宮城県七ヶ浜町報告【第215報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第29号](2015年11月1日~11月30日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯や
日々の活動を通して聞く住民の声『つぶやき』からは被災者の様々な現状を知ることができます。
2015年12月11日で震災から4年9ヶ月が経過しました。

12月11日は、4年前に七ヶ浜町の復興商店街「七の市商店街」がオープンした日です。
その七の市商店街も役割を終えるということで2015年11月30日(月)で閉鎖となりました。
店主さんらは各々移転が始まり、新店舗で営業をスタートをされている方もあります。

人が集まる場所となっていた七の市商店街。
町の朝市とは別に独自のイベントを開催したり、町のPRの為に町内外のイベントに出向いて出店したりしてきました。
「商店街でお茶飲んだり話すのが楽しかった」「無くなるのは寂しい」「中央公民館の近くだからつかいやすかった」と惜しむ声も多い一方、

「新しい店舗ができて、営業できるからこそ解体がされる。そのことを思えば復興が進んでいて、前に進んでいるという感じがあるからそれはそれでいいこと」だという声もあります。
店主さんたちも「『移転後も食べに行くからね!』『髪を切りにいくからね!』という声があるから頑張らないといけない」とお話されています。

新たなお家で新たな生活が始まる町の皆さんの生活を支えるのは地域のお店です。
これからも地域の拠り所となるよう頑張って欲しいですね!
RSYは、これからも皆さんを応援をしていきます!

—————————————————————————–

〇12月に引越しだな。公営住宅だ。うちの(奥さん)と2人ではとてもじゃないけど引越しなんてできないよ。業者がやってくれるからなんとななるけどね。食器棚やエアコンも買い換えなきゃぁ、エアコンは4年はつかってるんだからもう使えないよ。まぁまず、いろいろ世話になったな。
今日はお客が来てるんだ、この頃結構忙しいな。
(70代:男性)

 

〇今日も近所の(仮設の)人が引越ししてたわ。子どもが4人いるところだからかもしれないけど、すごい大きなトラックいっぱいにして運んでたわよ。よく仮設の中にあんだけの荷物が入ってたねー。 私たちも来月(12月)鍵もらうから、少しずつ片づけしてるんだわー。
(60代:女性)

 

〇もう引越し業者は決めてる。公営住宅にも(足湯とかで)来てくれるんでしょ?是非、遊びに来てね。家具とかどうしようか考えてる。仮設の表札はつけられないよねぇ。壁がコンクリートだからね。でも、中に置いとくかなぁ。
神棚をつけてもいいらしいけど、穴開けたりしたら公営住宅出る時に直さないとダメらしい。
どうしようかなぁ、でも仕方ないよね。(神棚は)つけなきゃダメだもん。
私はアパートに入ったことないから不便なところが出てくるかもなぁ。
(60代:女性)

 

〇七ヶ浜に来て60年だけど、やっぱり浜の人っていうのはね言い方がきつくて合わないわね。みんなでいるときは黙ってるの。私、仙台に働きに行ってて隣組の人しか知らないのよ。友達も少ないし、家ながされて全部無くなっちゃったけど、公営住宅に行ってこれから頑張らないとね。がんばるって言っても難しいけどね。
(80代:女性)

 

〇A浜で被災して、仮設に入った。でも、その後息子のとこ(隣り町)に避難して住んでたんだ。隣り町は周りは知らない人だし、気も使うしで女房が七ヶ浜に帰りたいって言ったので、七ヶ浜のアパートに越してきたんだ。「みなし仮設」でなくて普通に(家賃)を払ってな。公営住宅に入居したいと思ってたら、「町外に一度住民票移した人は被災者枠で入れないから今すぐは入れない」って言われて本当に困っている。一般枠でもいいから入れてくれって頼んだら今は一般は募集していないって言われて断られた。俺ら七ヶ浜の人間いれねーで、どうすんだ。って抗議してきたんだけどダーメ。
(60代:男性)

 

〇仮設住宅にはお世話になった。最後は今までのお礼と思ってピカピカにしていくよ。
次の人は入らないからそこまでやらなくてもいいみたいなんだけどね。
住めば都っていうけど本当だよ。避難所から引っ越ししてきた頃とか思い出すね。
(60代:女性)