【第18報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

皆様
栗田です。お世話になります。
今回の大雨に対する名古屋市災害ボランティアセンターは昨日(9月12日)をもって閉所となりました。ただし名古屋市社協の窓口は残し、必要な支援は継続してまいることにしています。この間、本当に多くの方々からお見舞いや激励、貴重なご意見等を多数頂戴いたし、まずもって厚く御礼申し上げます。
今回の名古屋市における水害は、内水氾濫でまさしく「都市型」の困難さが際立ちました。極端に言えば、通りが1本違うだけで浸水被害の状況が異なり、「被災地だ」と面では判断できず、点で必要な支援を届けることが求められました。
当然ながら市のラインからは自治会や民生委員、社協のラインからはヘルパーなど、そしてボランティアも被害の甚大だった小さな面ごとにとにかく練り歩きました。また新しい試みとして、あいち生協のご協力により組合員(市内約14000人)に、また中日新聞販売店のご協力により、販売店(市内約300店舗)、新聞配達員(約1万人)に、「困った方がいないか」という情報提供やボラセンの周知をお願いしました。
一方で課題もたくさん見えてきました。大都市は被害の全体像をつかむまでに相当の時間が要したことに象徴されるように、市も市社協も組織が大きすぎて、せめて区ごとの小回りぐらいは確保すべきなこと、またラインに頼りすぎる体質の改善、そしてボランティア・NPO側も「災害系」以外のヨコの連携の強化や、そもそも市民にボランティアの存在をより広く知らしめていくことなど、まさに現場からの学びを通じて、来るべき巨大地震のことも含めて、突きつけられた思いでいます。そして一番重要なのは、市民一人ひとりの日常の暮らしの中から、「お隣さんは困っていないか」と気に留める関係を再構築していく必要性を痛感しています。
ボラセン閉所は一応の区切りに過ぎません。気になる方への再訪問や畳の搬入などの今後のニーズへの対応はもちろんのこと、ボラセンとしての振り返りの場を数回設けて与えられた課題についてしっかり議論してまいる所存です。いずれ皆様ともこうした情報を共有しつつ、いろいろとお知恵をいただく機会を設けたいと思っております。今後ともよろしくご協力くださいますようお願いいたします。

【第17報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

松田です。昨日(8日)の中川区での活動について、RSY新スタッフ関口さんの報告をお送りします。
 中川区役所講堂の災害ボラセンには市社協の職員を含め14人が集合。前日7日にようやく状況が把握できた長屋のお宅と、片付けに苦労されている独居のお年寄りが最低2人はいらっしゃる木造アパート、の2手に分かれました。
 長屋には午前中、奥さん1人がおり、あいさつはできましたが引越しをするかしないかなどはご主人次第で、それまでは手をつけないでほしい、とのこと。台所は見させてもらったものの、途中で知人の家に行くと言って外出してしまったりとまだ気持ちも不安定なようすで、ボランティアも長時間待ちぼうけ状態となってしまいました。
 その後、区役所を通して息子さんと連絡が取れ、「洗濯機をごみとして出してほしい」との話を受けて裏庭に。ここに数十年前からのものとみられる洗濯機が3台も放置されており、トタンの塀を一部こじ開けるような形で何とか外に移動させました。 午後、その息子さんが戻ってきてから作業は急展開。市営住宅への入居が決まり、きょう中に引越しをしたいという話になり、とりあえず出せるものは出し、より分けるものはより分けようと、別グループのボランティアも加わって10人ほどの態勢で一気に作業をしました。
 直接大雨の被害とはいえない、雑然とした暮らし方で、整理するにも奥さんの意見と息子さんの意見が食い違ったりして非常に難儀はしました。しかし、息子さんのしっかりした態度と作業の進展を見て奥さんも落ち着きを取り戻したようすで、「何にも手をつけないで」という当初のかたくなな姿勢は次第になくなっていきました。
 最終的に時間切れとなってしまったことと、今後の家族の方針がまだはっきりしないことから、とりあえず今夜いるものだけを社協の車を借りて市営住宅へ、その他のものは隣家に一時的に保管するという形を整えて、本日の作業を終了しました。
 都会の真ん中で、うまく地域に溶け込めないまま大きな災害に巻き込まれてしまい、茫然自失してしまった家族の悲劇をみてしまったような気がします。こうした家庭状況にボランティアがどこまでかかわり続けるべきなのか、今後も判断は非常に難しいと思いますが、やはり「1点突破」で現状を把握でき、実際に新生活へ導いたという意味は大きいと思います。最後に奥さんが複雑ながらも安心したように見せてくださった笑顔と、被災10日後とは思えぬほどうずたかく積み上げられた被災ごみの山が、そのことを象徴していたように思えます。

【第16報】8月28日からの大雨洪水について(岡崎市)

皆様
浦野です。お疲れ様です。
岡崎市防災ボランティア支援センターは、9月7日(日)をもって活動を縮小することになりました。
防災ボランティア支援センター自体は閉所され、岡崎市社会福祉協議会が今後の業務を引き継ぎます。
昨日一日の活動の様子を下記のようにご報告します。
[サテライトの様子]
○全体について
・前日からの持ち越しニーズ4件を含め、最終的には約25件のニーズに約70名体制で対応。
・土~日にかけて、親戚、家族が手伝いに来ていることで、ボランティアの依頼も増えたと考えられる。
・ニーズの依頼内容は、ゴミだしや仕分け、屋外の泥の撤去など、細々とした内容が主。ある高齢者の一人暮らしの世帯では、ほとんどの物が泥に浸かっており、屋外の倉庫に詰め込まれていた。傍からみれば処分した方がよさそうなものでも、「また洗って使える。一つひとつ自分で判断したい」とのことで、ボランティアに指示を出しながら、猛暑の中、時間をかけて作業をしていた。長時間の作業は89歳のお年寄りには本当にきつい。ボランティアも、ご本人の意向を十分に尊重しながら活動に当たっていたが、「これは1日、2日では終わらないだろう。体の無理のない範囲で、1日数時間ずつ、この方のペースにあわせて、ゆっくりお手伝いできる人が今後も必要だ」と話していた。(この方は地元のボランティアの方につなぎ、9月8日以降も、個別に訪問を継続して下さることになりました。)

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【第15報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

皆様
栗田です。お世話になります。
「まだどこかで困っている方がいるのではないか」と昨日まで主だった被災地を練り歩いてきました。そして今日(9月7日)は原点に返り、市内で最も被害が多く、水害翌日に一度支援に入った地域を再度訪問しました。目的は2つです。一つは、先週は畳や家財の「搬出」でしたが、今回は「搬入」のお手伝い。畳や家具の配置といった具体的作業のほか、「また来てくれたの」という、うれしいふれあいもあり、直接会話する意義はやっぱり大きいと感じました。
もう一つは、新たなニーズの発掘です。丁寧に声かけしたところ、やっぱりありました。まだ手付かずのお宅が。長屋の借家です。「どうしようもないから自分らでする」と一旦は断られましたが、強烈な臭いがします。今回の行政対応策で、2ヶ月は市営住宅に無償で入居できる制度がありますが、そのことはもちろん「罹災証明」のこともご存知ありません。これではボランティアの対応だけでは限界があると思い、区担当者と区社協とともに再度訪問し、手続きの説明をしてもらいました。そして、市営住宅に移るにしても、このままではいけないので引越しするつもりで片づけをしましょうと説得し、本日この地域の作業に参加していた総勢30名ほどのボランティアで作業を行いました。
室内は濡れた畳の重さのせいか床が抜け落ちており、水が染み込んでくるのを防いだのか、畳の上にコンパネやカーペット、ビニールシートが敷かれていました。その上の布団も湿っていました。聞けば床上30~40cmほど浸水したということです。とてもつらかったことと思います。
この1週間、町内の組長さんや大家さんも何度も訪問したそうです。ボランティアも初日に訪問しています。しかし拒まれ続けたそうです。それは、地域が近すぎるので返って遠慮したのかもしれません。すべてが見えてしまいますから。またボランティアの声かけも、どこまで介入できるかは本当に難しいことです。
しかし、たまたまこの借家の隣が空き家になっていて、大家さんの配慮で清掃後の荷物を一時移すことができました。また先週支援した別のアパートで、同じ区空き家の濡れていない畳が余っていることを覚えていて、事情を説明しましたら、二つ返事で6畳分譲ってくれました。だってこの家族は、今日は市営住宅に移れないので、生活空間は必要です。
こうして、大方の作業を済ませ、本日の作業は終了しました。明日も引き続きこのお宅の片づけを手伝うことにしています。また、別の地域で少し気になる世帯が数箇所上がっていますので、いましばらく丁寧に対応していくことにしています。そして、このような方がまだいるのかどうか。市や社協も含めて色々な対応策を実践していますが、悩み続けています。

【第14報】8月28日からの大雨洪水について(岡崎市)

皆様
お疲れ様です。
岡崎市での活動の様子を下記のようにご報告します。
[本部について]
・ニーズ件数は1日10件程度。
・9月7日(日)にボランティアセンターが閉じられ、市社会福祉協議会が引き続き相談窓口になる旨をお知らせしたチラシを配布。地元JCが中心となり、被災エリアにローラー作戦で戸別配布をし、最終的に取り残されがないかをチェック。
・ボランティア募集の呼びかけは金曜日をもって終了。
・市内ボランティア団体、商工会、民生委員、消防団など地元自治組織に、ボランティアセンターが閉じた後も、ニーズ対応の応援、被災地の見守りを地元が引き継ぎ、協力・対応して頂けるよう依頼。
・取り残されが無いか、周囲でこのような方を見つけた場合の情報提供を、岡崎市介護事業者連絡会、新聞社などのルートを使って、再度周知。
・今後起こりうる悪徳商法、行政の被災者支援サービスに関する相談について、地元の弁護士会・行政書士の方々に協力を依頼。
・9月7日(日)午後5時をもって、岡崎市防災ボランティア支援センターを閉
所。今後は、地元ボランティア団体、組織が中心となり、ニーズ対応していくことで調整を図る。
[サテライトについて]
・朝の時点で3件だったニーズが、終了時には24件に増え、翌日持ち越し分は5件。
・天理教・ひのきしん隊が常時40名~60名体制で、こちらに上がるほとんどのニーズに対応。
・泥出し、ごみの撤去、家具の移動などが依頼内容。泥出しについては、水害時居住者が不在で手が付けられていなかったところや、土壁を落として欲しいという大掛かりなものもあり、20~25人程いなければ対応できないものもあった。
○炊き出し
・9月5日(金)はさっぱりうどん、6日(土)のメニューは、野菜いっぱいスパゲッティー、かぼちゃの煮物、ポテトサラダ、漬物。食材のほとんどが 2004年新潟県中越地震で被災した川口長田麦山の「いきいき田麦山」の皆さんからの寄付であった。
・炊き出し初日に引き続き、神戸市から「すたあと長田」・2000年東海豪雨水害の被災地となった旧西枇杷島町の住民の方、天理教・ひのきしん隊の地元の皆さんがお手伝いくださり、毎食150人分を調理。特に6日(土)は、家族や親戚が土・日にかけて応援に来ていることもあり、ものの30分で全て売り切れるほど盛況だった。
・朝の時点で、炊き出しのメニューと全国からの協力者一覧をチラシにして配布。6日の中日新聞に炊き出しの記事が取り上げられ、「遠くからきてくれてありがとう。なにもできませんが、せめてもの活動の足しにしてください。」と、被災者の方や地元の皆さんが炊き出しチームに応援金を下さった。
・腰を据えて食事を取りながら、「本当に大変だった。こんなにおいしい食事を久しぶりに食べた。涙が出るほど嬉しい。」と本当に泣きながらおっしゃっていた方、食事の後、30分ほど話して、「実は床下浸水だったけど、一度も床下を見てないの」とぽつりと話したお年寄り、そのほかにもあの場所から、支援がつながった方が何人かいらっしゃった。
・炊き出し開設から、毎日ミニ喫茶に通ってくださる方も出てきた。「食」の提供だけが目的なのではなく、ホッと一息ついたり、気分転換をしたり、とにかく炊き出しをきっかけにして、少しでも安心できる、笑顔になれる、不安が解消できる空間がこの時期には絶対に必要だと感じていただけに、そのような場所に少しずつなりつつあることが、住民の方の表情から読み取れた。
○足湯ボランティア
・中越・KOBE足湯隊メンバー4人により、5名の方に足湯の提供をしていただいた。
・「今になって体の節々が痛くなってきた」「とにかく疲れた。何もしたくない。片付けもボチボチとして進まない」などの声がきかれた。
・足湯を終了したお年寄りからは、「あ~、気持ちよかった。生き返ったよ。」という声も聞かれた。
明日で、センターは閉じられますが、被災された方のニーズは、まだ出てくると思います。ようやく、本当にサロンらしくなってきた頃なので、あともう少し続けられればとも思いますが、なるべく地元の方に引き継いで、皆さんの不安がなるべく残らないような形にできればと思っています。
RSY浦野

【第13報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

みなさまへ
事務局・松田です。おかげさまでこの報告を多くの方々が読んで下さっており、何人もの方から応援の声やご意見を頂戴しております。特に有難いのは、RSYや名古屋のボランティアがこれまでにお邪魔した被災地の方々から励ましのお言葉や物資の提供のお申し出を頂いていることです。これには、私共スタッフのみならず、今、地元名古屋で活動を続けるボランティアさんたちが「本当にうれしい」と心から喜んでおりました。まずもって、愛知から深く御礼申し上げます。
私は先日来、生まれて初めて水害の被災地、しかも大都市名古屋の被災地に入って、ボランティアの存在の呼びかけ、雑巾がけや畳運びをお手伝いしています。
「ニーズ」と呼ばれる「助けて!」の声を消すことはできますが(こちらが聞かなければよいだけ)、声が消えることはありません。毎日数件の声が着実に届いています。この数件の向こうに、都会に埋もれている数十件の「声」があることは容易に想像できるでしょう。埋もれている声を少しでも拾い出すには、ご近所、町内会、民生委員、マスコミ等々、こうした方々が持つ僅かな社会との接点
にどうにかつながるように、あらゆる方面からアプローチするより他ありません。
RSYや神戸から支援活動を続けてきた震つなの諸先輩は災害直後に「もう一人の命と生活を救う」ことにこだわって活動を続けてきました。私もそれに納得したつもりで、時には知った風に講演で述べたりしてきたわけですが、今回初めてそのことを体で感じ取った気がします。一声をかけなければ本当にそのまま見過ごされ、カビた畳に埋もれ、その後の生活が決定的に不能になってしまうだろう方々が、この社会にはおられるのです。それはお年寄りとは限りません。
「災害は社会格差を増大する」「防災に有効なのは地域のつながり」「都市生活は便利だが災害時には脆い」などと災害にまつわる「常識」は多々あります。一日の災害ボランティア活動はこのような経験則の全てを実証すると言っても過言ではありません。こうした言葉を実感を込めて主張したいと思う全ての人に、ボランティアをおススメします。220万人都市名古屋に100人のボランティアでは、全く足りません。

【第12報】8月28日からの大雨洪水について(岡崎市)

皆様
お疲れ様です。浦野です。
岡崎市での支援の状況について、以下の通りご報告します。
[サテライトの様子]
○全体の様子
被害集中地域に設置されたサテライトでは、朝の時点で昨日から持ち越された継続ニーズが4件だったのに対し、活動が終了する頃には、51件のニーズ件数となりました。
傾向としては、その場で「明日はこれお願いね」と依頼を出せるケースは少なく、おそらく夜一晩考えて、ある程度段取りをつけてから再度ボランティアに依頼するという流れがあるように感じます。それがすなわち、「被災者のペース」というものだと思います。
しかも、「何か用事があったら連絡してね、この電話番号にかけてね」と言い残しても、実際に連絡がくるケースはあまり多くありません。理由としては、疲れによるわずらわしさ(「電話なんてかける暇がない」とおっしゃっている方もいました)、遠慮、浸水で電話が壊れて使えない、などです。
ニーズ把握の効果として圧倒的に高いのは直接訪問です。
当日も、朝、炊き出しの周知チラシを配る際に、「これを手伝って欲しい」という声を拾ってくるというパターンが多く見られました。同時に、前日から気になるところに関しては、こちらから訪問して声をかけるパターン、とにかくランダムにまちを歩いて「お手伝いしますよ!」と声をかけ歩くパターン、また、サテライトの存在を知って住民の方が直接依頼にこられるパターンも見られました。
小規模のエリアを対象としたサテライトであれば、ここまでの細かい動きを作ることが可能なんですね。
現在サテライトでは、JC、天理教・ひのきしん隊・イビューサ(学生の災害ボランティアチーム)・三菱関係のボランティアチームが定期的に入り、常時100~150人ぐらいのマンパワーがあります。リーダーの方が継続的に来てくださるので、傾向をよく把握しており、センターから活動指示を出さなくても、自ら必要な動きを作り上げて、活動を展開される姿が印象的でした。
○炊き出しミニ喫茶の様子
本日は12時~15時まで、あんみつ・トン汁・おにぎりの炊き出しでした。
「災害ボランティアネットワーク鈴鹿」から6名、神戸市の「すたあと長田」から1名、「天理教・ひのきしん隊(地元の方)」から2名が、食材の提供とお手伝いをして下さいました。
午前中に被災世帯にチラシを配り、150名分用意していた食材が、1時間半の間にあっという間に無くなりました。
また、会場まで取りにこれない方には、「お運び隊」を作り、自宅まで届けました。また、不十分ではありましたが、椅子と机を置いて、食事が取れるスペースも作ったので、これにより、ずいぶん皆さんとお話をするきっかけを持つことができました。
住民の皆さんの様子としては、「とにかく相当疲れてまいっている」という印象です。修繕費がどれぐらいかかるのか?家族中がピリピリしている感じなので、少し家を離れたい、当日の水害の様子、今までどれだけ大変な思いで片付けてきたのか、復興支援として行政は何をしてくれるのか、、など、少し話しかけると、沢山の言葉が返ってきました。たまたま椅子に腰掛けた方に何気なく肩もみのマッサージをすると、「もう背中や腰、足が痛くてたまらんな。きもちええわ」とおっしゃっていました。
新潟・田麦山の皆さんが提供して下さった野菜は今日届くので、土曜日の炊き出しメニューで使わせていただこうと相談しております。
鈴鹿から、神戸から、新潟から、全国から沢山の人が応援しているということも皆さんにお伝えしながら活動することで、「まぁ、そんな遠くから、、、ありがとうね」と、驚かれると共に、笑顔を見せて下さる方もいました。
そこで、今日の活動でお聞きした「生の声」より、土日付近で、住民相談会を開催したいと考えております。
悪徳商法もはびこりつつあるので、司法書士の方を招いて注意事項を聞いたり、行政職員から復興支援に関するサービスの説明や質疑ができる機会をと考えております。
また、2000年東海豪雨水害で同じような被害にあった旧西枇杷島町の住民の方々が、「自分たちもできることがあれば駆けつけたい」と言ってくださっております。被災された方の中には、「先の見通し」がもてない方もいらっしゃいますので、被災者交流会のような形で時間が取れれば、どんな心持で復興までを乗り切ればいいのか、同じ被災者として共感し合えることで落ち着けることもあるのではないかと考えています。これは、能登・中越沖・岩手・宮城内陸地震からの学びが引き継がれた形です。
「中越・KOBE足湯隊」の皆さんも、土日でおいでくださるそうなので、炊き出し・相談会等で一緒に活動できれば、被災された方も喜ばれるのではないかと思います。いずれにせよ、総代さんの意向を本日お聞きした上で、実施の有無が決定します。
災害ボランティアの全ての活動は、「被災された方の声」からはじまるということを、改めて肝に銘じたいと思います。
ご協力いただいている皆さん、本当にありがとうございます。
今後とも、何卒よろしくお願いいたします。
RSY浦野

【第11報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

みなさま
 いつもお世話になっております。RSY事務局藤田です。
 今日は西区のボランティアセンターに集合した、20名のボランティアさんが4班に分かれて西区内の学区を回りました。
 今日の目的は、困っている方が本当にいらっしゃらないのか今一度確かめるためです。
 発災から日にちが経っていることもあって、特にその場で必要な作業はありませんでしたが、時々濡れた畳や家具が外に出されているところも見受けられました。
 向かいに濡れた畳が積み上げられていたところにお話を伺うと、役所に問い合わせたところ廃棄などの処理は自分達で担うが、補助などについては検討すると言われたとのことでした。
 アパートの一階部分全戸(5戸)が床上浸水になったところでは業者による作業により床板が外されていました。
 お店を経営されている方にお話を伺うと、道路の向かい側は被害がないけど、ご自身のお店は床上浸水になり、前に置いてあった自販機3台が故障してしまったそうです。そこから一区画離れた自販機も故障していました。
今日行った活動のように、地道に足で回りながら状況を聞き、困っている方が本当にいらっしゃらないかどうかを確認することが、自ら声を出せない方を探し出せる最終的な手立てであり、本当に大切なことだと痛感しました。
 報道も下火になり、目に見える被害が聞こえてこなくなっても、最後の一人の方の生活が元に戻るまで支援を続けなければいけないのだと思いました。
そのためには引き続きみなさまの目と支援が必要となります。
 今後ともご協力をお願いいたします。

【第10報】8月28日からの大雨洪水について(岡崎市)

皆様
お疲れ様です。浦野です。
岡崎市での支援の状況について、以下の通りご報告します。
名古屋市同様、床上・床下浸水1000世帯以上を超えた岡崎市では、個別のニーズ
対応・お手伝い隊の派遣・被害集中地区でのサテライト設置などを中心に行って
おります。泥出しなどの大がかりな作業は大分落ち着いておりますが、お手伝い
隊として丁寧にまちを歩いてみると、水害発生から1週間経って初めて床板を上
げて、床下の泥だしをしたというお宅もありました。件数的にはそれほど多くは
ありませんが、数の問題ではなく、いまだ取り残されている方々の存在があるこ
とを認識し、引き続き個別訪問等の必要性を感じております。
また、住民の皆さんの中には相当な疲れが見られ始めています。これからは、畳
を入れたり、一旦外に出した家具や生活用品を家の中に納めたりと、細かい作業
が残っています。「自分たちのペースでぼちぼちやっていきます」とのことです
が、今まで家族やご近所で頑張られていた方々も、蓄積された疲れで、自助・共
助が一時的に機能しなくなる可能性もあります。
一部では「ボランティアに依存しすぎる傾向にあるのではないか?ボランティア
が自立の妨げになっているのではないか?」との声もあるようですが、この時期
にその様な判断をすることは、被災された方にとっては酷なのではないかと感じ
ます。むしろこのような時期こそ、そばで寄り添い、ゆっくりとしたペースで対
応できるボランティアの存在が重要になるのではないかと思います。
また、一人暮らしの方の中には、「みんなが大変な時に頼めない」「誰に相談し
たらよいか分からない」と、自分で何とかしようとするがあまり、畳もなく消毒
もしていないぬれた床の上という、劣悪な環境で寝食されていた方もいらっしゃ
いました。食事についてもおにぎりや菓子パンで簡単にすませており、不眠が続
き、このまま発見されなければ、生命の危機に直結する問題になっていたであろ
うと恐怖感を抱きました。
この方については、天理教・ひのきしん隊さんのご協力により、畳を入れ、湿気
防止のシートを引き、当座をしのぐ環境が整いました。また市の福祉課・保健師
につなぎました。
しかし、このような実態は、30分~1時間程度、落ち着いた雰囲気の中で、何気
ない会話を重ねていくうちにようやく見えてくることです。
数分の声かけだけでは、この状況までを汲み取ることはなかなか難しいのではな
いかと感じます。
「自分たちのペースでやります」という言葉の中には、疲れや遠慮の背景がある
ことを理解し、この時期は、「何かあった時にはいつでもお声がけくださいね」
という距離感で見守っていく必要性を感じます。現に、そのような言葉かけに対
して、住民の方々はホッとした表情を見せることが多々ありました。
前述の通り、被害が集中した地域についてはサテライトを設置し、その場でニー
ズを掘り起こして対応していくというスタンスをとっています。もともとは総代
さんが「この場所にボランティアの拠点を作って欲しい」という要望を出された
ことがきっかけでした。そこは、困った時にすぐに相談しにいける場所として
も、住民の方の安心できる場所になりつつあります。
また、本日より「炊き出しミニ喫茶」を開設し、被災された方がホッと一息つき
ながら、休憩がてらお話ができるスペースも用意する予定です。鈴鹿市から「災
害ボランティアネットワーク鈴鹿」、神戸市から「すたあと長田」の皆さんが、
おにぎりやトン汁、あんみつを作りに来てくださいます。また、これらの材料の
一部を、2004年新潟県中越地震で被災した、川口町田麦山地区の皆さんから提供
して頂けることになりました。
遠くからも応援したいという気持ち、被災者という同じ経験を持つ立場に立って
接することができる方々がの存在が、皆さんの安心や元気につながれば、そして
何よりも炊き出しを通じて会話を交わす中で、被災された方の「生の声」を聞
き、片付けの進行具合や健康状態、不安などについても状況が把握できればと思
います。
現在サテライトを設置している地域以外でも、被害が集中している箇所がいくつ
かあります。その地域からも、このような拠点づくりの依頼があるようです。
このように、大掛かりな作業ボランティアは終息にむかいつつあります。
しかし、それに代わり、今後は被災された方のペースにあわせながら、困った時
にはすぐに相談できる、ちょっと休憩にこれる、見守ってもらえていると安心で
きるようなミニサロン的な機能が求められるのではないかと思っています。

【第9報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

皆様
栗田です。お世話になります。
今回の水害は合計1万戸以上の浸水被害となり、特に深刻な床上浸水が名古屋市は
1000世帯を数えました。これまでご報告させていただいておりますとおり、早速災害
ボランティアの支援体制を整え、声かけと作業をセットにした「おせっかい部隊」と
も言うべき活動を継続しております。あれから約1週間を経て、片付けなどの大きな
峠は越したように思われます。
ただし、難しい局面を迎えています。それは、未だ濡れた畳でそのまま生活されてい
る方がどこかにいるだろうという現実です。人口220万の大都市に埋もれ、見えない
のです。8月30日に1件、31日3件、1日1件、2日も1件と、ボランティアの練り歩きな
どからこうした世帯が現に出てきます。「古い家屋」「長屋」「高齢者」「一人暮ら
し(中年男性含む)」にその傾向があると実感しています。
このようなボランティアによる練り歩きのほか、もちろん、市のラインからは各地域
の自治会からの情報、民生さんに対する対象世帯の一斉調査や税務課による家屋被害
調査、また社協ラインからはヘルパーさんらからの情報等、こうした事態には災害ボ
ラセンがお手伝いできる旨は可能な限りお知らせいただいております。その他、本
日、再度のマスコミからの呼びかけのほか、福祉系NPO、生協、新聞販売店、防災士
会(特定郵便局長ら)に協力要請して、「この家が片付いていない」「様子がおかし
い」などの身近な情報提供をお願いしたところです。
しかし、事態は人のいのちと暮らしの深刻な問題ですから、0/220万人でなくてはな
りません。最悪は「水害から数日経ても、濡れた畳の上でそのまま生活していた」と
いうようなことがないように、全力で探し出さなければなりません。でも、完全に大
丈夫と誰が判断できるか。とても難しい課題との闘いでもあります。
今日も名古屋は残暑で蒸し暑かったです。行き交う人の大多数は水害の記憶すらない
かのような日常に完全に戻っていますが、とにかく名古屋はいろいろな意味で「でか
すぎる」と実感しています。