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減災に挑む30のストーリー
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03 日頃より苦楽を共にする

災害前

状況situation

昭和の三大台風と言われるほど強い超大型の伊勢湾台風(台風15号)は26日夕刻、和歌山の潮岬に上陸し、伊勢湾西部など中部地方から日本海へと抜けた。死者・行方不明者、約5000人(愛知、三重県内)、負傷者、約3万8900人、全壊家屋3万6000棟、半壊11万3000棟、流失家屋、4700棟。

被災者数は、全国で約150万人以上(愛知約79万人、三重32万人)となった。長島では、長良川や木曽川の堤防が決壊し、洪水よりも強風による高潮被害で人口8700人(当時)のうちの383人が亡くなった。

事例case

三重県長島町(現、桑名市)は、木曽三川(揖斐川、長良川、木曽川)河口の濃尾平野に位置し、木曽三川が運んだ肥沃な土砂によって出来た海抜0mの低湿地帯(デルタ地帯)である。

また河口から直線で約30km高低差がない平坦地でもある。長島は、木曽三川の栄養分を豊富に含んだ土と豊かな水で「米どころ」として栄えてきた。その米作りを守るために長島の人々は堤防を築き、一番安全で(田畑として)使い道のない堤防の上に人々は集落を列状に形成してきた。それが輪中である。江戸初期に多くの輪中が完成したという。堤防に囲まれて集落があるのではなく、堤防の上に集落があってその内側に田畑が広がるのが、本来の輪中の姿である。そう語るのは、「長島輪中の郷」の諸戸靖さん(50)。

輪中を見つめ続けてきた諸戸さんは、単に堤防に囲まれたのを輪中というのではなく、人々がいかにその堤防を守るために協力して水防活動を行い、ひとりひとりの命や財産をどのように守ってきたか、その中で形成されてきた非常に強い結束で結ばれた水防共同体も含めて輪中と呼んでいる。

その水防共同体では、台風や豪雨の際、川の水が堤防の半分までくるとまず見張りが立つ。七合目までくると家財道具を屋根裏に上げる。

八合目まできたら住民全員が水防小屋に集められ、水防活動に従事しなくてはいけないという「決まり事」がある。

明治期までは土嚢の代わりに大切な米俵を抱えて切れそうな場所に飛び込む決死隊という自己犠牲の習慣もあったという。

また自分達の為にと堤防修復は無給で働き、「ただ役」と呼ばれた。娯楽の少なかった長島では、これはある種、祭りのような「楽しみ」の一面もあったという。危険な事態に至るまでの間は水番は、水防小屋に集まってワイワイガヤガヤやり、いざという時は皆で力を合わせ一斉に動くという。このように苦楽を共にする事でより地域の結束が強固なものになっていく。

また、「内」に向けられる結束力は、「輪中根性」と呼ばれる「外」への意識も生み出す。他の集落の堤防が切れれば自分達は助かる、だから自分達の集落の堤防を一分一秒でももたせる為に水防活動を行うという戦いにも似た現実もあった。

今でも堤防にある水防小屋には土嚢袋や縄など道具が常備され、そのそばには土嚢用の土と石が盛ってある。

伊勢湾台風からまもなく50年を迎える。それ以降近代的なコンクリートの堤防ができ、大きな被害にあっていない長島では、それまで必死に水防活動を行っていた人々は「切れない、壊れない、大丈夫だ」と今は家の中にいて安心しているという。

「昔のようにいつ切れるか分からない緊迫した状況だと早期避難や水防でもやれる事があったはずだ。100%切れない堤防はない」 と諸戸さんは語る。

智恵wisdom

「川はあふれるもの」という観点から遊水地や二線堤、輪中のように川からあふれてきた水を二重三重の堤防で「暮らし」を守る。

それ自体が智恵であるが、長島のようにひとりひとりが命がけで皆の米と命と財産を守ってきたという歴史の中で生まれてきた結束の強い共同体があってはじめて輪中(堤防)が維持されるという事を忘れてはならない。それが輪中と生きるという事である。

現在、全国に輪中を造るという話があるが、その土地の歴史や風土、気質を十分に考慮した上でそれをいかに維持していくかも考えなければならない。