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12 地域の特性にあわせる

災害前

状況situation

古代より「洪水」に悩まされてきた但馬地方。04年の台風23号の際、一級河川、円山川が決壊した。

死者26名、建物被害約9000棟、被害の大きかった(旧)豊岡市の人口の9割の約4万3000人に避難指示が発令された。

豊岡市の引野という場所は低地であり、地名も「低い野原」に由来するといわれるほどかつては円山川が一度氾濫すると地区全体に大きな被害をもたらす場所であった。

事例case

昔から氾濫を繰り返す円山川に程近い田んぼの中にひときわ人目を引く木造、瓦葺、三階建ての屋敷がある。「赤木家住宅」である。

明治3年(1870年)に地元の宮大工の設計施工により建設された「赤木家住宅」は、130年以上を経た現在もほぼ原形のまま残っている。

明治・大正時代の自作農経営大地主であった赤木家の東西45m、南北65m、約900坪の広大な敷地には、災害時に備えた様々な工夫が施され、「地域防災センター」としての役割を担っていたという。

すぐ北西を流れる円山川の度重なる洪水に備えて北側、西側には周囲より2mかさ上げされた玄武岩の石垣が屋敷を取り囲み、寸分の狂いもない石垣が水の浸入を防いでいる。赤木家第14代の新太郎さん(55)は「屋敷はこれまで一度も水に浸かった事はなく、伊勢湾台風の時も自宅にいて避難しなかった。」と言う。また、円山川に面する西側の裏門前に植えられた竹林は、洪水時には竹を伐り出して筏や蛇籠を作る為のものである。竹林は濁流の勢いを弱める働きをする防災林(水防林)にもなる。その他、屋敷内には火災に強い土蔵があり、食料や非常時に使う炊き出し用の道具が収められている。また、洪水時に周辺の被災者に飲料水や食料を配給するための木舟が今も土蔵の軒下に吊るされている。この木舟が、昔からいかに水害が多かったかを物語っている。

そして飲料水となる水は、深さの違う二つの井戸によって確保するよう工夫されている。度重なる水害の経験の中からこのような「地域防災センター」が生まれた。

実は、この住宅は砂防の父と呼ばれた、赤木正雄(1887年〜1972年)博士の生家である。博士は、内務省を経て砂防一筋に生き、日本各地の治山治水事業に奔走し、「SABO」を国際語にまでさせた人物である。幼少の頃から幾度となく水害を目の当たりにしてきた正雄はいつしか砂防を志すようになる。父である甚太夫(第11代)も、1906年(明治39年)の大洪水の際、莫大な私財を投じて公の為に堤防の修理をしたという。また、第一高等学校(現、東京大学教養学部)に入学した赤木正雄は、当時校長であった新渡戸稲造の「治水は地味な仕事ではあるが、表に立つ事だけが人生ではない。誰か一人でも一生を治水に捧げて毎年来襲するこの水害をなくす事に志をたてるものはないか」という言葉に砂防を決意したという。水との戦いの但馬の風土が赤木正雄を「砂防の父」と呼ばせる事になったのは当然であるのかも知れない。今も河畔で彼の銅像が、円山川を見下ろしている。

智恵wisdom

水との戦いの歴史の長い但馬。庄屋という地域にとって重要な場所が「防災センター」の役割を果たす。

そしてその拠点に防災・減災の様々な智恵、工夫を見事に施している。災害のある風土、文化が、人を育み、智恵を育てる。

親から子へ、そして孫へとその精神は受け継がれていく。現代人はもっと先人の智恵や思いを学び取らなくてはいけないのではないだろうか。

蛇籠‥‥竹で編んだ籠。その中に石を入れて土嚢のかわりにする。

SABO‥‥戦後、GHQの指令のもと公共事業が行われる中、赤木正雄博士の尽力により砂防の必要性から1951年(昭和26年)ベルギーの国際水文科学学会にて「SABO」が世界共通語として認められた。