RSY事務局・清野です。震災がつなぐ全国ネットワークの顧問・村井氏からの雑感レポートをご紹介します。
————————————————-
能登に向けて、今晩「中越・KOBE足湯隊」の第2段が出発する。1回目は神戸大・大阪大学・長岡技術科学大学などの学生有志が中心だったが、今回2度目は、神戸学院大学の学生も加わる。さらに、2年前の台風23号による被害を受けた豊岡・出石地域の支援に、あの時以来休日の度にほぼ2年間通い続けた被災地神戸市長田の住民も加わっての「中越・KOBE足湯隊」となる。今日の「中越・KOBE足湯隊 レポート」で被災者の声を、足湯をしながら聞き取った若者のレポートとして紹介しているが、是非読んで頂きたい。
ともすれば長年守り続けてきた集落が消えるかも知れないという現実を受け止めながらも、不思議なほどに悲壮感のないたくましさに、こちらがオロオロするほどの生の声を聞かせて頂いている。今回の能登半島地震は、これからますます深刻になる日本の中山間地域における”限界集落”の将来を予測させるような災害だ。
ところでこの能登を、少し違った角度から眺めると、実にお寺が多いことがわかる。輪島市門前町の総持寺祖院は見事なお姿で今回の地震とも立ち向かった。また同じく阿岸にある本誓寺という寺は、新潟とのつながりが強く、見事な茅葺き屋根のお寺であり、やはり壊れていない。
こういうお姿を見ると、伝統工法の日本建築の専門家や棟梁達は涙を流して、ほんとに心から手を合わされるのではないだろうかと思う。こうして、有名・無名、大小数々のこの地方に存在してきた寺は、この地域に住む人々とともにこの地に存在してきたと言えないだろうか?もし、
この地域に人が住んでいなければ、それでもそれぞれの寺は修行寺としてでも存在し続けたのだろうかという疑問が湧いてきた。
今回の地震で被害を受けた地域の中で、村の8割縲鰀9割がの職業が元外洋の船乗りだったということが、足湯の聞き取りから判ってきた。外洋の船乗りだから、一度船に乗ると2ヶ月も家を留守にするそうだ。前にも書いたが、つまいその間の留守宅を守り続けてきたのが女性だと判ってきた。
先日のY新聞地元版に紹介された記事が、この女性の大事業を彷彿とさせるような内容だった。それは、被災者である山下数子さんという82才の女性の言葉である。取材記者の質問に対して「守る墓がある。暮らす墓がある。何があっても、ここを動かない。たとえ、子どもに強く求められても」と。
こちらも大変な複雑な心境になる。せめて、たとえいっときでも、足湯で若者とふれあい、楽しいひとときを過ごして頂きたい。それが今、私たち阪神・淡路大震災から新潟県中越地震と思いをつないできた者のささやかな贈り物である。