29 設備や情報に頼らない
状況situation
三陸海岸では、大小合わせると過去数十回の津波の襲来にあっている、津波の常襲地である。
田老町は明治の大津波では人口の80%以上の人々(1859人)が海の藻屑となり、生き残ったのはたったの36人だったという。
また一家全滅は130戸に上ったという。そして37年後に再び田老を襲った昭和の津波は、またもや死者911人、一家全滅66戸という甚大な被害をもたらした。
事例case
度重なる津波の被害を受けた田老の住民は、昭和8年の大津波以後、関口村長の下、団結して復興に取り組んだ。
全長2433mの世界一の大防潮堤の建設、津波の威力を軽減する7万平方メートルの防潮林の植樹。津波が遡上する恐れのある河川の水門や護岸の整備、市街地の区画整理による避難路の確保などを行ってきた。郷里、田老の為に奔走する宮古市役所(旧田老町)の危機管理室の山崎正幸さん(41)は、復興計画の四大柱である(1)漁港整備、(2)防潮堤築造、(3)河川護岸改修、(4)区画整理を半年間で打ち出した当時の関口村長の決断の早さを評価する。「行政の早い決断がどれほど被災住民を安心させる事か」と。
津波防災の最先端である現在の宮古市田老地区では、従来の津波警報機配備に加え、現在では「防災行政無線」が、全地域、全世帯(個別受信機)に設置されていて、市総合事務所からの正確な情報が迅速に伝えられるようになっている。
また夜間に避難を想定して避難路や防潮堤には、太陽電池による照明灯も整備されている。その他、津波観測カメラや潮位監視センサー、密漁監視の為のGPS(衛星)を活用したシステム、気象庁の地震・津波情報受信などの最先端のシステムを駆使している。
だが、山崎さんは、「一番大事なのは一人ひとりが避難することだが、正常化の偏見が懸念される」と話す。
自分だけは大丈夫だと避難しない意識や(未だ津波を経験していない)防潮堤がある事で守られている気がしている事、度重なる避難警報への慣れなどを指摘する。津波が10mの防潮堤を超える事は十分にあり得る。
また、各家庭にあるテレビや防災無線からの情報を待っていると足が止まって逃げ遅れる。ハードがあることで安心してしまわずに、「とにかく逃げる」というソフト面を地域住民と共に考えるワークショップなどを企画して、自主防災組織の立ち上げへ向けて、地域住民と歩調を合わせながら地道に行っている。
田老地区の住民でもあり、市職員でもある山崎さんは、市のホームページ上に貴重な過去の津波資料や津波シュミレーションなどを作成して誰でも閲覧できるようにしている。また市役所での役職が変わっても「防災」に関わり続ける為に防災士の資格も取得した。
津波を知らない世代であるが、山崎さんは、自ら「防災バカ」と呼び、地域の為に奔走している。
智恵wisdom
昭和津波時の関口村長の復興計画の決断の早さが、被災者にもたらす「安心」。70年経た現在、世界各地で多発する自然災害からの復興に示唆するものは多い。また、過去の津波の教訓から生まれた防潮林、防潮堤、市街地計画、IT技術の活用などのハード面に安心しきる事なく、「情報にとらわれずに逃げる」事、「自分は大丈夫だ、、、」と考えてしまう正常化の偏見を乗り越え、常に意識を最新にしておく事を教えている。