく動けなかったこと、近くにいる子どもを助けにいくことができなかったこと、子どもが飛んでしまうほど激しい揺れだったことなど。災害VCに戻り、イベントのゴミの分別ができていなかったため、役場に応援に行く。
・17:00。全体ミーティングが始まる。生活支援チームからは談話室やぴかぴか隊、学習支援等の報告あり。いろいろなビラが溜まっているところもあり配布方法の検討や、ぴかぴか隊の子ども達のスタッフへの暴言等が気になっているなど。ボランティアチームからは、仮設への引越しニーズへの対応や積み残し分の報告。調整チームはイベントの報告や明日の資機材返却や社協VCへの引越し等の報告。そのなかで、集会所に足を運んだ時に、利用していた子どもが椅子を机の中に入れる場面を見て、みんなで使うスペースだから、終わったら椅子を元に戻すという、自立というか自主性が生まれているのかなと感じたと、ただし机の上はぐちゃぐちゃでしたが、との報告。1日の活動終了。その後「高町ビレッジ」へ宿泊手続きをし、一緒に活動した社協職員さんと深夜まで麦スカッシュを飲み意見交換、土木関係で宿泊していた方とも豪快に交流し、熱い気持ちをやりとりする。様々なエピソードを聞き、スタッフ間の絆の強さを感じた。

■仮設住宅での個別訪問「寄り添いメモ」(8月23日)より
・子どもがなく、家が半壊になり業者もいつ来てくれるか分からないので、今年の冬は仮設で生活する。一人暮らしだが、甥が会社帰りによってくれたり、電話してくれる。でも自分は足が悪いのでここでの生活は不安。
・地震の時、自分の集落の人がなくなった。当時は自宅にいて、柱が割け、戸が飛んでいく音が忘れられない。自分の集落は高齢者が60人ぐらいだが、集落としてのまとまりがないといわれていた。かわらを葺き替えたばかりで屋根は平気だったが、柱がゆがみ、家がねじれた。
・目が悪いのでチラシなど見えなくて情報が入らない。洗濯機の音は気にならないが、夜中寝ている時に隣の人の足音が気になる。足がないのが不便。買い物・畑にいけない。道路に街路灯がなく、子どもが通るときに暗いので心配。

皆様方のさらなるご協力をよろしくお願いいたします。

★災害ボランティア活動支援募金★
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
*通信欄に中越沖地震とご記入ください