宮城県七ヶ浜町報告【第105報】被害の大きさ、心の距離。

お世話になります。RSY飯田です。
先日の「湊浜元気祭」でお声をかけてくださった、Tさんのお宅にお伺いしました。
Tさんのご自宅は、今回の津波の被害に遭わなかった地域にありますが、
リビングに入ってすぐ、白い壁のいたるところのひび割れたままの壁紙が目に入りました。
「地震で破れて、はがれちゃって。直そうと思ってるんだけど、今忙しいみたいで…」
大工さんや左官屋さんは、今もまだ手の足りない状況が続いています。
震災時はTさんお一人でご自宅にいて、ご主人はお仕事で仙台にいました。
「家中がミシミシいって、食器が落ちたり一瞬で家の中はぐしゃぐしゃ。怖かったけど、
1人だったし家でじっとしてるしかなかったの。そしたら避難するように言われて…。
友達がすぐに炊き出しをしてくれて、すっごくお世話になったのよ。」
ご自宅がオール電化なので、電気が復旧するまで家で生活をすることができません。
冷凍庫の食材を炊き出しに提供して、ご近所さんと支え合った数日間を過ごされました。
「物資が届いても、家があるから取りにいくのは気が引けてね…。」
避難所では平等に物資が配布されたそうですが、家の片付けに戻ると、
家のある人/家のない人 といった線引きをされる 視線 を感じたそうです。
また、すぐ隣には、仮設住宅にお住まいの方たちが生活しています。
最近になっても、ゴミ出しなどでお顔を合わせることもあるそうですが、
どういった人たちが住んでいるのかご存知ありませんでした。
「話かけられることもないんだけど、こっちからも何話したらいいかわかんないんだ。
近くに住んでるんだからって思うんだけど、顔見ても言葉に詰まってさぁ。。
悪いことしてるわけじゃないのにね。なんか寂しいよね。」と、ご主人。
ご自宅に住んでいることに罪悪感に感じてしまったり、仮設住宅に住んでいることを
隠されてるように感じてしまい、声をかけられずにいるとのこと。
そんな状況を非常にもどかしく感じていらっしゃいました。
たとえ津波の被害に遭っていなくても、当時のことはいつでも鮮明に蘇ってきます。
しかし、多くのボランティアが七ヶ浜に足を運び、復旧・復興にと頑張ってくれている姿に、
「地元の人が、がんばらないといけないな」という思いが湧き上がってきたそうです。
またそういった声を行動に移していただくための「きっかけ」を作ることも支援の1つ。
それが、町全体の活気につながればと思います。
大変貴重なお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。