21 みんなで持ちよる
状況situation
兵庫県の南西部、たつの市の中心を流れる揖保川。播磨の暴れ川とも呼ばれ、明治以降からでも20数回の洪水の記録が残るという。
近年では、戦中の昭和20年の揖保川決壊によってたつのでは大きな被害を受け、1976年(昭和51年)台風17号による大洪水は揖保川流域全体に大きな被害をもたらした。
事例case
兵庫県の南西部、たつの市は、「播磨の小京都」と呼ばれ、城下町の古い町並みを今も残す。市内中央を流れる揖保川の水の恵みによって「ヒガシマル醤油」を代表とする醤油が江戸時代初期(1655年)より興り、「揖保乃糸」(手延素麺)(1800年頃)という特産品を生み出し、その舟運によって栄えてきた。と同時に揖保川の度重なる氾濫による水害との歴史の街でもある。
同じ揖保川流域の余部(現姫路市)では江戸期(元禄年間)に度重なる洪水に備えて、庄屋、岩村源兵ヱは私財を投じて堤防に水防林として松の木980本を植えた。「余部の千本松」と呼ばれ今も残る。
そんな川の町、たつのには、「畳」を使った珍しい水防活動がある。
1945年(昭和20年)7月からの10月にかけての集中的な豪雨よって揖保川の堤防が決壊した。それにより大きな被害を受けた当時の末広龍野町長と地域住民は、国に堤防建設を懇願するが、河川と住宅の間隔が狭く堤防建設には条件が厳しい事や壁のような堤防を築く事で損なわれる川の景観への抵抗感などを理由に特殊堤「畳堤」の道を選択する。
市内の揖保川両岸には合わせて約3kmに渡り、一風変わった枠のある欄干が並ぶ。川の増水時には、その枠に畳を差し込んで臨時の堤防を築く。畳は、水を含むと強度を増す事や使用後も灰などにして肥料となるなどの利点もある。
「畳堤」の出来た昭和22年当時は、増水時には各家庭の畳を一枚ずつはがして欄干に差し込む予定であったという。現在では、家庭に本間の畳が少ないなどの理由から市役所そばの防災センターに畳を1000枚備蓄し、非常時に備えている。だが、畳堤の出来た10年後に上流に引原ダムが完成し、大規模な水害も減り、畳堤が実際に使われることなく今日に至る。二年に一度行われる水防訓練では地元消防団によりこの畳堤の訓練も実施されている。04年の台風23号の際は、堤防の下50cmのところまで増水し、畳の準備をして警戒に当たったそうだ。たつの市消防団長である田中旭さん(66歳)は、「これまで幸いにしてこの畳堤を実際に使う事はなかったが、最近の予想外の豪雨などにも備えておかねばならない。安心、安全は自分たちで作るものだ。」と語る。
たつのでは、各家庭の畳を持ち寄るという畳堤の出来た当初の思いを今も忘れないよう防災訓練を続ける。
この畳堤は、宮崎県の五ヶ瀬川流域、岐阜県の長良川流域などでも見られ、宮崎県延岡では実際に洪水時に使われた経験をもつ。
智恵wisdom
川の景観を大事にするために「畳」というどこの家庭にもある日常的なものを持ち寄って住民ひとりひとりの力で町を守るという発想は注目に値する。大きく強固な堤防(ハード)があることで起きてくる油断や安心(ソフト)。
敢えて畳堤を選択するという事は、地域住民にとって常に防災という事を意識せざるを得ない。それが川と生きるという事ではないか。このまま畳堤が使われない事をただ祈るばかりである。