01 伝えられる言葉を学ぶ
状況situation
木曽川、長良川、揖斐川に囲まれた長島の歴史は、水との付き合いの歴史でもある。
木曽三川の低湿地からなる長島は度々洪水に悩まされてきた。江戸期の*宝暦治水(1753年〜)や明治の*三川分流工事などの河川改修によって治水を行ってきた。人々は堤防を築き、水屋を建て、輪中という特有の生活形態を維持してきた。
だが、昭和34年9月26日の伊勢湾台風により長島では383人(当時の人口8708人)の尊い命が奪われた。
このような状況の中で様々な「言い伝え」が生まれた。
事例case
過去に何度も災害に見舞われているところには、その歴史の中に様々な伝承や言い伝えが残る。
水害と共に歴史を刻んだと言っても過言ではない長島輪中にも命や財産を守る為に人から人へと言葉をつないでいった「言い伝え」がある。
「堤防が切れたら堤防に逃げろ」
海抜0m地帯で川の水面より低い長島では、一番高く安全な場所は堤防なのである。大きな洪水が来たとしても周囲約30kmある堤防がすべて切れることはない。長島ではどこの堤防が切れるかで避難路や避難場所が変わってくる。
過去の全国の大水害では、避難所になっていた小学校自体が水没したところもある。
「洪水になったら雨戸を開けろ」
昔の柱が礎石の上に乗っただけの家屋は、洪水の激流に流されてしまう。
その為に雨戸をすべて開け、家財道具を屋根裏に上げる事で(水防活動の中で川の水が堤防の七合目まで来たら家財道具をあげる事になっている)水の抵抗をすこしでもなくし家の流失を防ごうとした。
「堤防切れたらイモ洗え」
紡錘状に下流へと膨らんだ地形の長島輪中では、上流の堤防が切れた場合、水は広がりながら下流の集落へと来るにはある程度の時間がかかる。その間に当座の食料になるイモをまず洗っておけという。
但し、伊勢湾台風の時のように逆に下流部の堤防が切れた場合は、海からの高潮による洪水は、狭い部分に水が集中し、波が高くなり、一気に水が押し寄せて来る。(この種の洪水には他に幕末の安政の水害がある)
このような様々な言い伝えを古老たちから聞き取りしてきた「輪中の郷」の諸戸靖さん(50)は、大都市に近く、交通至便な場所でもある長島には新住民も増えてきている状況でこの「言い伝え」や輪中を地元の住民でさえ分からなくなってきている事を憂慮する。智恵のたくさん詰まっている輪中を残していきたいとの思いから「輪中の郷」は誕生した。
輪中の郷では、長島の歴史や輪中の暮らしなどの常設展の他、年に一回、必ず伊勢湾台風展を行う。100枚の貴重な写真などをみる事で自分達の防災意識を高めてほしいと願う。
智恵wisdom
災害のあるところに「言い伝え」や「伝承」がある。その中には沢山の智恵が詰まっている。
だが、住民自身の災害の記憶の風化や集落形態の変化によって智恵は埋もれていく。
その言い伝えや伝承の中にあるその土地の地形、歴史、風土、文化を知る事が、減災につながる暮らしの智恵となる。
*宝暦治水‥‥宝暦3年(1753年)の木曽三川の大洪水を機に江戸幕府が薩摩藩に命じて行わせた治水工事。難工事や自刃による薩摩藩士の死者を多く出した。
*明治三川分流工事‥‥オランダ人土木技師、ヨハネス・デレーケによって明治20年(1887年)から24年間かけて行われた治水工事。木曽三川を完全に分流し、木曽川と長良川を船で行き来できる閘門などを作った。全国の河川改修工事のさきがけとなった。