ワシントン DC 日米協会 に行きました!

今日はワシントン DC 日米協会 で、初めてのボランティア活動をしてきました。
このNPOは、以前ブログでも紹介した日本図書館と同じビルに入っていたため、図書館の方が紹介してくれたのです。
主にはその名の通り、日本とアメリカの交流を目的にした団体で、日本語教室や日本文化にまつわるセミナー、アメリカの高校生を対象にした交流会の企画・運営、イベントの開催などを行っています。
4月に「さくら祭り」という50年の歴史を誇る大イベントが開催される予定で、その準備のためのお手伝いを募集していました。このイベントの来場者数は毎年16万人、これに対してボランティア600人、コーディネーター60人、総予算額3000万円の体制で運営しているとのこと。事務局スタッフがたった4~5人しかいないのに、どうしてそこまでの運営ができるのか、ボランティアの募集やコーディネート方法、企画の立て方など、ぜひ勉強させて頂こうと思っています。
しかも、予算の3000万円はほとんど企業からの寄付で成り立っているとのこと。
歴史があり、毎年入場者数も多いため、企業側から寄付の申し出を受けることも多いようです。寄付制度の仕組みや、継続的な支援を受けるための工夫、アフターケアなどについても大変興味があります。
とりあえず今日は初日だったので、近々企画されている会員向けディナーパーティーの企画の一つとなっているオークションの資料づくりを手伝いました。オークションの品物は全て企業からの寄付で賄われています。どの団体もだいたい100ドル以上の品物を提供していました。職種も航空会社やレストラン、ホテルなどと多岐にわたり、中には日本の航空会社も入っていました。うらやましい限りです。
とりあえず、これからどんなお手伝いができるか分かりませんが、ここでの生活もまずはようやく第一歩を踏み出せたという感じです。
当初予定していたホームレスの方々への支援団体「DCセントラルキッチン」は、活動時間が合わず調整中でした。こちらはサマータイムが終了後、5時半頃にはすっかり暗くなるため、夜遅くの帰宅となると危険が伴います。
日本では、業務終了時間後会議→一杯飲んで→帰宅というパターンでしたが、ここはアメリカ。同じようにはいきません。しかも、私の宿泊施設がある場所は、DCの中でもデンジェラスエリアの境界にあるという事実を、昨日知りました。。。汗
周囲で長期滞在している方からは、「とにかく暗くなったら外にでないこと!」と口が酸っぱくなるほど言われているので、そこはしっかりと肝に銘じて行動したいと思います。
というわけでセントラルキッチンでは、土曜日の午前中の時間枠で活動する予定でおります。

時差14時間

11月7日午後2時に、サマータイムが終了しました。
これによって、日本とワシントンDCの時差が1時間広がり、14時間となりました。
ちなみに写真右下のPCが日本時間11月9日午後の時刻、腕時計がワシントンDC時間11月8日午後の時刻です。
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日本ではなじみがありませんが、サマータイムとは、夏の間の日の長い期間に、時計を1時間進めて昼の時間を長くする制度です。欧米を中心に世界の約80ヶ国で実施されています。長くなった時間で余暇を楽しむことができ、照明や冷房の省エネルギー対策としても期待されているとか。
長くなった時間で余暇を楽しむ・・・なんて発想はあまりなかったですねぇ。日本にもしサマータイム制度があったら、長くなった時間で「今日の仕事が片付く!」と、結局は仕事に時間を費やしてしまいそう。結果的に過重労働に追い打ちをかけるとみなして、日本ではとりいれていないんでしょうか。。。(でも個人的には助成金の応募締め切りがギリギリの時などはとてもありがたいと思うのですが、貧相な発想かしら?)
その、サマータイムがこの度終了したので、1時間進めていた針を1時間戻したわけです。切り替え当日は、「1時間長く寝られる~」と宿舎のみんなは喜んでいました。
もし、このブログを読んでDCに想いを馳せて下さる方がいらっしゃれば、「今何時頃かな?」とそっと思い浮かべてみて下さい。日本時間の昼夜を逆転させて、2時間戻した時間、それがDCの現地時間です。浦野が大口開けて爆睡してるだろうな~とか、学校でヒーヒー泣いてるんだろうな~とか、思い浮かべて頂ければ幸いです。

幸運を願って2

今日は語学学校のテストのでした。
テストなんて10年ぶりぐらいでちょっと緊張しましたが、私は超初級クラスなので、1時間半程度のリーディングとヒヤリング、スピーキングの簡単な内容でした。
結果はあえて書きませんが、何とか終わってホッ。
そして、1カ月間一緒に勉強したクラスメイトが、また一人、プログラムを終えてロシアに帰る日でもありました。なかなかコミュニケーションがとれない私に気楽に話しかけてくれたり、日本のことに興味を持って色々聞いてくれた人でした。
ほぼ1カ月毎日のように顔を合わせていたので、来週から彼女がいなくなると思うと寂しさがこみあげてきました。
そこで、出会いの記念にまたまた恒例の(?)折り紙小物をプレゼントしました。
小物入れのふたに「幸(happy,peace)」「愛(love)」と筆ペンで書いて、鶴の親子を入れました。
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手渡すと、「amazing!」といって、抱きしめてくれ、一緒に記念写真をとりました。(肩を並べてとったはずなのに、顔の大きさが1.5倍も違うことに若干のショックを受けましたが)
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一つひとつの出会いが、自分に学びと気付きを与えてくれます。
「一期一会」の気持ちと感謝の心をいつも忘れずに、ここでの時間を大切に過ごしていきたいです。

ふとした光景

ここワシントンDCでは、車椅子の方をよく見かけます。
1日数回は必ずすれ違います。
歩道を電動車いすでまっしぐらに進む人もいれば、自分の体にぴったりと合わせた手動の車いすで、坂道を一気にこぐ姿などもあります。
このような方々のほとんどのケースが介助者がいないというパターン。
一人でもある程度行動できるまちの作りや人の動きになっているのです。
私の渡米前の情けない骨折経験からすると、日本で(名古屋で)車椅子生活を送る場合、地下鉄でも、スーパーでもどこでも大体介助者の手が必要になります。でも、DCの場合、まず地下鉄のホームと車両の間に段差がないため、日本のようにいちいち駅員さんにスロープをお願いしなくてもよいし、エレベーターも完備しています。
道路はぼこぼこの場所も多いけど、路の切れ間には必ずスロープがついているので移動はスムーズです。日本の場合、スロープがあるところと無いところがあるため、ちょっとした段差で先に進めなくなるのではないかという恐怖感がいつもあります。
また、辛そうに坂道を上がる人を見つけると、必ずどこからともなく人がやってきて手伝います。今日もバスに乗ろうとしていた車椅子の方の周りに4~5人が取り巻いており(みんな他人だと思われる)、「先に乗せてやれよ!乗りやすいところにちゃんと車を付けろよ!」など、本人の代わりに運転手に訴える声が聞こえました。
頼まれてもいないのにすぐ手を貸す。頼まれてもいないのにすぐ声を出す。これぞ、アメリカ式「おせっかい」の一つの形です。
地下鉄に高齢者が乗ってきたら、必ず若い人は早々に席をゆずります。私が今まで遭遇した中では、席譲り率は100%でした。そこに関わる全ての人が、ごく当たり前のこととしてやっているように見えました。(中には若い女性から席を譲られたおじいさんが、「レディーファースト」とい言って、かたくなにその席に座らなかったというパワーンもあったけど)。
日本だと、周囲の目が気になって恥ずかしい、かえって相手が嫌な気持ちにならないかしら、など深読みをするがあまり、なかなかここまでのオープンさはないのではないのでしょうか。もちろん双方にそれぞれ善し悪しはあると思いますが。。。。
でも、この光景にはいつも感心させられます。

I Love Japan

最近どうしても日本食が食べたくなり、昨夜ネットで検索したところ、「はな」という日本食のスーパーがヒットしました。
今日、早速そのお店に行ってきました。
住宅街の一角にひっそりたたずむ小さなかわいい店構え。
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中に入ると、日本人らしき年配の男性がレジに立ってニコッとほほ笑んでくれました。
私も微笑み返しつつ店内を物色すると、なつかしいお菓子、調味料、レトルト食品、野菜など豊富な品ぞろえ。久しぶりに見た納豆は、即カゴの中へ入れました。
このお店は開店から2年目を迎えたばかりで、店主さんは日本人でした。いつからDCへ?という質問に「もう40年になります。でも私は日本人です。」と答えて下さいました。
その「私は日本人です」という言葉に妙にジーンとしてしまいました。
日本にいる時には、自己紹介の時に「私は日本人です」なんてことはまず言わないですよね。でも一歩海外に出ると必ずその言葉を口にすることになります。
「私は日本人です」
この言葉は、同時に自分が日本人であることの誇りや自覚、ここにいる他者との違いを感じさせてくれます。そして、日本を外から見るということは、自分自身を外から見つめ直すということにもつながります。
ということで、これが今日の戦利品です。
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早速白いご飯に梅干し、味噌汁の昼食を食べました。
はぁ~、生き返った~。
I Love Japan!

渡米から1カ月

今日10月28日で、渡米から丸1カ月が経ちました。
毎日が必死過ぎて、あっという間に日々が過ぎています。
毎日、RSYのメーリングリストやブログにアップされる情報に目を通す中で、スタッフやボランティアさんの様子を思い浮かべながら、改めてこのような時間を自分に与えて下さったことに心から感謝しております。
今日は学校で2回目のフィールドトリップがあり、会話の練習も兼ねて参加しました。お城のような「Old Post Office Pavilion」の最上階から見たDCの街並みです。
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写真左下方のクリーム色の建物は、かの有名な「FBI」。異様なまでの存在感を放っております。前方には、小さくですが私の大好きなDCのシンボル「THE UNITED STATES CAPITOL」が見えます。今日は抜けるような秋晴れの空だったので、遠くの景色も良く見え、久しぶりに気持ちのよい1日となりました。
そして週末はハロウィン。
宿舎の玄関を開けると、早速不気味な人形の出迎えです。
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日本では全くなじみがなかったので、勝手がわからず戸惑う私の心とは裏腹に、DCの街中は少しずつ活気づいています。

Japanese Library

今日は朝から雨。
一時台風並みの激しい雨となりましたが、夕方から回復しました。
とにかくDCの天気は1日のうちでコロコロ変わるため、傘の常備は必須です。
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そして、今日はかねてから気になっていた日本図書館へ行ってきました。
その名も「Sasagawa Peace Foundation(笹川平和財団)」です。
ウェブには震つなやRSYもお世話になっている日本財団のロゴが入っていたので、少し関係があるのかと尋ねたところ、たまに一緒にイベントをやることもあるとのこと。
主に日米交流を目的に作られた図書館なので、これに関する専門書や、DCを去った日本人が寄付していった書籍・ビデオテープなどが貯蔵されています。
もちろん日本の雑誌や新聞(経済、毎日、読売等々なんでもありました。でも中日はなかったなぁ・・・涙)も自由に閲覧できます。久々の日本語新聞にコーフンしました。
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こじんまりとした小さな図書館ですが、とても静かで快適な空間です。
受付の方はDC居住歴14年の素敵な女性で、久しぶりに日本語で沢山話しました。
学校から歩いて10分以内にあるので、息抜きがてらまた立ち寄ろうと思います。
 

秋の気配

今日は1日曇り空。
日本も大分寒くなってきたようですが、DCにも確実に秋の足音が聞こえています。
通学路の街路樹もだんだん色づいてきました。
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今日は、授業でディスカッションの時間に奄美大島での水害の話題を出しました。
昨日からカザフスタンとグルジアからの新しいクラスメイトが2名加わり、現在は5人のクラス。奄美の被害の様子やボランティアの動きなどを説明すると、「ロシアでも大洪水で家畜が流されたり、山火事で被害が出たことがある。」「グルジアでも地震や水害が時々起こるので怖い」など、特に、実際の災害現場に立ち会ったことがある人は興味を持って聞いてくれました。
ただ、被災地へボランティア活動に行った経験のある人は一人もいませんでした。
もっと言葉ができれば、日本のボランティアの心意気みたいなところも詳しく話せたのになぁ。。。
ちなみに先生の話では、ワシントンDCは2006年に若干の水害の被害はあったものの、それ以外は大きな災害にはほとんどあっていないそうです。でも水害や台風などは心配だそう。また、去年は大雪で町中の交通機能がマヒしたらしいので気は抜けません。
さて、ちょっと余談ですが、最近の私のささやかな楽しみをご紹介します。
私のメトロの最寄り駅「Union Station」地下のフードコートにある、中華料理屋さんのランチパック。チャーハン、厚揚げとブロッコリーのニンニクいため、照り焼きが入っています。これで約7ドルですが、疲れもぶっ飛ぶおいしさです。
2日に1回はお世話になって、私の心身の支えになっています。
盛りが良すぎてぐちゃぐちゃですが、味はほんとにおいしいですよ~。
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奄美大島に想いを馳せる

皆さま、こんにちは。
ここDCに来てから今日で20日が経ちました。
英語と生活に慣れるにはまだまだ時間がかかりそうですが、「マイペース」と自分に言い聞かせつつ、日々を過ごしております。
さて、一昨日、RSYのMLに奄美大島の水害に関する一報が流れました。
3名の尊い命が犠牲となり、1000戸を超える家屋が床上・床下浸水の被害に遭われたと知りました。
今回もまた大切な命が災害によって失われてしまったことへの悔しさと、被災された皆さんの1日も早い復興を願いつつ、遠くから見守るしかできない自分を歯がゆく感じながら報告を読んでおりました。
ただ、マスコミ報道によると、現地ではすでに地域力が発揮され、ボランティア活動も始まっているとのこと。そして、昨日のRSYの報告でも、震つなからスタッフが1名派遣され、ボランティア活動資器材も名古屋のボランティアさんの協力で無事搬出できたとのことでした。
いつもながら全国のネットワーク力や名古屋のボランティアさんの結束力、バイタリティには脱帽です。また、確実に、これまでの私たちの一つ一つの経験の積み重ねが、迅速な対応に結びついているとも感じました。
宿舎で知り合った19歳の中国人の子にこの話をしたところ、私のたどたどしい英語に辛抱強く最後まで耳を傾けてくれました。「中国も地震や水害が多く、多くの人々が亡くなっているので、とても胸が痛む。あなたたちのような仕事はとても大切だし、素晴らしいと思う。」とも言ってくれました。
明日の授業では、奄美大島の被害の様子や日本のボランティアさんの動きを少しでも知ってもらうべく、時間をもらってこれらの動きを報告してみたいと思います。

国会議事堂Tourへ

10月14日の授業終了後、友達づくりと会話の練習を兼ねて、語学学校が主催する新入生向けの国会議事堂見学ツアーに参加しました。
The United states Capitolは、DCの象徴ともいえる巨大で壮大な建物です。
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DCのまちは、この国会議事堂を中心に作られています。
したがって、この番地は0番地。広島の原爆ドームと少し形が似ており、中にはDCの歴史がペイントや模型、映像、写真等で紹介されています。
このツアーには、サウジアラビア、アフガニスタン、中国、フランス、スペインなどから来た学生15名程が参加しました。
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これはフランス人のクラスメイトとの1枚。(会話に必死だったため、顔が引きつっております)国会議事堂周辺には、最高裁判所や議会図書館も立ち並んでおり、どれも私の宿舎から歩いていける距離にあります。アメリカンヒストリーを学ぶにはもってこいのロケーション。今後も何度か足を運ぶことになりそうです。