16 互いに息を合わせる
状況situation
2004年はまさに「台風の年」であった。愛媛県東部や香川県西部では、8月18日の台風15号に始まり、台風16号(8/30)、台風18号(9/7)、台風21号(9/29)、台風23号(10/23)と約2ヵ月半、ほぼ毎週のように来襲する台風は、集中豪雨、河川増水、道路冠水、土石流などの甚大な災害を引き起こした。
中でも愛媛県新居浜市では、8月18日の台風15号の影響による局所的な豪雨と9月29日の台風21号による河川氾濫などによって被害は最悪のものとなり、県内で9人の命が奪われ、全壊家屋21棟、半壊223棟、床上浸水1310棟、床下浸水2295棟という大惨事になった。
事例case
04年8月18日に来襲した台風15号による集中的な豪雨は、新居浜市東部に大きな被害をもたらした。翌19日、新居浜市社会福祉協議会は、「災害ボランティアセンター」を立ち上げた。その後、センターを閉鎖するまでの約70日間、水との闘いが続いた。
だが、正直なところ具体的なノウハウや資金、資材もない状態からの出発だったという。それほど台風の珍しくない四国ではあるが、これほどの規模の災害は人々の記憶にはなかったという。記録上では、約100年前の1899年の*「銅山時化(じけ)」以来である。
ボランティアセンター長補佐を勤めた永易英寿(33)は、当時を懐かしむように「ヘドロかき出しツアー」を語る。
ボランティアセンターは、以前からつながりのあった関西の社会福祉協議会やNPOの人々と連携して10月8日から23日まで(後に延長)大阪南港から新居浜東港までのフェリーを活用して毎日30人のボランティアを動員し、水害後の家屋の泥のかき出しボランティアを行った。
永易さんは9月の台風21号による水害の際、地域の18校区中15校区が水害に遭い、帰宅できない事や通常20分のところに9時間もかかった渋滞などの状況から「災害の時は、陸は使えない」との思いを抱いたという。そして「せっかく関西と新居浜を定期運行しているフェリーがあるのだからそれを使えないか」という思いからこの「ヘドロかき出しツアー」が始まった。
「ボランティアが参加しやすい環境を」と大阪〜新居浜間を運行するオレンジフェリーに交渉して2等船室を無料にしてもらい、関西地区から毎日30人のボランティアを受け入れた。また宿泊施設やお風呂の無料開放など地元企業の協力も得る事が出来た。
後にオレンジフェリーの社員も泥かきで共に汗を流した。阪神・淡路大震災の時にお世話になったと多くのボランティアが集まった。
また約30年前(昭和51年)から市と「水防協定」を結んでいる建設業協会は作業員、トラック、ユンボやスコップなどの専門ならではの支援活動を展開した。8月から10月までの約70日間、のべ13000人のボランティア達が活動したが、そのうち約6000人は地元高校生たちであった。部活動の体力づくりとしても活用され、後に各学校が競うようにボランティアを行った。このように新居浜では、ボランティア・NPO・市民・企業が同じ視点、同じ発想で連携しながら災害後の復旧活動にあたることができた。これは新居浜方式又は、Nボラ市民方式と呼ばれている。現在も社会福祉協議会、企業、看護士、市、県、主婦、学生などと共にネットワーク会議を行い、落語家や漫画家の講演などのイベントも行っている。永易さんは、「分野を問わずに出来るだけ共通項を見つけ、広げ、積み重ねていく事。
それがあれば災害の時に役に立つ。地域づくりこそ防災。」と語る。
四国三大祭りのひとつ「太鼓祭り」が新居浜にはある。かき手、太鼓のたたき手と引き手(指揮)が一体にならないと2トンの神輿は上がらない。この祭りの精神が新居浜方式の根底にあるのかもしれない。
智恵wisdom
関西から新居浜へとボランティアフェリーを使った「ヘドロかき出しツアー」。95年の阪神・淡路大震災に愛媛から駆けつけたボランティアは、9年後に関西からボランティアを迎える事になった。被災地交流である。
NPO、ボランティア、企業との日頃のつながりが、このツアーを実現させた。それぞれが、同じ視点、同じ発想で得意分野を活かす。
そして災害後の復旧だけに終わらず、その後、落語や漫画という災害とは無関係に見える異分野の人々と日々の暮らしの中で共通項を見出しながらつながっていく。地域づくりこそが防災である。
*銅山時化‥‥1899年(明治32年)8月28日、台風による局所的豪雨で新居浜市の別子銅山で死者、行方不明者513人を出す大惨事になった。愛媛、香川、岡山で計1500人の命が犠牲になった。