28 あらゆる方法で防ぐ
状況situation
岩手県三陸海岸にある田老町(現、宮古市)は、「津波太郎」というありがたくない名前を持つほど過去に数十回の津波の被害を受けている。
中でも明治の津波(M7.5)の際、田老村(現、宮古市田老)では最大波高14.6mの津波が人口の83%である1859人の尊い命を奪い、村はほぼ全滅状態になった。そして37年後の昭和8年、M8.5の地震により再び津波(最大10m)が田老を襲い、911人が海に消えた。
全滅した田老に残された被災者たちは、全員で満州に移住しようという話も出たほど悲惨な状況であった。
だが、故郷を離れがたく村長を筆頭に村民一丸となって再建・復興に取り組んだ。
事例case
人口約5000人の田老町は断崖絶壁の隆起式海岸線をもつ漁業の町である。人口の7割が地盤の低い土地に暮らしており、津波の被害を受けやすい。その為に明治と昭和の津波で町は壊滅的な被害を受けた。国や県による高所移転の話もあがったが、関口松太郎村長(当時70歳)は「悔いを100年後に残す」として海と生きる田老の人々と協議の末、故郷に住み続ける為に防浪堤(防潮堤)を築く事を選択した。そして昭和津波の翌年(昭和9年)、借金をして村費で着工を開始し、後に国、県の事業になったという。翌10年には約7万平方メートルの潮風に強い赤松、黒松などの防潮林を植樹。
また「耕地整理法」に基づく市街地計画で碁盤の目のような広く見通しのよい道路は高台の山に向かうように整備された。
また、避難をより迅速に行う為に「隅切り」と呼ばれる交差点の道の隅を切る事で見通しをよくした。現在では日常化し、平時の交通安全にも役に立っている。
これらの公共事業は、すべてを失くした被災住民に仕事、そして安心や希望を与えた。また住民によって毎年行われる津波避難訓練では、津波体験のある高齢者に「目をつぶっても避難できるよ。」と言わせる。
昭和9年の津波の日から70年目の2003年3月3日に田老町は、「津波防災の町宣言」を行った。
智恵wisdom
田老町は、過去二度の大津波に襲われ、町が壊滅的な被害を受けた。町の存続の危機にまで陥り、他の場所への移転をも迫られた。
だが、郷里の海辺に暮らす事を決断した住民は、「自分たちの町は自分たちで守る」と世界一の防潮堤建設、防潮林造成などの「防ぐ」事業や市街地計画推進、避難訓練などの「逃げる」事業を借金して行い、復興を成し遂げた。
その事業の中には、雇用創出による「安心」や暮らしの再建、「隅切り」や避難路などが日常化するまでに至った事(防災は特別なものでなく、日常的なものとして)などの智恵が詰まっている。また過去の災害の歴史を風化させない為にも町は70年後に「津波防災の町宣言」を行い、「天災は忘れた頃に来る」と住民に対して防災への意識喚起を続けている。