dcセントラルキッチン その4

先週16日木曜日は、午前中から夕方にかけて雪が降りました。
名古屋でもめったに積らないので、少し興奮しながら家路につきました。少し遠くまで歩いてみようとも思いましたが、6カ月前に骨折した左足首のことを思い出し、「調子に乗ってはいけない」と自制して、宿舎の玄関前で写真を撮るにとどめました。
SNOW.JPG
さて、先週土曜日はdcセントラルキッチンのボランティアデーです。
今回は、インドネシア人のボランティアグループを中心に約30名が集まりました。
このグループの大半は子どもが占めており、リーダーの方に挨拶をすると、「1カ月に1回の割合で来ている」とのこと。そういえば、先月も沢山の子どもが参加していた日がありましたが、同じ団体からのようでした。
今回私はトマトのスライスとサラダづくりの担当です。
賑やかな子どもたちと一緒のグループになりました。メンバーほとんどが11歳。まずはスタッフがデモンストレーションでトマトの切り方を教えます。
children1.JPG
子どもたちにとっては、大人用包丁でのヘタ取りが特に難しかったようで、手を切りやしないかとこちらはヒヤヒヤ。何度かやり方を教えながら、後半はかなり上達していました。さすが子どもは飲み込みがはや~い!
日本だったらもっと手取り足とり、ピリピリこまごまと教えるだろうなと思いますが、こちらはたまに声はかけるものの基本は子どもとボランティアの主体性まかせ。若干のカルチャーショックを受けましたが、その方が子どもも伸び伸びと活動できているようでした。
15分のブレイクタイムでは、個人で来ていたボランティアさんが、キッチンのスタッフについてこんなエピソードを話して下さいました。「ここにいるスタッフのほとんどは、ホームレスになる前に刑務所に入っていたのよ。Hさんは20年の刑期を終えて出所したものの、結局働く場がなくホームレスにならざるを得ず、その時にキッチンと出会った。その後は見ての通り、まじめに一生懸命働いている。彼は人生をやり直したの。ここはそれが実現できる場なのよ」と。
とても感動的なお話でした。Hさんはいつも私に何かと声をかけてくれる方です。彼は、子どもや年配者等の幅広い年齢層、人種、立場の違うボランティアとの関わりの中で、いつも丁寧に人と接している姿が印象的です。私のこれまでの経験からも、「想いと行動」を最優先に人を見るという団体の雰囲気は、来るものに何とも言えない安心感を与えてくれます。
なぜ「また来たい」と思うのか・・・、その答えの一つがここにあるような気がしました。
Hさんのエピソードを話して下さったボランティアさんと記念の一枚。
いつも三角きんとエプロン姿のこんな恰好で厨房に立っています。
もう少しなれたら、次は食事を直接ホームレスの方に届ける活動にも参加したいと思っています。
volunteer1.JPG

ワシントン DC 日米協会  その2

ここのところ記事にはアップしておりませんでしたが、11月から週に2日、ワシントン DC 日米協会 にボランティアに行かせて頂いています。
平日にコンスタントに来ているボランティアは、常時2~3人ぐらいですが、事業やイベントを開催する際には多くの人々がボランティアとして集まるそうです。
だいたい私は今のところ、簡単な事務仕事のお手伝いをしています。
パソコン入力、発送物のラベル貼り・折り・封入、日本語教室で使うテキストづくりなどです。
今日はようやく手に入れたデジカメで、室内の写真を撮ってきたので少しご紹介します。
情報コーナーには、ワシントン DC 日米協会 のイベント等の案内、日本保育園のパンフレットや日本語のフリーペーパーなどが置かれています。
J&A1 101214.JPG
この場所ははボランティアしたいと思う人にとっては、最初にチェックしたいところ。
ここへ来た初日に私もチェックしましたが、「初めてのボランティア」という目で見てみると、整理整頓はさることながら、どんな情報がどこにあるのか一目でわかる工夫の大切さが改めて分かりました。
次にボランティアが活動する部屋。
仕事の必要性に応じて、パソコンが自由に使用できるようになっています。
大がかりな作業は、大きなテーブルのある別室のミーティングルームで行います。
J&A2 101214.JPG
専従スタッフの方と、データーベースでの会員管理の方法や、レイアウト・整理整頓など使いやすい環境の整備、平常時のボランティアのコーディネートなどについて意見交換をしましたが、抱えている悩みは一緒だなと感じました。
さて、ここでちょっとおまけ。
DCのクリスマス風景をご紹介します。
私の寮の最寄駅、「Union Station」の構内に大きなクリスマスツリーが飾られています。
大体目にするクリスマスツリーは、シンプルなタイプのものが多いように思います。日本では、赤・緑・青・白などの電飾がギラギラしているイメージが強いですが、lそれと比較すると飾り付けは、白のライトにアメリカの国旗のみのシンプルさ。
X'MAS TREE.JPG
また、先日食料品店に買い物に行ったところ、店先に本物のもみの木が売られていました。ちなみにお値段は、約50ドルとお手頃。日本だったらとても家の中に飾れるサイズではありません。(我が家だけ?)でも、次々と売れていました。
購入後は、車の屋根に乗せて家まで運搬。
こんな風景、日本じゃあまり目にしませんよね?
TREE.JPG
TREE CAR.JPG
DCでは昨夜、早くも初雪が降りました。寒いわけです。
今年はロマンチックなホワイトクリスマスを過ごせるかしら?

dcセントラルキッチン その3

今日は土曜日。セントラルキッチンでのボランティアデーです。
いつものように9:00にミーティングルームに入ると、既に10名ほどが集まっていました。
今回の参加者は全て大人です。
数名の方に所属などを尋ねると、8名が行政からの委託事業を受けているIT関連会社のボランティアグループ、そして私を入れて3名が個人で参加しているということが分かりました。
今日は、1.サラダづくり2.豆のスープづくり3.野菜・肉のカッティングの3つの役割に分かれて作業開始。巨大寸胴が3台並んだコンロでは、絶え間なく豆スープが作られています。
今回は約500名分のスープを作るとのこと。1つの寸胴に材料を継ぎ足しながら、2~3回に分けて、トレイ18皿分のスープが出来上がりました。
dc soup2.JPG
dc soup1.JPG
私はまたまたカッティングチームに配属されました。おかげで包丁さばきはここ最近、かなり上達しているように感じます。最初に小ぶりの新じゃが200個ぐらいをひたすら細かく切り、次にローストビーフを一口サイズに切りました。
隣で一緒に作業をしていた方に話しかけると、彼女は薬剤師さんで、行政からの依頼でハリケーン・カトリーナの被災地で支援活動にあたった経験もあるとのこと。私もRSYの仕事について話をすると、「同じようなことをやっているのね」と興味を持って聞いてくれました。私が色々な市民活動を体験してみたいと言うと、ボランティアの斡旋団体なども紹介してくれ、よい情報収集の場にもなりました。
ちなみに「このローストビーフ、普通で買うといくらぐらい?」という私の質問に「これは結構高いわよ。多分2500円ぐらいだと思うわ。質もいいし、私が食べたい」と言っていました。しかし、これも全て無料。寄付で集められているのです。つくづく素晴らしい仕組みだと思います。
そして今回嬉しいことが一つありました。
セントラルキッチンのスタッフが私のことを覚えてくれたのです。
前回風邪で休んでいけなかったことに対し、「この間来なかったけどどうしたの?」と開口一番声をかけてくれました。私は緊張もあって、過去2回の活動ではほとんど周りの人と話すことができませんでした。
東洋人が少ないということもあったとは思いますが、それでも、そんな私のこともちゃんと見ていてくれたということが、何より嬉しく感激しました。
今日は、とにかく一言でも、二言でも周りの人と話すことを目的にしていたので、勇気をもって何人かの人に話しかけたところ、思った以上に気さくに私の質問に答えてくれました。
発音が悪かったり、文法もめちゃくちゃだったろうと思いますが、不思議なことに、それでも私の言いたいことは大方伝わっているのです。そして相手の言っていることも何となくわかり、10分程度の会話が何とか成り立っていたことに、わがことながら驚きました。
スタッフの話しによると、セントラルキッチンには総勢100名を超すスタッフが働いているとのこと。それぞれ、食事を作る人、食材を運ぶ人、ホームレスの方々に配る人などいくつかの役割が与えられています。業務の一部は、トレーニングを受けたホームレスの方自身が担っているというのが、この団体の大きな特徴でもあります。
そんな話を聞きながら、私も日本での仕事のことを話しました。しかし最後に思わず、「でも私は英語がなかなか上達しないから・・・」とポロリ。すると彼は「俺がもし日本にいたら、日本語全然分からないだろうから、一緒のことだよ。お前だけが特別じゃない。心配すんな。」と笑顔で言ってくれました。
その一言で、今までカチカチだった肩の力が少しだけ抜けたような気がしました。
そして帰り際、「今度はいつ来るんだい?」と言った彼の言葉が、「そのままのお前でいいんだよ」と言ってくれている気がして、自然に心が緩んで行くのを感じました。
他にも私の質問に、私が分かるまで付き合ってくれたスタッフもいて、ここにはちゃんと「人」を見ているスタッフがいるということを実感しました。私が救われたように、ここに居場所があると感じて、今まで救われてきたホームレスの方々の姿が目に浮かびました。
まだまだ入口にしか立ててないですが、この団体はとても奥の深い活動をしていると感じます。
来週のボランティアデーでも、小さいくてもいいから、新たな発見と前進がありますように。

dcセントラルキッチン その2

前回は活動に参加するので精いっぱいで、写真を撮る余裕がなかったため、今回は写真付きでもう少し詳しく活動内容を紹介したいと思います。
先週は風邪のために行けませんでしたが、11月27日(土)の活動では、前回を上回る約50人の参加がありました。主な顔ぶれは小学生から中学生とみられる子どもたち。朝9時にミーティングルームに集まり、オリエンテーションが始まるのを待ちます。「準備はいいかい?」というコーディネーターの言葉に「Yes!!」と元気に答える子どもたち。
dc assembiy.JPG
dc orientation.JPG
今回のオリエンテーションでは、特に包丁の扱い方を入念にやっていました。
厨房は人が大勢入ると狭く、危険なものも一杯あります。子どもたちが多いということもあり、安全対策にはかなり気を使っていたようでした。
包丁を人に向けないこと、持ったまま絶対に移動しないことなどを、ジェスチャーを加えながら丁寧に説明していきます。
そしてコーディネーターの「Let’s go!」の言葉を合図に一斉に厨房へ移動します。
今回の仕事は1.シリアルを小袋煮詰める2.野菜や肉をカッティングする3.大なべでスープを作る4.サンドイッチを作る、というように大きく4つのパートに分かれていました。
小さな子どもは袋詰め、大人や中学生などは野菜のカッティングというように、年齢に応じてできる役割が上手い具合に振り分けられていきます。
dc cooking.JPG
そんな中、腕にギブスをはめた小学生の男の子の姿がありました。
最近のギブスはカラフルで、彼の赤いギブスには、おそらく友達のものと思われる文字がぎっしり書かれていました。ギブスに一言書きこむという文化は日米共通だなぁとほほえましくみていると、彼はほうきとちりとりを持って、足元におちた野菜くずなどを、ささっときれいにしてくれました。
その様子を見て、それぞれの状況に合わせて活動に参加できる環境を上手に作っているなぁと感心しました。私の周りにはふざける子どもはほとんどなく、みんな楽しそうに最後まで自分の仕事をやっています。だいたいブレイクタイムを挟んで2時間の活動ですが、飽きずに取り組めていました。
私はミディアムレアに焼かれたビーフを一口サイズにカットしたり、ジャガイモの皮をむいたり、パンとチーズとハムでサンドウィッチを作ったりと、いくつかの仕事を転々をやらせてもらいました。しかし、本当にすごい量の食材が集まってくるものです。普段レストランやホテルに卸されている食材なだけに、品質や鮮度も悪くありません。実際この大量の食材を目の当たりにし、セントラルキッチンのような団体が無かったら、そのほとんどが廃棄処分になっていたかと思うと、「食のリサイクル」という発想の有効性に改めて感心しました。

感謝祭

長患いだった風邪を大方撃退することができ、今日からようやくいつも通りの生活に戻りました。ご心配頂いた皆さま、ありがとうございました。
ブログもやっと再開です。
しかし、今回の風邪は本当に長かった。
約1週間、ほとんど部屋から出ずにいたら、季節が秋から冬に変わっていてびっくり。
DCの冬はとにかく寒く、1月~3月はマイナス0℃を切るらしいので、寒がりの私は今から寒波の到来に恐れおののいております。
さて、もうすっかり過去のこととなりましたが、去る11月25日(木)は感謝祭(Thanksgiving Day)でした。
これは、アメリカとカナダの祝日の一つで、アメリカでは全米が休日となるナショナルホリデーとして位置づけられており、毎年11月の第4木曜日がその日に当たります。
この日は、遠方に住む家族や友人が大集合して、盛大な食事会が行われます。語学学校の先生いわく、「感謝祭は自分にとって1年のうちでもっとも大切な行事。身近な人たちへの感謝と絆をより深める日。クリスマスよりも、ニューイヤーよりも重要なんだ」とのこと。そんなアメリカ文化の一大行事に参加してきました。
私には、今回の渡米にあたり、足を向けて寝られない程お世話になっている大切な友人夫妻がいます。彼らはメリーランド州に住んでいるため、普段は少し離れていますが、現地での私の一番の心の支えとなっている方々です。
今回は、ご主人のご実家に2泊3日でお世話になりました。
さすが、盛大な食事会というだけあって、当日集まったのは、ご主人のご両親、お姉さん家族、ご両親の友人など15名。
日本でいうお正月かお盆を過ごしているかのようでした。
さて、感謝祭の朝は台所から聞こえるお料理の音で目覚めます。
朝早くから、家族総出で夕食の準備に取り掛かるのです。
私も非力ながらお手伝いさせて頂きました。
helping.jpg
サラダ、スープ、マッシュポテト、ソース各種、デザートのかぼちゃ・なし・りんごのパイ・・・沢山の料理が次々と作られていきます。そして最後にメインの七面鳥が登場。
2時間以上巨大オーブンで焼き続け、こんがり見るからにおいしそうな七面鳥を家の主が
切り分け、盛り付けます。フォークとナイフを使い、手術さながらに解体していく姿を見て、思わず主に「ドクター!」と叫ぶ私。そして主は私に「ナース、メス!」と叫び、無事に手術・・・いや、盛り付け作業は終了しました。
odoroki.jpg
食卓もキャンドルと秋をモチーフにしたオーナメントできれいに飾られ、「これぞアメリカ!」と心の中で呟きました。
お祈りをして、いよいよ実食。
どれもこれも、素晴らしくおいしいお料理でした。
dinner.jpg
家族みんなで食卓を取り囲み、友人のご両親もとてもうれしそう。
1年に一度、家族や友人たちとの「絆」を再確認し、互いに感謝し合うという、とても大切な日であることがよくわかりました。同時に、日本の家族や友人の顔が重なり、少しセンチメンタルな気持ちにもなりました。
最後に、私のアメリカの家族を紹介します。
友人ファミリーです。彼らと出会ってかれこれ13年。
family1.jpg
私にとっての感謝祭は、彼らとの縁と絆を再確認し、感謝するためのものだったかも知れません。

ふたたび・・・

風邪がぶり返してしまいました。
新しい記事を少しずつアップしていくとお約束しておきながら、実現できずにすみません。何人かの方から、ご心配の声も頂戴しておりました。
今回の風邪は結構くせもので、「良くなったかな~」と思っていると、急に咳が沢山出たりと思わせぶりなところがあり、なかなか早くすっきりさせてくれません。
こういう時は、さらっとおかゆとか、つるっとあったかいうどんなど食べたいものですが、なかなかすぐには手に入らないものです。近くにコンビニでもあればとも思うのですが、そういうお店はここにはありません。自動販売機ですら、道端で見ることはほとんどないのです。これには文化の違いを感じました。
お弁当を買いに行くのでも、徒歩15分ぐらいの駅のフードコートまでいかなければならないのでとっても不便。しかも、私の求める「さらっとしたもの」は皆無。
こういう時を考えて、日本食を買ったら、欲望のまま食べ尽くすのではなく、ちゃんと緊急時用に備蓄しておかねば!と反省しました。RSYの心を忘れておりました。
とにかく思わせぶりなこの風邪を早く断ち切るために、思いきって今週はこのままブログはお休みさせて頂くことにしたいと思います。
また来週、元気な報告をみなさんにお届けしたいと思いますので、引き続きよろしくお願い致します。

お久しぶりです

しばらくぶりの更新です。
日本はすっかり冷え込んできていると聞いております。
DCは今日は雨。
街路樹の銀杏の木の下に、クリーム色の実がコロコロと転がり、黄色い葉もはらはらと落ちて、こちらも一歩一歩冬へ近づいていることを実感します。
実は、先週のサンクスギビング(感謝祭)から戻った後、ここへ来て初めて風邪をひいてしまいました。それで、しばらくブログが滞ってしまった次第です。
日本から持参したお薬も飲んではいるのですが、おもいのほか治りが遅く(歳のせいにはしたくありませんが、否めず)療養しておりました。
少しずつ回復に向かってはいるものの、よくなってはまた悪くなりを繰り返しているので、あまり無理はできないと思っております。
ブログで皆さんにお会いできなかった間、感謝祭をはじめ、セントラルキッチンやワシントン DC 日米協会 でのボランティア活動の様子など、報告したいことは沢山ありました。
明日から少しずつアップしていきますので、お時間の許す限り、またお付き合い下さい。
皆さんも、何とぞ風邪と怪我にはお気を付けて。

DCセントラルキッチン

今日は、今回の研修プログラムの目玉のひとつ、『DCセントラルキッチン』へボランティアに行ってきました。
これが、DCセントラルキッチンの専用車両。
この車両がDCや隣接する州の一部を走りまわり、毎日食材を集めたり食事を運んでいます。
DCCK.JPG
この団体はホームレスの食料支援を主な活動目的としており、その他にも食のリサイクルやホームレスの若者の就業支援などにも力を入れています。
ここでは、ボランティアを毎日午前9時~12時、午後5時~20時の時間帯で募集しており、4500食の食事を提供しています。
私の場合、午前中は学校、夜の時間帯は暗くて危険という状況から、当面、土曜日の午前中を固定日にしてお手伝いさせて頂くことになりました。
前もって、オフィスを直接訪問してボランティア希望の旨をコーディネーターに伝えました。その後、コーディネーターより、集合場所・時間・服装・諸注意などが書かれたメールが送付されてきました。
今日は指示通りに8:45頃オフィスに到着し、その後ボランティアミーティング室に案内されました。申し込み用紙にサインをし、時間になるまでしばらく待機。50代~60代の方、20代の若者、子連れのお父さん、引率の先生と一緒の小学生から高校生ぐらいまでの子どもたちが続々と現れ、総勢30名がそろいました。
オリエンテーションでは、団体の歴史や日々の活動の様子、食材のほとんどが寄付で賄われていることや諸注意などが15分程度で説明されました。
その後、二人のボランティアコーディネーターがその場でチーム分けをし、仕事を割り当てていきます。この仕組みは被災地でのコーディネーション業務とよく似ています。
今日の私の仕事は人参の皮むきとカッティングでした。
10人がこの仕事に割り当てられました。
5人がピーラーでひたすら皮をむき、5人がひたすらイチョウ切りをします。
開始時間は9:30頃、終了はブレイクタイムを15分程度挟んで11:50でした。
私たちが人参と格闘している傍らで、キッチンの調理スタッフがおいしいそうな食事を仕上げていきます。今日のメニューは、いもとインゲンのボイル、魚のソテー、パスタ、ビーフの薄切り、チキンなど、手が込んでいて見た目もゴージャス。
ちょっと味見したい・・・と思いつつも、私は自分の仕事に励みます。
ここの調理は、調理師免許のある(あるいは見習い中の)ホームレスの若者が担当しています。ヒップホップやポップミュージックが流れる中、時には大きな声で笑い合いながら、明るく楽しい雰囲気で作業が進んでいきました。
ボランティア一人一人にも気さくに声をかけてくれ、「また手伝いたいな」と思えるような対応でした。また、食べ物を取り扱っていることから、衛生管理にはとても厳しく、手洗いはもちろん、使い捨ての手袋、エプロン、キャップが各自に支給されました。
ボランティアの顔ぶれも様々で、いちげんさんもいれば、継続的に関わっている方もおり、どんな人でも参加しやすい雰囲気でした。
ボランティアコーディネーションの手法やそのための準備、雰囲気づくりの工夫など、学べる点が多々あると感じます。特に、目的が「ホームレスの人々への食の提供」とはっきりしており、作業内容も簡単なので、子どもも大人もその場にやれることがある、成果が見えやすくやる気になりやすいというのが、一番の関わりやすさなのではないかと思います。言葉の不自由な私でも、それを後ろめたく思うことなくしっかりお手伝いができました。
このような、なんでもウェルカム!と言った雰囲気はどうしたら作れるのか?
そして、これだけの作業を沢山のボランティアを集めて毎日とりまわしていくための工夫やドネーションの構造、どうして多くの人々がこの団体に関心を持ち、ボランティアとして集まってくるのか?など、知りたいことは山積みです。

おすそ分け

今日は嬉しいことが2つありました。
2人の方からちょっとしたおすそ分けを頂いたのです。
sashiire.JPG
一つはおにぎり。同じ宿舎に住んでいる日本人の女の子が、出来立ての温かいおにぎりを今朝わざわざ私の部屋に届けてくれました。彼女は小さな炊飯器を持っているらしく(私は電力の関係で使ってはいけないと思ってこれまで購入を控えていたのです。)もちもちのおいしいわかめおにぎりをにぎってくれました。おにぎりそのものもありがたかったのですが、「日本食に飢えている」と以前に言った私の言葉を覚えてくれていて、わざわざ時間をさいて作ってくれたという気遣いが、それ以上に嬉しくありがたく感じました。彼女は昼食用にとくれたのですが、我慢しきれず朝食時に頂いてしまいました(笑
二つ目は、グルジアの伝統菓子「チュールチヶラ」です。
tama.JPG
グルジアから来たクラスメイトの女性が、授業の後に手渡してくれました。
このお菓子の主な原材料はブドウです。ブドウと少しの小麦粉を一緒に煮詰めて、冷やした後に生地を広げて、中にナッツを入れて細長く巻きます。そのあと、食べやすい長さに切ってから、一つ一つのパーツを糸で繋ぎ、1カ月ぐらい干すのだそうです。これにより甘さが倍増し、おいしい「チュールチヶラ」が出来上がります。
ブドウの天然の甘さにちょっぴり酸味が合わさったとてもシンプルでさわやかな味わいです。またナッツの香ばしさによって味にさらに深みが出て、何個でも食べられそう。グルジアでは、おばあちゃんが子どもたちのためによく作るのだそうです。大人はもちろんですが、小さな子ども達もこのお菓子が大好きなのだそう。日本の干し芋のような存在に近いかも知れません。
彼女は3人の子どものお母さんなのですが(もうすでに皆さん独立されているそうです)、母親の温かみというか、おおらかさというかそういうものを持っている方で、いつも温かく接して頂いています。多分話しの内容はお互いに60%ぐらいしか理解できていないと思うのですが(もちろん私の英語レベルが低すぎて)、それでも最後まで辛抱強く私の話を聞いてくれるし、穏やかな方なので、一緒にいて安らげるとても貴重な存在です。
そんなわけで、今日のテーマは「おすそ分け」でした。
おすそ分けはちょっとした気遣いから引き出される行動の現れですが、「一人じゃないんだな」という安心感や温かさを実感させてくれます。その行為は言葉以上に、人のまごころを相手に伝える大きな力を持つこともあると思います。言葉だけではなく、想いは形にしてこそ、また、行動に移してこそ相手に伝わるということを、改めて教えて頂きました。

夢にまで見た・・・・

金曜日から土曜日にかけて、日本の某大学教授・A先生とそのお弟子さんに会うことができました。
お二人にはこれまで、日本の様々な被災地支援の現場で、随分お世話になっています。そしてA先生は、私の渡米行きを最初に提案して下さった方でもあります。メールのやり取りはしばしばあったものの、実際に会うと感動もひとしお。なつかしいお顔とお土産の日本食や日本語新聞を前にした時、久しぶりに胸が高鳴りました。
2日間、先生のリクエストに応じてミュージアムやモニュメントを見学するべく、DCの中心地を歩きまわりました。普段一人では少し行きづらい場所もいくつかあったのですが、今回の同行で、私もかなりDC通になりました。映画「ナイトミュージアム」にも登場した、アメリカの誇り・リンカーンの巨大石像の前で記念の一枚を撮りました。
dr.atsumi.JPG
特に最後の訪問場所であった「ホロコーストミュージアム」はとても衝撃的でした。
1933年から始まったナチス・ドイツのユダヤ人迫害について取り上げた展示です。小さな子どもから、ティーンエイジャー、お年寄りまで非常に多くの人々が訪れていました。ナチスの惨劇を通じて、米国と日本、それぞれが過去に犯した過ちや罪についても深く考えさせられました。とにかく「命は等しく平等である。失われてよい命などこの世に一つもない」ということを、私たちは訴え続けるべきだと改めて感じました。(ここで詳しく説明するのはあまりにスペースがないので、またの機会とします)
ただ、少し違った角度から見ると、RSYのミッションの一つである「過去の災害を忘れない」を考えた時、一つ一つの出来事を、老若男女問わず多くの人々の心になるべくまっすぐに届け、伝え継ぐための具体的な方法については、参考になる部分が多々あったと感じます。A先生の研究テーマでもあるそうですが、展示の方法はもちろんのこと、犠牲者からのメッセージの届け方、観覧者への問いかけ方など、よく工夫されていました。
そして、夜は久しぶりの日本食レストランへ!
焼き魚、イカ焼き、串盛り合わせ、きんぴらごぼう、海藻サラダ、カキフライ、そして極め付けが焼き肉!白いご飯とみそ汁と共に口に運んだ一口がもうたまりませんでした。
夢にまで見た日本の味。心行くまで堪能しました。
satuma.JPG
また、夜は冷えた足を足湯で温めました。
A先生のお弟子さんのM君が、足湯の効能を改めてレクチャーしてくれたのです。
知らず知らずのうちに、疲れと緊張が蓄積した体を見かねてのアドバイスでした。
10分間の足湯で、体中ポカポカ。とてもよく寝れそうです。
機会があれば、アメリカの皆さんにもぜひトライして頂きたいと考えています。