20 場所を地域へひらく
状況situation
7月12日深夜から13日にかけて梅雨前線の停滞による集中的な豪雨は、総雨量431mmを記録した。これにより新潟県、福島県に死者16人、負傷者4人、全壊70棟、半壊約5300棟、床上浸水2100棟以上、床下浸水約6200棟という甚大な被害になった。
新潟県三条市でも翌13日午後1時15分、市内中心を流れる五十嵐川の左岸堤防が決壊した。
それにより市内南部(嵐南)の多くの家屋が床上浸水などの被害を受け、9名の命が犠牲となった。
この水害を機に三条市では「避難準備情報」というもうひとつ早い段階での情報が流されるようになった。
事例case
「災害時飲料提供ベンダー」と書かれた一風変わった自動販売機がある。それは、新潟県三条市の外来と通所リハビリサービスを行う「川瀬神経内科クリニック」のロビーにある。この自動販売機は、緊急時にはレバーを引くだけで簡単に開けられるようになっている。
04年7月13日夜、五十嵐川の氾濫した水によってこの川瀬クリニックも90cmの床上浸水の被害を受けたが、冠水した道路で立ち往生している人達や向かいのコンビニ客(コンビニからレトルト食品と共に預かってほしいと要望があった)を受け入れ、患者4人、スタッフ20人の総勢80人で不安な一夜を共に過ごした。クリニックの事務長の川瀬弓子さん(58)は、阪神・淡路大震災を契機に日頃から非常時用に備蓄していた水、カセットコンロ、インスタント味噌汁などの非常食を避難してきた人々に配った。不幸な事に10年目にして初めて使うこととなった。屋内に進入して来る水を紙オムツで土嚢代わりにして役に立てたという。
電気のストップしたクリニックでは、緊急用として残していた唯一のアナログ電話を使いFMラジオで避難者の安否確認などを行い、翌15日、午前8時には全員を無事帰宅させる事が出来た。水が引いたのは決壊から24時間後、自衛隊の食料配布は、12時間後だったという。
この経験により川瀬さんは、事前の備えの必要性をより強く感じるようなった。その後、クリニック内に防災部会を立ち上げ、クリニックを地域の一時避難所として活用すべく様々な取り組みを始めた。現在では、懐中電灯、ラジオ、笛、ロープなどの緊急グッズを院内12ヶ所に設置し、食料500食(150人×3食分)も常に備蓄されてある(賞味期限前になるとスタッフの食事に使われる)。
また、診察の命である電子カルテを守るために発電機も1台用意し、パソコンのサーバーは、水から守る為に積んだブロックの上に置いてある。そしてこのクリニックの敷地内には、水害後、水蔵と呼ばれる高床式の倉庫を作り、重要なリハビリのプログラムの備品などを水から守っている。そして水害時に患者を運ぶために2つのボートも準備されている。
事務長、弓子さんは、「病院には、医者がいて薬もある。そして食料や毛布があり、非常時に慣れたスタッフもいるので、災害時は一時的な避難所になる。もっと学校や病院、教会、寺などが連携できれば。」と熱く語った。今では、防災訓練は認知症の方の効果的なリハビリプログラムにもなっている。
智恵wisdom
災害から学ぶ。そして変わる。川瀬クリニックでは、災害後に大きく変わった。院内の様々な備えや工夫、定期的な訓練が、そこで働くスタッフ達に防災を日常的なものと意識させる。
この川瀬クリニックは、災害時に地域の中の一時的な避難所となった。避難してきた人達も病院に行けば安心と思ったという。
地域にとって安心で信頼できる、病院や学校、教会、お寺などの施設がその機能を使って地域に開き、つながっていく可能性を示唆している。