レスキューストックヤードの”いま”を伝えるブログ

中村です。

愛知県建設部建築担当局主催の講演会に参加してきました。
「中国・四川大地震の現場から~私たちが学ぶこと・できること~」と題しており
四川を支援したい私にはピッタリな講演だと思い、参加しました。
講師はNHK報道局社会部災害班専任記者の入江さやか氏でした。

みなさんはすでにご存知なこととは思いますが
中国・四川大地震とは
・中国名「汶川(ウェンチュアン)地震」
・2008年5月12日午後2時28分ごろ(現地時間)
・マグニチュード7.9(兵庫県南部地震の約30倍のエネルギー)
・揺れの強さは日本の震度で7に匹敵?
 (中国では震度計を埋めていないので詳細は不明)
・龍門山断層帯(約500キロ)のうち285キロが動き、
 内陸活断層の起こす地震としては最大級

四川大地震の被害として中国政府が発表している情報は
死者 68225人、行方不明者 17924人とのこと。
まだ行方不明者がいることが確実にわかっている現場に
重機が乗り上げて掘り返しているシーンなどは
ご遺族の気持ちを考えるといたたまれなくなりました。

数々の報道で校舎の崩壊が言われていますが
入江氏の撮影した校舎倒壊の写真のうちの一枚には
床・天井が落ち、残った壁に黒板が縦に三枚並んでおり、
三階部分にあたる黒板の脇に教育用の大きな黄色い分度器がありました。
壁にフックで掛けられた分度器が落ちず床と天井が落ちたことになります。
本当の震度は一体何度だったのでしょうか。
また分度器の落ちない震度でこの建物が崩壊したはなぜなのでしょうか。

いろいろ考えさせられることがありました。

仮設住宅の資材については発災後に急遽作られた壁材が特徴的でした。
10センチに満たない厚みの発砲スチロールを鉄板で両側から挟み
コンクリートの床材の上に建てていたとのことです。
屋根材の材質は不明ですが、強度は大丈夫なのかが心配です。

中国ならではのよい面も見られました。

倒壊してしまった自宅兼商店の前に政府から支給されたテントを張り
簡易商店を開業していたり、
また、避難所の中にスーパーマーケットが開店していたり、
固定電話の普及が遅かったこの地域ではかなりの山間部でも
携帯電話が通話可能であったこともあり、「被災特価!」のロゴを並べて
携帯電話用電池を販売していたり。
中国の方々の逞しさにこちらまで元気づけられました。

中国政府も被災地内の感染症についてはかなり気をつけており、
毎日のように避難所や道路を消毒していたり
水や食料を配布する軍や調理師はゴム手袋とマスクを着用させたり。
中でも被災地エリアから成都市内に戻る車両については
高速道路の料金所付近で消毒液の噴霧をしてまるごと消毒していることには
とても驚かされました。

今回、入江氏から現地で通訳を頼んだ男性の連絡先を教えていただいたことは
これから支援をして現地に入りたいと思っている私たちには
とても心強いこととなりました。

また何かの折にご報告ができればと思っています。

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はじめまして。
四川作業部会に参加しております
中村と申します。
たびたびこちらのブログを更新していくことになりました。
よろしくお願いします。
まずは、ご挨拶まで。

皆様
栗田です。お世話になります。
今回の大雨に対する名古屋市災害ボランティアセンターは昨日(9月12日)をもって閉所となりました。ただし名古屋市社協の窓口は残し、必要な支援は継続してまいることにしています。この間、本当に多くの方々からお見舞いや激励、貴重なご意見等を多数頂戴いたし、まずもって厚く御礼申し上げます。

今回の名古屋市における水害は、内水氾濫でまさしく「都市型」の困難さが際立ちました。極端に言えば、通りが1本違うだけで浸水被害の状況が異なり、「被災地だ」と面では判断できず、点で必要な支援を届けることが求められました。

当然ながら市のラインからは自治会や民生委員、社協のラインからはヘルパーなど、そしてボランティアも被害の甚大だった小さな面ごとにとにかく練り歩きました。また新しい試みとして、あいち生協のご協力により組合員(市内約14000人)に、また中日新聞販売店のご協力により、販売店(市内約300店舗)、新聞配達員(約1万人)に、「困った方がいないか」という情報提供やボラセンの周知をお願いしました。

一方で課題もたくさん見えてきました。大都市は被害の全体像をつかむまでに相当の時間が要したことに象徴されるように、市も市社協も組織が大きすぎて、せめて区ごとの小回りぐらいは確保すべきなこと、またラインに頼りすぎる体質の改善、そしてボランティア・NPO側も「災害系」以外のヨコの連携の強化や、そもそも市民にボランティアの存在をより広く知らしめていくことなど、まさに現場からの学びを通じて、来るべき巨大地震のことも含めて、突きつけられた思いでいます。そして一番重要なのは、市民一人ひとりの日常の暮らしの中から、「お隣さんは困っていないか」と気に留める関係を再構築していく必要性を痛感しています。

ボラセン閉所は一応の区切りに過ぎません。気になる方への再訪問や畳の搬入などの今後のニーズへの対応はもちろんのこと、ボラセンとしての振り返りの場を数回設けて与えられた課題についてしっかり議論してまいる所存です。いずれ皆様ともこうした情報を共有しつつ、いろいろとお知恵をいただく機会を設けたいと思っております。今後ともよろしくご協力くださいますようお願いいたします。

松田です。昨日(8日)の中川区での活動について、RSY新スタッフ関口さんの報告をお送りします。


 中川区役所講堂の災害ボラセンには市社協の職員を含め14人が集合。前日7日にようやく状況が把握できた長屋のお宅と、片付けに苦労されている独居のお年寄りが最低2人はいらっしゃる木造アパート、の2手に分かれました。
 長屋には午前中、奥さん1人がおり、あいさつはできましたが引越しをするかしないかなどはご主人次第で、それまでは手をつけないでほしい、とのこと。台所は見させてもらったものの、途中で知人の家に行くと言って外出してしまったりとまだ気持ちも不安定なようすで、ボランティアも長時間待ちぼうけ状態となってしまいました。
 その後、区役所を通して息子さんと連絡が取れ、「洗濯機をごみとして出してほしい」との話を受けて裏庭に。ここに数十年前からのものとみられる洗濯機が3台も放置されており、トタンの塀を一部こじ開けるような形で何とか外に移動させました。 午後、その息子さんが戻ってきてから作業は急展開。市営住宅への入居が決まり、きょう中に引越しをしたいという話になり、とりあえず出せるものは出し、より分けるものはより分けようと、別グループのボランティアも加わって10人ほどの態勢で一気に作業をしました。
 直接大雨の被害とはいえない、雑然とした暮らし方で、整理するにも奥さんの意見と息子さんの意見が食い違ったりして非常に難儀はしました。しかし、息子さんのしっかりした態度と作業の進展を見て奥さんも落ち着きを取り戻したようすで、「何にも手をつけないで」という当初のかたくなな姿勢は次第になくなっていきました。
 最終的に時間切れとなってしまったことと、今後の家族の方針がまだはっきりしないことから、とりあえず今夜いるものだけを社協の車を借りて市営住宅へ、その他のものは隣家に一時的に保管するという形を整えて、本日の作業を終了しました。

 都会の真ん中で、うまく地域に溶け込めないまま大きな災害に巻き込まれてしまい、茫然自失してしまった家族の悲劇をみてしまったような気がします。こうした家庭状況にボランティアがどこまでかかわり続けるべきなのか、今後も判断は非常に難しいと思いますが、やはり「1点突破」で現状を把握でき、実際に新生活へ導いたという意味は大きいと思います。最後に奥さんが複雑ながらも安心したように見せてくださった笑顔と、被災10日後とは思えぬほどうずたかく積み上げられた被災ごみの山が、そのことを象徴していたように思えます。

○日時:9月11日(木)19:00~RSY事務所
※参加頂ける方は、事務局にご一報頂ければ嬉しく思います。

○内容
・パンダタオルの作り方レシピ製作
・ブログへの情報発信方法の確認、担当者決め
・呼びかけ用コメント作成

昨日8月28日(水)、第3回作業部会が開催されました。今回の参加者は8名、
RSYスタッフ3名の参加でした。

○本日の作業
1.パンダタオルの試作
[必要な材料]
針/糸(黒・白)/黒のフェルト(耳・目・鼻用)/紐(吊り下げ用)/タオル

[製作を依頼する際にこちらで用意するもの]
・つくり方のレシピ:動画バージョン(YouTube-ネット上の無料動画サイトへ
のアップ、DVD作成など)、紙バージョン(写真か図式で解説。目、耳、鼻の
パーツ作成用型紙付き)を用意
・タオル
・目、耳、鼻のフェルトパーツ
・吊り下げようの紐
・ハガキサイズのメッセージカード(表面には製作者からの直筆メッセージ、裏
面にはメッセージの中国語訳を付ける。中国語で、元気出して!応援してます!
などの中国語をいくつか紹介するカードを付け、直筆メッセージに使ってもらう)

※ただし、依頼者の希望によって選択性にする
パターン1:レシピのみ希望
パターン2:レシピ、パーツ、吊り下げ用の紐のみ希望
パターン3:全て希望
※いずれもメッセージカードは付ける。

[依頼者へのお願いすること]
・返送時の送料は負担頂く
・カンパ金の協力(パンダ1つに付き100円など。要検討)

[作ってみた感想]
・慣れないうちはなかなか難しく、思うようなパンダの顔の形にならないなど、
苦戦をしたが、できあがってみると、自分の作ったパンダがとってもかわいく感
じた。
・「難しくて出来ない」と思い込んでいたが、実際やってみると案外やれた。そ
のできばえに自分でも驚いた。愛着もわく。


2.情報発信
・作業の進捗状況に関する情報発信を、日記風にブログにて発信する。
・作業部会メンバーで担当者を決めてアップする。
※事務局で検討の結果、RSYブログを使用したいと思います。アップの方法な
どは次回会議までにマニュアルを作成し、皆さんに確認して頂きます。


3.今後のスケジュール
9月/パンダタオル募集準備
10月~12月/パンダタオルの周知・募集
12月~1月/現地訪問(移動時間も含めて1週間程度を予定。渡航費が割安な時期
を調べる。)

※10月25日、学校関連のイベントで製作予定。
※全体で200~250個の作成を目標にする。
※作業部会は月1回~2回のペースで実施予定。


4.次回会議予定
○日時:9月11日(木)19:00~RSY事務所
※参加頂ける方は、事務局にご一報頂ければ嬉しく思います。

○内容
・パンダタオルの作り方レシピ製作
・ブログへの情報発信方法の確認、担当者決め
・呼びかけ用コメント作成

皆様

浦野です。お疲れ様です。
岡崎市防災ボランティア支援センターは、9月7日(日)をもって活動を縮小することになりました。
防災ボランティア支援センター自体は閉所され、岡崎市社会福祉協議会が今後の業務を引き継ぎます。

昨日一日の活動の様子を下記のようにご報告します。

[サテライトの様子]
○全体について
・前日からの持ち越しニーズ4件を含め、最終的には約25件のニーズに約70名体制で対応。
・土~日にかけて、親戚、家族が手伝いに来ていることで、ボランティアの依頼も増えたと考えられる。
・ニーズの依頼内容は、ゴミだしや仕分け、屋外の泥の撤去など、細々とした内容が主。ある高齢者の一人暮らしの世帯では、ほとんどの物が泥に浸かっており、屋外の倉庫に詰め込まれていた。傍からみれば処分した方がよさそうなものでも、「また洗って使える。一つひとつ自分で判断したい」とのことで、ボランティアに指示を出しながら、猛暑の中、時間をかけて作業をしていた。長時間の作業は89歳のお年寄りには本当にきつい。ボランティアも、ご本人の意向を十分に尊重しながら活動に当たっていたが、「これは1日、2日では終わらないだろう。体の無理のない範囲で、1日数時間ずつ、この方のペースにあわせて、ゆっくりお手伝いできる人が今後も必要だ」と話していた。(この方は地元のボランティアの方につなぎ、9月8日以降も、個別に訪問を継続して下さることになりました。)

皆様
栗田です。お世話になります。
「まだどこかで困っている方がいるのではないか」と昨日まで主だった被災地を練り歩いてきました。そして今日(9月7日)は原点に返り、市内で最も被害が多く、水害翌日に一度支援に入った地域を再度訪問しました。目的は2つです。一つは、先週は畳や家財の「搬出」でしたが、今回は「搬入」のお手伝い。畳や家具の配置といった具体的作業のほか、「また来てくれたの」という、うれしいふれあいもあり、直接会話する意義はやっぱり大きいと感じました。

もう一つは、新たなニーズの発掘です。丁寧に声かけしたところ、やっぱりありました。まだ手付かずのお宅が。長屋の借家です。「どうしようもないから自分らでする」と一旦は断られましたが、強烈な臭いがします。今回の行政対応策で、2ヶ月は市営住宅に無償で入居できる制度がありますが、そのことはもちろん「罹災証明」のこともご存知ありません。これではボランティアの対応だけでは限界があると思い、区担当者と区社協とともに再度訪問し、手続きの説明をしてもらいました。そして、市営住宅に移るにしても、このままではいけないので引越しするつもりで片づけをしましょうと説得し、本日この地域の作業に参加していた総勢30名ほどのボランティアで作業を行いました。

室内は濡れた畳の重さのせいか床が抜け落ちており、水が染み込んでくるのを防いだのか、畳の上にコンパネやカーペット、ビニールシートが敷かれていました。その上の布団も湿っていました。聞けば床上30~40cmほど浸水したということです。とてもつらかったことと思います。

この1週間、町内の組長さんや大家さんも何度も訪問したそうです。ボランティアも初日に訪問しています。しかし拒まれ続けたそうです。それは、地域が近すぎるので返って遠慮したのかもしれません。すべてが見えてしまいますから。またボランティアの声かけも、どこまで介入できるかは本当に難しいことです。

しかし、たまたまこの借家の隣が空き家になっていて、大家さんの配慮で清掃後の荷物を一時移すことができました。また先週支援した別のアパートで、同じ区空き家の濡れていない畳が余っていることを覚えていて、事情を説明しましたら、二つ返事で6畳分譲ってくれました。だってこの家族は、今日は市営住宅に移れないので、生活空間は必要です。

こうして、大方の作業を済ませ、本日の作業は終了しました。明日も引き続きこのお宅の片づけを手伝うことにしています。また、別の地域で少し気になる世帯が数箇所上がっていますので、いましばらく丁寧に対応していくことにしています。そして、このような方がまだいるのかどうか。市や社協も含めて色々な対応策を実践していますが、悩み続けています。

皆様

お疲れ様です。
岡崎市での活動の様子を下記のようにご報告します。

[本部について]
・ニーズ件数は1日10件程度。
・9月7日(日)にボランティアセンターが閉じられ、市社会福祉協議会が引き続き相談窓口になる旨をお知らせしたチラシを配布。地元JCが中心となり、被災エリアにローラー作戦で戸別配布をし、最終的に取り残されがないかをチェック。
・ボランティア募集の呼びかけは金曜日をもって終了。
・市内ボランティア団体、商工会、民生委員、消防団など地元自治組織に、ボランティアセンターが閉じた後も、ニーズ対応の応援、被災地の見守りを地元が引き継ぎ、協力・対応して頂けるよう依頼。
・取り残されが無いか、周囲でこのような方を見つけた場合の情報提供を、岡崎市介護事業者連絡会、新聞社などのルートを使って、再度周知。
・今後起こりうる悪徳商法、行政の被災者支援サービスに関する相談について、地元の弁護士会・行政書士の方々に協力を依頼。
・9月7日(日)午後5時をもって、岡崎市防災ボランティア支援センターを閉
所。今後は、地元ボランティア団体、組織が中心となり、ニーズ対応していくことで調整を図る。

[サテライトについて]
・朝の時点で3件だったニーズが、終了時には24件に増え、翌日持ち越し分は5件。
・天理教・ひのきしん隊が常時40名~60名体制で、こちらに上がるほとんどのニーズに対応。
・泥出し、ごみの撤去、家具の移動などが依頼内容。泥出しについては、水害時居住者が不在で手が付けられていなかったところや、土壁を落として欲しいという大掛かりなものもあり、20~25人程いなければ対応できないものもあった。

○炊き出し
・9月5日(金)はさっぱりうどん、6日(土)のメニューは、野菜いっぱいスパゲッティー、かぼちゃの煮物、ポテトサラダ、漬物。食材のほとんどが 2004年新潟県中越地震で被災した川口長田麦山の「いきいき田麦山」の皆さんからの寄付であった。
・炊き出し初日に引き続き、神戸市から「すたあと長田」・2000年東海豪雨水害の被災地となった旧西枇杷島町の住民の方、天理教・ひのきしん隊の地元の皆さんがお手伝いくださり、毎食150人分を調理。特に6日(土)は、家族や親戚が土・日にかけて応援に来ていることもあり、ものの30分で全て売り切れるほど盛況だった。
・朝の時点で、炊き出しのメニューと全国からの協力者一覧をチラシにして配布。6日の中日新聞に炊き出しの記事が取り上げられ、「遠くからきてくれてありがとう。なにもできませんが、せめてもの活動の足しにしてください。」と、被災者の方や地元の皆さんが炊き出しチームに応援金を下さった。
・腰を据えて食事を取りながら、「本当に大変だった。こんなにおいしい食事を久しぶりに食べた。涙が出るほど嬉しい。」と本当に泣きながらおっしゃっていた方、食事の後、30分ほど話して、「実は床下浸水だったけど、一度も床下を見てないの」とぽつりと話したお年寄り、そのほかにもあの場所から、支援がつながった方が何人かいらっしゃった。
・炊き出し開設から、毎日ミニ喫茶に通ってくださる方も出てきた。「食」の提供だけが目的なのではなく、ホッと一息ついたり、気分転換をしたり、とにかく炊き出しをきっかけにして、少しでも安心できる、笑顔になれる、不安が解消できる空間がこの時期には絶対に必要だと感じていただけに、そのような場所に少しずつなりつつあることが、住民の方の表情から読み取れた。

○足湯ボランティア
・中越・KOBE足湯隊メンバー4人により、5名の方に足湯の提供をしていただいた。
・「今になって体の節々が痛くなってきた」「とにかく疲れた。何もしたくない。片付けもボチボチとして進まない」などの声がきかれた。
・足湯を終了したお年寄りからは、「あ~、気持ちよかった。生き返ったよ。」という声も聞かれた。


明日で、センターは閉じられますが、被災された方のニーズは、まだ出てくると思います。ようやく、本当にサロンらしくなってきた頃なので、あともう少し続けられればとも思いますが、なるべく地元の方に引き継いで、皆さんの不安がなるべく残らないような形にできればと思っています。

RSY浦野


みなさまへ

事務局・松田です。おかげさまでこの報告を多くの方々が読んで下さっており、何人もの方から応援の声やご意見を頂戴しております。特に有難いのは、RSYや名古屋のボランティアがこれまでにお邪魔した被災地の方々から励ましのお言葉や物資の提供のお申し出を頂いていることです。これには、私共スタッフのみならず、今、地元名古屋で活動を続けるボランティアさんたちが「本当にうれしい」と心から喜んでおりました。まずもって、愛知から深く御礼申し上げます。

私は先日来、生まれて初めて水害の被災地、しかも大都市名古屋の被災地に入って、ボランティアの存在の呼びかけ、雑巾がけや畳運びをお手伝いしています。
「ニーズ」と呼ばれる「助けて!」の声を消すことはできますが(こちらが聞かなければよいだけ)、声が消えることはありません。毎日数件の声が着実に届いています。この数件の向こうに、都会に埋もれている数十件の「声」があることは容易に想像できるでしょう。埋もれている声を少しでも拾い出すには、ご近所、町内会、民生委員、マスコミ等々、こうした方々が持つ僅かな社会との接点
にどうにかつながるように、あらゆる方面からアプローチするより他ありません。

RSYや神戸から支援活動を続けてきた震つなの諸先輩は災害直後に「もう一人の命と生活を救う」ことにこだわって活動を続けてきました。私もそれに納得したつもりで、時には知った風に講演で述べたりしてきたわけですが、今回初めてそのことを体で感じ取った気がします。一声をかけなければ本当にそのまま見過ごされ、カビた畳に埋もれ、その後の生活が決定的に不能になってしまうだろう方々が、この社会にはおられるのです。それはお年寄りとは限りません。

「災害は社会格差を増大する」「防災に有効なのは地域のつながり」「都市生活は便利だが災害時には脆い」などと災害にまつわる「常識」は多々あります。一日の災害ボランティア活動はこのような経験則の全てを実証すると言っても過言ではありません。こうした言葉を実感を込めて主張したいと思う全ての人に、ボランティアをおススメします。220万人都市名古屋に100人のボランティアでは、全く足りません。

皆様

お疲れ様です。浦野です。
岡崎市での支援の状況について、以下の通りご報告します。

[サテライトの様子]
○全体の様子
被害集中地域に設置されたサテライトでは、朝の時点で昨日から持ち越された継続ニーズが4件だったのに対し、活動が終了する頃には、51件のニーズ件数となりました。

傾向としては、その場で「明日はこれお願いね」と依頼を出せるケースは少なく、おそらく夜一晩考えて、ある程度段取りをつけてから再度ボランティアに依頼するという流れがあるように感じます。それがすなわち、「被災者のペース」というものだと思います。

しかも、「何か用事があったら連絡してね、この電話番号にかけてね」と言い残しても、実際に連絡がくるケースはあまり多くありません。理由としては、疲れによるわずらわしさ(「電話なんてかける暇がない」とおっしゃっている方もいました)、遠慮、浸水で電話が壊れて使えない、などです。

ニーズ把握の効果として圧倒的に高いのは直接訪問です。
当日も、朝、炊き出しの周知チラシを配る際に、「これを手伝って欲しい」という声を拾ってくるというパターンが多く見られました。同時に、前日から気になるところに関しては、こちらから訪問して声をかけるパターン、とにかくランダムにまちを歩いて「お手伝いしますよ!」と声をかけ歩くパターン、また、サテライトの存在を知って住民の方が直接依頼にこられるパターンも見られました。

小規模のエリアを対象としたサテライトであれば、ここまでの細かい動きを作ることが可能なんですね。

現在サテライトでは、JC、天理教・ひのきしん隊・イビューサ(学生の災害ボランティアチーム)・三菱関係のボランティアチームが定期的に入り、常時100~150人ぐらいのマンパワーがあります。リーダーの方が継続的に来てくださるので、傾向をよく把握しており、センターから活動指示を出さなくても、自ら必要な動きを作り上げて、活動を展開される姿が印象的でした。

○炊き出しミニ喫茶の様子
本日は12時~15時まで、あんみつ・トン汁・おにぎりの炊き出しでした。
「災害ボランティアネットワーク鈴鹿」から6名、神戸市の「すたあと長田」から1名、「天理教・ひのきしん隊(地元の方)」から2名が、食材の提供とお手伝いをして下さいました。

午前中に被災世帯にチラシを配り、150名分用意していた食材が、1時間半の間にあっという間に無くなりました。
また、会場まで取りにこれない方には、「お運び隊」を作り、自宅まで届けました。また、不十分ではありましたが、椅子と机を置いて、食事が取れるスペースも作ったので、これにより、ずいぶん皆さんとお話をするきっかけを持つことができました。

住民の皆さんの様子としては、「とにかく相当疲れてまいっている」という印象です。修繕費がどれぐらいかかるのか?家族中がピリピリしている感じなので、少し家を離れたい、当日の水害の様子、今までどれだけ大変な思いで片付けてきたのか、復興支援として行政は何をしてくれるのか、、など、少し話しかけると、沢山の言葉が返ってきました。たまたま椅子に腰掛けた方に何気なく肩もみのマッサージをすると、「もう背中や腰、足が痛くてたまらんな。きもちええわ」とおっしゃっていました。

新潟・田麦山の皆さんが提供して下さった野菜は今日届くので、土曜日の炊き出しメニューで使わせていただこうと相談しております。
鈴鹿から、神戸から、新潟から、全国から沢山の人が応援しているということも皆さんにお伝えしながら活動することで、「まぁ、そんな遠くから、、、ありがとうね」と、驚かれると共に、笑顔を見せて下さる方もいました。

そこで、今日の活動でお聞きした「生の声」より、土日付近で、住民相談会を開催したいと考えております。
悪徳商法もはびこりつつあるので、司法書士の方を招いて注意事項を聞いたり、行政職員から復興支援に関するサービスの説明や質疑ができる機会をと考えております。

また、2000年東海豪雨水害で同じような被害にあった旧西枇杷島町の住民の方々が、「自分たちもできることがあれば駆けつけたい」と言ってくださっております。被災された方の中には、「先の見通し」がもてない方もいらっしゃいますので、被災者交流会のような形で時間が取れれば、どんな心持で復興までを乗り切ればいいのか、同じ被災者として共感し合えることで落ち着けることもあるのではないかと考えています。これは、能登・中越沖・岩手・宮城内陸地震からの学びが引き継がれた形です。

「中越・KOBE足湯隊」の皆さんも、土日でおいでくださるそうなので、炊き出し・相談会等で一緒に活動できれば、被災された方も喜ばれるのではないかと思います。いずれにせよ、総代さんの意向を本日お聞きした上で、実施の有無が決定します。

災害ボランティアの全ての活動は、「被災された方の声」からはじまるということを、改めて肝に銘じたいと思います。
ご協力いただいている皆さん、本当にありがとうございます。
今後とも、何卒よろしくお願いいたします。


RSY浦野


みなさま


 いつもお世話になっております。RSY事務局藤田です。

 今日は西区のボランティアセンターに集合した、20名のボランティアさんが4班に分かれて西区内の学区を回りました。
 今日の目的は、困っている方が本当にいらっしゃらないのか今一度確かめるためです。

 発災から日にちが経っていることもあって、特にその場で必要な作業はありませんでしたが、時々濡れた畳や家具が外に出されているところも見受けられました。
 向かいに濡れた畳が積み上げられていたところにお話を伺うと、役所に問い合わせたところ廃棄などの処理は自分達で担うが、補助などについては検討すると言われたとのことでした。
 アパートの一階部分全戸(5戸)が床上浸水になったところでは業者による作業により床板が外されていました。
 お店を経営されている方にお話を伺うと、道路の向かい側は被害がないけど、ご自身のお店は床上浸水になり、前に置いてあった自販機3台が故障してしまったそうです。そこから一区画離れた自販機も故障していました。


今日行った活動のように、地道に足で回りながら状況を聞き、困っている方が本当にいらっしゃらないかどうかを確認することが、自ら声を出せない方を探し出せる最終的な手立てであり、本当に大切なことだと痛感しました。
 報道も下火になり、目に見える被害が聞こえてこなくなっても、最後の一人の方の生活が元に戻るまで支援を続けなければいけないのだと思いました。
そのためには引き続きみなさまの目と支援が必要となります。
 今後ともご協力をお願いいたします。

皆様

お疲れ様です。浦野です。
岡崎市での支援の状況について、以下の通りご報告します。

名古屋市同様、床上・床下浸水1000世帯以上を超えた岡崎市では、個別のニーズ
対応・お手伝い隊の派遣・被害集中地区でのサテライト設置などを中心に行って
おります。泥出しなどの大がかりな作業は大分落ち着いておりますが、お手伝い
隊として丁寧にまちを歩いてみると、水害発生から1週間経って初めて床板を上
げて、床下の泥だしをしたというお宅もありました。件数的にはそれほど多くは
ありませんが、数の問題ではなく、いまだ取り残されている方々の存在があるこ
とを認識し、引き続き個別訪問等の必要性を感じております。

また、住民の皆さんの中には相当な疲れが見られ始めています。これからは、畳
を入れたり、一旦外に出した家具や生活用品を家の中に納めたりと、細かい作業
が残っています。「自分たちのペースでぼちぼちやっていきます」とのことです
が、今まで家族やご近所で頑張られていた方々も、蓄積された疲れで、自助・共
助が一時的に機能しなくなる可能性もあります。

一部では「ボランティアに依存しすぎる傾向にあるのではないか?ボランティア
が自立の妨げになっているのではないか?」との声もあるようですが、この時期
にその様な判断をすることは、被災された方にとっては酷なのではないかと感じ
ます。むしろこのような時期こそ、そばで寄り添い、ゆっくりとしたペースで対
応できるボランティアの存在が重要になるのではないかと思います。

また、一人暮らしの方の中には、「みんなが大変な時に頼めない」「誰に相談し
たらよいか分からない」と、自分で何とかしようとするがあまり、畳もなく消毒
もしていないぬれた床の上という、劣悪な環境で寝食されていた方もいらっしゃ
いました。食事についてもおにぎりや菓子パンで簡単にすませており、不眠が続
き、このまま発見されなければ、生命の危機に直結する問題になっていたであろ
うと恐怖感を抱きました。

この方については、天理教・ひのきしん隊さんのご協力により、畳を入れ、湿気
防止のシートを引き、当座をしのぐ環境が整いました。また市の福祉課・保健師
につなぎました。

しかし、このような実態は、30分~1時間程度、落ち着いた雰囲気の中で、何気
ない会話を重ねていくうちにようやく見えてくることです。
数分の声かけだけでは、この状況までを汲み取ることはなかなか難しいのではな
いかと感じます。

「自分たちのペースでやります」という言葉の中には、疲れや遠慮の背景がある
ことを理解し、この時期は、「何かあった時にはいつでもお声がけくださいね」
という距離感で見守っていく必要性を感じます。現に、そのような言葉かけに対
して、住民の方々はホッとした表情を見せることが多々ありました。

前述の通り、被害が集中した地域についてはサテライトを設置し、その場でニー
ズを掘り起こして対応していくというスタンスをとっています。もともとは総代
さんが「この場所にボランティアの拠点を作って欲しい」という要望を出された
ことがきっかけでした。そこは、困った時にすぐに相談しにいける場所として
も、住民の方の安心できる場所になりつつあります。

また、本日より「炊き出しミニ喫茶」を開設し、被災された方がホッと一息つき
ながら、休憩がてらお話ができるスペースも用意する予定です。鈴鹿市から「災
害ボランティアネットワーク鈴鹿」、神戸市から「すたあと長田」の皆さんが、
おにぎりやトン汁、あんみつを作りに来てくださいます。また、これらの材料の
一部を、2004年新潟県中越地震で被災した、川口町田麦山地区の皆さんから提供
して頂けることになりました。

遠くからも応援したいという気持ち、被災者という同じ経験を持つ立場に立って
接することができる方々がの存在が、皆さんの安心や元気につながれば、そして
何よりも炊き出しを通じて会話を交わす中で、被災された方の「生の声」を聞
き、片付けの進行具合や健康状態、不安などについても状況が把握できればと思
います。

現在サテライトを設置している地域以外でも、被害が集中している箇所がいくつ
かあります。その地域からも、このような拠点づくりの依頼があるようです。

このように、大掛かりな作業ボランティアは終息にむかいつつあります。
しかし、それに代わり、今後は被災された方のペースにあわせながら、困った時
にはすぐに相談できる、ちょっと休憩にこれる、見守ってもらえていると安心で
きるようなミニサロン的な機能が求められるのではないかと思っています。

皆様
栗田です。お世話になります。
今回の水害は合計1万戸以上の浸水被害となり、特に深刻な床上浸水が名古屋市は
1000世帯を数えました。これまでご報告させていただいておりますとおり、早速災害
ボランティアの支援体制を整え、声かけと作業をセットにした「おせっかい部隊」と
も言うべき活動を継続しております。あれから約1週間を経て、片付けなどの大きな
峠は越したように思われます。

ただし、難しい局面を迎えています。それは、未だ濡れた畳でそのまま生活されてい
る方がどこかにいるだろうという現実です。人口220万の大都市に埋もれ、見えない
のです。8月30日に1件、31日3件、1日1件、2日も1件と、ボランティアの練り歩きな
どからこうした世帯が現に出てきます。「古い家屋」「長屋」「高齢者」「一人暮ら
し(中年男性含む)」にその傾向があると実感しています。

このようなボランティアによる練り歩きのほか、もちろん、市のラインからは各地域
の自治会からの情報、民生さんに対する対象世帯の一斉調査や税務課による家屋被害
調査、また社協ラインからはヘルパーさんらからの情報等、こうした事態には災害ボ
ラセンがお手伝いできる旨は可能な限りお知らせいただいております。その他、本
日、再度のマスコミからの呼びかけのほか、福祉系NPO、生協、新聞販売店、防災士
会(特定郵便局長ら)に協力要請して、「この家が片付いていない」「様子がおかし
い」などの身近な情報提供をお願いしたところです。

しかし、事態は人のいのちと暮らしの深刻な問題ですから、0/220万人でなくてはな
りません。最悪は「水害から数日経ても、濡れた畳の上でそのまま生活していた」と
いうようなことがないように、全力で探し出さなければなりません。でも、完全に大
丈夫と誰が判断できるか。とても難しい課題との闘いでもあります。

今日も名古屋は残暑で蒸し暑かったです。行き交う人の大多数は水害の記憶すらない
かのような日常に完全に戻っていますが、とにかく名古屋はいろいろな意味で「でか
すぎる」と実感しています。

皆様
栗田です。お世話になります。
9月1日付でRSYスタッフとして勤務していただくことになった関口威人さん(元中日新聞記者)に早速現場に入ってもらいましたので、報告させていただきます。

今回の水害被害を受け、名古屋市ボランティアセンターが正式に立ち上がり、中村区での活動に参加しました。中村区社協には14人のボランティアが朝から集合。約160戸の床上浸水被害があった区内で、被害が集中した米野、柳、本陣、日比津の4学区はこの土日に地域やボランティアの協力でかなり片付けが進んだため、それ以外で被害のあった区中西部の千成、稲葉地学区を2班ほどの体勢で回り、ニーズを掘り起こしました。

発生4日目の週明けというタイミングもあり、片付けなどのニーズはほとんどありませんでしたが、「(喫茶店に)20センチは水が入ってきて、なかなかひかなかった」「自分のところのゴミが50メートル先の交差点まで流されていた」などと、被害の大きさを表す生々しい話が聞けました。ボランティアに関しては「そんなのあるの?」「うちはたいしたことないでいい」という声が多く、明らかに床上の被害があり、後片付けの最中であっても、遠慮される家もありました。声かけとともにボラセンのチラシを配って、理解していただくよう努めました。

一方、今回の特徴として区内で少なくとも4件、1階が「半地下」のアパート・マンションが被害を受けていました。1件は借り上げの社宅扱いにしている会社の社員らが片付けをしていましたが、その他はアパートの管理会社が住人をホテルなどに避難させているらしく不在、あるいは業者が片付けに入っており、実態がつかめませんでした。こうした「半地下」の造りが流行るのは、建築の高さ制限などを最大限クリアするためと思われますが、防災面から見れば非常に危険、にもかかわらず被害の実態が見えにくい、都市型災害の課題のように思われます。

反省会では
・もっと立ち上げが早くてもよかった。
・自治会長や民生委員さんらも、人、地域によって温度差がある。
・ニーズをあがってくるのを待っていてはだめ。
・行政が自治会長らとの調整をする間に動かないといけない。
・「やってあげる」ではなく「させていただく」というつもりやらないと受け入れられない。などの意見が出されました。

皆様

お疲れ様です。浦野です。
岡崎のボランティアセンターでは本日、ローラー作戦でチラシ配りを行った結
果、特に被害がひどかった川沿いの地域以外は、昨日・今日で復旧が大幅に進ん
でいることが分かりました。

そこで、明日より復旧の遅れている地域の中にサテライトを設置し、丁寧に声を
かけながら、集中的にニーズに対応していくための体制を整えました。

今日の様子では、ニーズとボランティアの調整は、地元で対応できる範囲である
ということです。ボランティアのお申し出を頂いた県外の皆様、まことにありが
とうございました。

本日の訪問先では、ペースメーカーをいれ、足の不自由な70代・男性が、水害か
ら3日間ぬれた畳に、ビニールシートを敷いて寝ていた。2時間おきに休みなが
ら、一晩中家の片づけをしていた。家の中は全く住める状態じゃないので、今日
から弟の家で寝させてもらう。しかし、これからどうすればよいか。今も夜はあ
まり眠れない、、などという状況がありました。被害のひどかった地域は、電話
も壊れてしまったので、連絡のしようがなかったという声も多くありました。

テレビやマスコミだけの周知ではこのようなケースには対応できません。
積極的に現場に行き、被災された方の声に直接耳を傾けることでこそ、被災され
た方の本来の姿が見えてくるのだと改めて学ばせて頂きました。

参考までに、昨日現場での活動の際にお聞きした被災者の方の声を以下の通りお
知らせします。

[8月31日被災された方の声]
○チラシ配布にて(特に被害がひどかった地域を中心に配布した)
・災害ボランティアセンターがあることすら知らなかった。業者を通じてでなけ
ればやってもらえなかった。ただでやってもらえるなんてびっくりした。テレビ
は水に浸かってしまったので見ていない。(50代・女性)

・いつもヘルパーさんが来てくれていたのに、水に浸かった後は一度も顔を見せ
てくれない。私は見捨てられたのか・・・とさびしく、私なんかもう死んだ方が
よかったんじゃないかと考えてしまう。(80代・女性)
※息子さんの話より)ヘルパーさんには家族から連絡済み。サービスの利用日で
はないので、ヘルパーはこれない。息子夫婦は掃除に追われて、おばあさんのそ
ばにいてあげられず、話を十分に聞けない状況。女性のベッドの下はまだ片付い
ておらず、泥がたまったままだった。
→センターにニーズを上げ、対応した。

・畳が浸かった。持ち上げて床下を消毒したいのだが、一人でできないので困っ
ていた。親戚に頼もうと思っていたが、明日から仕事のある人たちばかりだった
ので、頼めずに悩んでいた。視から消毒薬をもらってはいるが、まだ消毒を撒け
る作業の段階まできていない。とにかく家の中のぬれたものを出すのが精一杯。
(40代・男性)
→センターにニーズを上げ、対応した。

・家の片付けは家族でできるので、一時的に日用品や食器類をいれるためのダン
ボール、水を吸わせるための新聞紙が欲しい。できればごみを入れるための土嚢
袋かゴミ袋も欲しい。(40代・夫婦)
→センターにニーズを上げ、対応した。

・前の水害でも水に浸かってしまった。車が3台も駄目になってしまった。雷が
ひどく、遠くの高台の駐車場までは運べなかった。仕方がない。車両保険も安い
ものしか入っていないので、保険も期待できない。前回の浸水時は、油化したの
泥を主人が掃除したが、今は年齢が高くなってきたので大変。あきらめようかと
話していたところだった。ボランティアさんが来てとても助かる。(50代・女性)
→センターにニーズを上げ、対応した。

・新築で家を建て20年になるが、その間6回も水に浸かった。水害にはいい加減
慣れたが、反面、「またか!」という怒りで夜も寝られない。風呂も壊れ、近く
の銭湯に行っている。外出時も家を乾かすために戸を開けっ放しになるので防犯
対策が心配。洗濯機も壊れ、近所の方の好意で使わせてもらったが、毎日という
わけにはいかないだろう。電化製品を早くそろえなければ生活できない。とにか
く床下の水をかきだすのに、バケツがひとつしかなかったので、一人で12時間も
出し続けた。体や足が動かなくなってしまった。これから床下を乾燥させて、家
具を元の位置にもどして・・・完全に以前の生活に戻るまでには、半年はかかる
だろう。以前の水害でもそうだった。本当にやりきれない。この辺は以前は田畑
だったが、宅地開拓により遊水スペースがなくなってしまったから、余計に水に
浸かるようになったんだと思う。みんなが大変だから、自分だけ「つらい・大変
だ」とは言いにくい。反面、自分の家だけではないと思えば、がんばれる気もす
る。(60代・女性)


○その他(全体的に多かったもの)
・作業に費用がかかるのか?
・家財道具を全部出してもらいたいが、そんな仕事をボランティアに依頼できる
のか?
・消毒薬を撒きたい。誰が配っているのか?どこに問い合わせればいいのか?消
毒散布の注意点を知りたい。
・「家よりも、他の人の方が大変だからそっちに行ってあげて」とよく言われた。
・道路や駐車場、側溝にヘドロやごみがたまっている。自分の家のことで精一杯
なので、地域まで手がまわらない。できれは掃除をしてもらえると助かる。

皆様
栗田です。お世話になります。
第4報でお知らせしましたとおり、8月30日(土)〜31日(日)にかけて市内2箇所に
「プチボラセン」を設置しました。両日とも30名以上の参加を得て、市内でも被害の
甚大だった北区・中川区・港区内の地域でチラシを配布しながら練り歩き、必要に応
じて即座に作業に応じてまいりました。

30日は雨でしたので「晴れたらすぐにでも外へ出したい気分」とか、逆に「昨日で片
付いた」といわれる方、そして浸水当時の様子、「一気に水が来た」「前の道路が瞬
く間に川のようになった」「夜中だったので動きようがなかった」「8年前の水害で
は浸からなかったのに...」など、そしてひたすら愚痴をこぼされたりなどなど、本当
に様々な方と出会ってきました。

そして、すぐにでも手伝ってほしいといわれた世帯は2日間でおよそ45世帯。室内の
清掃やごみの搬出などに対応しました。特記すべきは、浸水当初そのまま、濡れた畳
で生活をされていた方も、僕が関わっただけでも4世帯ありました。早速10人がかり
で畳だしまでを担いました。

多くの被災者は「災害ボランティア」を理解しているはずもなく、これら深刻な方を
含めて「ニーズ」があがることはありえません。待っていてはだめですね。ですか
ら、ボランティアは「おせっかい」でも積極的に声をおかけしていく姿勢が大切だと
痛感しました。また地元自治会や民生さんらとの協力は不可欠です。名古屋では区や
区社協がこのあたりをつないでくれています。

しかし、名古屋市はでかい。16区ありますが、一つの区に10〜20万人住んでいます。
だからなおさら丁寧に被災した地域を動くしかありません。そこで、この2日間の活
動を踏まえ、市・市社協・ボランティアの三者で協議し、「名古屋市災害ボランティ
アセンター」を設置することになりました。ただし手法はこれまでと同じです。明日
からも「声ひろい&即作業」のスタイルで活動を続けてまいります。

今のところ、なごや災害ボランティア連絡会を中心に、市内のボランティアさんに呼
びかけて実施いたしますが、明日から新学期の節目でもあり、先刻お願いしました岡
崎市同様、平日の対応が手薄になることが予測されます。皆様方にも具体的にご依頼
をさせていただくことになるかもしれませんので、引き続きお見守りいただきたく、
よろしくお願いいたします。