23 災わいと共にある恵みに寄り添う
状況situation
島原では1991年の普賢岳噴火の200年前にも大きな災害が起こっている。
1791年(江戸時代)から始まった群発地震と翌年の噴火による溶岩流の流出があいまって翌年4月1日(旧暦)の2回の大地震で眉山(普賢岳の北東、市街地に隣接する)が大崩落を起こした。これにより大量の土砂、岩が島原市街地を経て有明海に滑落し津波(高波)を引き起こした。それにより対岸の天草(熊本県)にも被害を及ぼし、また天草ではね返った波が再び島原を襲う。
両県合わせて約1万5000人もの死者を出した。有史以来、日本最大の火山災害である。これは「島原大変肥後迷惑」と地元で語り継がれている。
そして200年後、再び普賢岳は目覚め、「平成の島原大変」が起こる。
事例case
島原は水の豊かな町である。駅を下り立つと目の前にそびえる島原城が目に入る。城下の古い町並みには無数に張り巡らされた水路に水が流れている。一日の総湧水量は22万トン、市内には約60箇所の雲仙山系からの湧水ポイントがあるといわれる「水の都」である。
昭和60年には環境庁の「名水100選」にも選ばれた。
これほどの湧水は、実は200年前の「島原大変」がきっかけで地割れによって地下水が湧き出して始まったという。市内西部にある白土湖(しらちこ)は島原大変の眉山崩壊に伴う陥没によって生じたといわれ、それは、その後、島原の豊かな「水文化」を生む。
浜の川地区の湧水地は、四つに区画された洗い場が用途によって上から順に食料品、食器を洗う所などと水を有効的に利用するしきたりになっている。これは今でも地域で守られている。また、市内随所に、水神様を祀った祠や飲用の湧水場、水屋敷(敷地内に湧水池がある)、アーケード街の水路、鯉の泳ぐ町エリアなど「水文化」を感じる場所が数多くある。
白土湖そばの耳洗公園では、昔、そこで湧く水でお茶を点て、いい話を聞いて耳を洗ったといわれる。
そしてもうひとつ島原の宝に「温泉」がある。水と同じように各所に温泉が湧き出している。
中でも市内商店街近くの足湯スポット「ゆとろぎの湯」は地域の井戸端会議の場になっている。
近所のおじいちゃん、おばあちゃんが毎日やって来ては、足湯しながら雑談に花を咲かせる。
1991年の普賢岳の噴火災害後、島原では人口4万5000人のうち約5000人が倒産、廃業、避難などを理由に転出する。
それに伴う消費減少と風評被害を受けた観光地、島原では観光客が激減し、全国的な「シャッター商店街」化もあいまって町は活気を失っていく。
だが、島原は、火山の恵みである「水」と「温泉」や噴火災害を「負」と捉えずに後世にこの災害を伝える為に「雲仙岳災害記念館」(通称、がまだすドーム)を02年にオープンさせた。また、土石流に埋まった被災家屋をそのまま展示した保存公園、災害時の緊急避難ルートとして諫早と島原を最短40分で結ぶ島原中央道路(4.5k)など様々な災害を風化させない取り組みと観光を結びつけようと努力し続けている。そして島原の経験と教訓を世界に、そして火山との共生をテーマに07年11月に火山都市国際会議を開催する。
智恵wisdom
「水」や「温泉」は、火山によってもたらされる恵みである。自然は時に猛威を振るい人間から様々なものを奪っていく。
だが、それと同じくらい様々な恵みももたらしてくれる。噴火災害で深い傷を負った島原では、その恵みを使った町おこし、地域づくりに取り組んでいる。
まだまだ課題は多いが、その地道な取り組みは、被災した島原だからこそ発信できる貴重な智恵である。