熊本地震から2年~御船から私達が今、伝えたいこと1~

皆様
お世話になります。RSY事務局です。
RSYは2016年4月20日から御船町で支援活動をスタートさせ、その間出会った住民のみなさんから、震災から2年を前にコメントを寄せて頂きました。
住民の方々の生の声を聞き、少しでも御船町の様子が皆さんに伝わればと思います。2年経ったからようやく話せるようになったこと、それぞれの暮らしの変化、復興に向かって前に進む姿など、御船町の今の姿が垣間見えます。
一人ひとりの4.16熊本地震。
「御船から私達が今、伝えたいこと」を2回のシリーズでお伝えします。
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★Aさん(男性/70代/仮設住宅で生活)
仮設住宅で自治会長をしています。私が以前住んでいた町営住宅は、震災の影響で地盤が壊れたり、一部の家が倒壊の危険があるということで、108戸全てに避難勧告が出ています。(長期避難につき、住民には全壊と同等の1世帯300万円の支援金が国から支給)
1年目はいつになったら帰れるのか全く分からず、不安や苛立ちもありましたが、町から今年中に修繕が終わり戻れそうだと聞き、少しホッしています。ただ、若い人達の中には支援金を頭金に、別の場所に新しく家を建てたり、団地を離れる方もいて、最終的に入居するのは80戸まで減る見込みです。
私が今住んでいる仮設住宅は55戸建設され、現在は51戸に入居。みなし仮設から新たに転居された方もいますが、人の出入りに大きな動きはありません。自宅を元の場所に再建するか、災害公営住宅に入るかまだ悩んでいる人も多いということなのではないかと思います。
以前は集会場で頻繁に飲み会やイベントなどをしていましたが、最近は隣近所の繋がりもある程度でき、それぞれ生活のペースが安定してきたからなのか回数は減りました。今は外からボランティア団体が来ることもほとんどありません。ちょっと寂しいですね。
でも、名古屋の皆さんには会いたいです。あったか味噌汁プロジェクトでおわんを頂いたり、集会場でのだご汁作りや陶器市も懐かしい。皆さんが仮設を訪ねてくれたらみんなとても喜ぶと思います。
★Bさん(女性/70代/在宅で生活)
もう2年経つんですね。今日テレビをずっと見てましたけど、どれを見ても益城町の様子ばかり取り上げられているんですよね。御船も被災地であることには変わりないのに、なんだか複雑な思いがします。最近気持ちが沈みがちです。地震の直後は私もボランティアとして、地域を回って物を届けたり、仮設住宅の見守りにも積極的でした。今も被災の傷みを感じるし、地域を盛り上げなければという気持ちが無くなったわけじゃない。でも、「さぁ、もう一歩進むぞ!」という持ちがなかなか沸いて来ないんです。
ここ最近、周囲で亡くなる人も多いです。それがすごく寂しい。普通なら80代でも元気に暮らしている人が多い地域なのに。ある方は立派な家をせっかく再建したのに、入居後間もなく倒れて亡くなりました。地震の直接の影響じゃないかも知れないですが、避難生活の苦労が引き金にはなっているかも知れない。「震災がなかったら・・・」と思わずにはいられません。「震災で人生が狂ってしまった」と感じる人は、自分も含めて少なくないのではないかと思います。
★Cさん(女性/70代/修繕したアパートで生活)
もう2年・・まだ2年・・。なんとも言えない気持ちです。私は避難所を出た後、大家さんの声かけもあり、仮設住宅には入らず、半壊したアパートに戻りました。その時は水道や電気も不通で、近くの店も開いていない。タクシーも通らなかったので、本当に大変な生活を強いられました。支援は仮設住宅や避難所に残っている人たちばかりで、私達のような者の所には誰も来てくれなかったし、生活物品も全て自分たちで調達しなければならなかった。完全に支援の隙間に入ってしまったのだと思います。
一緒に避難所を出た人の中には十数人の高齢者がいて、同じ思いをしているのではと心配になり、様子を見に行ったり物資を分け合ったりして支え合いました。今も13人の方と交流を続けていますが、皆さん自宅で落ち着いた生活を取り戻しています。
私の住むアパートはみなし仮設住宅としても利用されています。若い人が多く、生活の時間帯も違うので、その人たちとの交流はほとんどありません。お隣にどんな人が住んでいるのか分からないのはとても不安。今まで鍵などかけたことは無かったけど、最近は戸締りに気をつけるようになりました。震災前とアパートの様子も様変わりしました。
夜寝るときには、必ずリュックと懐中電灯を置いて寝ています。
沢山のものを備蓄するのはいいことだけど、直後避難する時は懐中電灯と携帯電話ぐらいしか持って出られないことを分かっていて欲しい。それぐらい激しい揺れなのです。
特に赤ちゃんやお年寄りがいるお宅は、家族の身の安全を守るので精一杯になると思います。私はティッシュ1枚持ち出せずに避難し、トイレの時に困りました。でも、きちんと準備さえしていれば、後から取りにいくことはできます。だからこそ、車のトランクや玄関先、倉庫など、取りやすいところに防災グッズを置いておくことが大切だと思います。
80代の姉は今でも「恐怖心が抜けない」と言っています。私も人間の嫌な面も何度も見たし、あの時のことはやっぱり忘れられません。
でも、こうやって話を聞いてもらえるだけで救われます。私達にこういう話を心置きなく話せる場所が無かったんです。あの時はグチャグチャだったけど、今だったら話せる。先日も名古屋方面が揺れて心配していました。
次の災害で私達のように苦労する人がなるべく減るように、RSYさんにも頑張って欲しい。私の震災の体験が少しでも役に立つのであれば、当時のことは何でもお話したいと思っています。