宮城県七ヶ浜町報告【第176報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第15号](2014年9月1日~2014年9月30日)

皆さま
お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年9月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2014年10月11日で震災から3年と7ヵ月が経過しました。

「今年は残暑って言葉もなかったなぁ、いっきに冷え込んだね。去年と違って9月初めだっていうのにふとん掛けて寝てるよ。」
「仮設は暑さと寒さに弱いんだよ。3年経つから慣れたところもあるけどね」
「だから、この時期の足湯はいいんだよ~。足湯は足だけじゃなく身体全体温まるからね。それと心もね~。」
足湯の際、仮設住宅集会所内には笑い声が響き、和やかな空間が自然と作られています。

2011年3月の避難所の時から続けている七ヶ浜足湯ボランティアも3年が経過したことになりますが、
最初はこういった場ではありませんでした。
続けているからこそ、住民の皆さんとボランティアさんと交流があってこそ、今の雰囲気が出来ました。
「仮設住宅から出たら足湯もなくなるの?公営住宅でもやって欲しい」という声も多くなってきています。
住民の皆さんの声を聴き、これからのボランティアの形を考え、現地での活動を継続していきます。

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〇七ヶ浜で半漁半農をやってたのよ。忙しくてマニキュアぬる間もなかったけど、今はここに来てやってもらってるのよね。
ボランティアの皆が来てくれて、色々とやってくれるから勇気が出て来たよ。
みんな流されて失ったもは大きいけど、助けられて得たものも大きいから、感謝だね。
(女性:60代)


〇この指輪は(持っているのは)最後の指輪だ。他のものが全部流された。
この仮設は住みやすい。木材だから一番いいよ。
(女性:80代)


〇70歳過ぎて喘息になって(首の後ろを指して)ここもね、切っちゃって、左手の薬指と小指がしびれてるんだ。
2番目の子が生まれてすぐ、お父さん亡くしちゃって、海でね、漁に行ってる時に船が沈んじゃってね。
お父さんが33歳で私は27歳のときにね。もうだめだと思ってお父さん追いかけようと思ったんだけど、
それでも、仕事も見つかったから何とか子供大きくしてね、なんとかなったんだよね。周りのみんなのおかげだね。
(女性:80代)


もともと名取のあたり出身で昔は相野釜にも海水浴に行ったのよ。息子は震災後に生まれて今三才。
ここ(仮設集会所)だとおばあちゃんおじいいちゃんがいっぱいいていいわぁ。
震災前は休みの時は福島とかまで遊びにいってたんだけどね。今は息子もいるしちょっと心配で福島には行ってない。
(女性:40代)


〇今日足湯は初めて。今までは恥ずかしくて来られなかった。今日は妻が行こうと言ったから来た。
毎日することがなくて困っている。好きなことがない。話もできない。何もできない。趣味もなくて困っている。
(男性:80代)


〇津波で何もかもが持っていかれたよ。築四年の家だったんだよ。家だけで2400万もかかったんだ。
借金だけ残ったよ。何もないのに払わなきゃなんねえ。あいや、地獄だね。
(男性:50代)


〇来年の3月には高台に新しい家ができるんだ。ひ孫といっしょに暮らせる。今から楽しみだなー。
(女性:70代)


〇毎日編み物しに(集会所に)来てる。マフラーや今はひざかけ編んでる。
東京の息子が一緒に住もうと言ってくれたが、やっぱりこっちの方がいい。暮らしやすい。
(女性:70代)


〇腰が痛い。指も(まがって)まっすぐなんねえんだ。ほれ。この間、病院に行ったんだけども長く通う必要あるって。
長い間、百姓やってたから手ががっちりしてんだ。震災の時は本当にサバイバルだった。
二か月もお風呂い入れないし、痒くて痒くて。仲間失くしてさ。一か月半くらい見つからなかったんだよね。
(男性:50代)

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RSY七ヶ浜事務局では毎月足湯ボランティアを募集しております
くわしくは七ヶ浜町のボランティアセンターのブログをご覧ください。