【第13報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

みなさまへ
事務局・松田です。おかげさまでこの報告を多くの方々が読んで下さっており、何人もの方から応援の声やご意見を頂戴しております。特に有難いのは、RSYや名古屋のボランティアがこれまでにお邪魔した被災地の方々から励ましのお言葉や物資の提供のお申し出を頂いていることです。これには、私共スタッフのみならず、今、地元名古屋で活動を続けるボランティアさんたちが「本当にうれしい」と心から喜んでおりました。まずもって、愛知から深く御礼申し上げます。
私は先日来、生まれて初めて水害の被災地、しかも大都市名古屋の被災地に入って、ボランティアの存在の呼びかけ、雑巾がけや畳運びをお手伝いしています。
「ニーズ」と呼ばれる「助けて!」の声を消すことはできますが(こちらが聞かなければよいだけ)、声が消えることはありません。毎日数件の声が着実に届いています。この数件の向こうに、都会に埋もれている数十件の「声」があることは容易に想像できるでしょう。埋もれている声を少しでも拾い出すには、ご近所、町内会、民生委員、マスコミ等々、こうした方々が持つ僅かな社会との接点
にどうにかつながるように、あらゆる方面からアプローチするより他ありません。
RSYや神戸から支援活動を続けてきた震つなの諸先輩は災害直後に「もう一人の命と生活を救う」ことにこだわって活動を続けてきました。私もそれに納得したつもりで、時には知った風に講演で述べたりしてきたわけですが、今回初めてそのことを体で感じ取った気がします。一声をかけなければ本当にそのまま見過ごされ、カビた畳に埋もれ、その後の生活が決定的に不能になってしまうだろう方々が、この社会にはおられるのです。それはお年寄りとは限りません。
「災害は社会格差を増大する」「防災に有効なのは地域のつながり」「都市生活は便利だが災害時には脆い」などと災害にまつわる「常識」は多々あります。一日の災害ボランティア活動はこのような経験則の全てを実証すると言っても過言ではありません。こうした言葉を実感を込めて主張したいと思う全ての人に、ボランティアをおススメします。220万人都市名古屋に100人のボランティアでは、全く足りません。