宮城県七ヶ浜町支援報告【第 2 報】

皆さま
RSY浦野です。
3月26日(土)・宮城県七ヶ浜町での被災者支援活動の報告です。
【被害概要(3月26日8:00現在:七ヶ浜町災害対策本部調べ)】
・死者:50名(うち身元不明者:2名)
・安否確認不明者:27名
・負傷者:17名
合計:94名
○避難所)
松ヶ浜小学校、生涯学習センター(中央公民館)、七ヶ浜国際村、七ヶ浜中学校(武道館)、地区公民別館、亦楽小学校 等(全7施設・避難者数:1,138名)
○ライフライン
(入浴)
・3月27日(日)、30日(水)、4月4日(月)、8日(金)の4日間、陸上自衛隊多賀城駐屯地で入浴サービス実施予定。
(電気)
・沿岸部以外の地域はほぼ復旧。沿岸部や電柱等流失している地域では復旧未定。
・今回の災害に伴い、電気の使用量がゼロの場合、特別措置として基本料金は無料(ただし、申請が必要)


kyusui.jpg(上水道)
・七ヶ宿ダムから水を引いているが、七ヶ浜町はダムから一番遠い地域に位置しているため、復旧までに時間がかかる。七ヶ浜への送水日は4月2日。町内への送水はさらに数日かかる恐れあり。
(給水)
・午前9:00~11:00、午後3:00~5:00、合わせて8か所で実施。
(燃料)
・現在、町内の燃料を扱う店の燃料の在庫が少ないため、避難所のために使用することを最優先にしている。21日より塩釜港に2000キロリットルを積んだタンカーが毎日入稿しており、宮城県知事は22日、塩釜油槽所からガソリンなどの安定供給が可能になったとして、早ければ今週末にも燃料不足は解消されるとの見通しを明らかにしている。
(都市ガス)
・七ヶ浜町は塩釜ガス利用地域。25日(金)より順次再開している。プロパンガス地域は使用可能。
(電話)
・菖蒲田浜地区にあったNTTが水没したことから、固定電話、光回線、ADSL回線などの復旧の目処は立っていない。
○災害ボランティアセンターの様子
(コーディネーター)
・地元災害ボランティアが事前に30名程要請されていたが、多くが津波地域の居住者だったため、センター運営のサポートに回れない。その中でも動けるコーディネーター数名はセンター開設後から毎日常駐しているが、かなり疲れが出ている様子。
(ニーズ把握・広報)
・ニーズの把握は、電話受け付け、直接来所が中心。
・センター開設の広報は、地元ボランティアから周辺の家々への周知、民生委員さんからの周知、新聞(河北新報)告知[24日より]を実施している。
(ボランティア活動メニュー)
・個別ニーズの対応
・給水所の協力、手伝い、交通指導
・救援物資の搬入、仕分け、搬出
・避難所の看護(看護チーム→七ヶ浜町在住者)
・避難所での案内・受付
・NPOによる避難所での子どもの遊び相手
・ボランティア用炊き出しサポート
・YMCAによる在宅避難者の巡回
・足湯
など。
○RSYの動き
(ボランティア用炊き出し提供)
・昼食:卵おじや(130人分)、夕食:きつねうどん(130人分)
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(避難所での足湯ボランティア)
・地元大学生3名、中高生13名、合計16名が参加。
・11:00~12:00足湯講習会を行い、14:00~15:00まで足湯実施。
・高齢者を中心にした24名が足湯に参加
・地元大学生をリーダーにしつつ、今後も毎日実施できる体制を整える。
【足湯被災者のつぶやき】
・11日から避難所生活をしている(家のライフラインが復旧していないので)
・初日の2日はパイプ椅子で寝て体が痛かった。
・便秘がちで大変だが、医師に診てもらって薬をもらえてやっとすっきりできた。
・生まれも育ちも七ヶ浜なのでまさか津波でこんなに被害を受けたことに驚いた。(女性80歳)
・野球が好き。60歳までプレーヤーと監督をやっていた。
・50年前も津波の経験をしたので、今回の地震の時に避難をして家に戻ろうとしたが、危険を感じ、高い所に避難して助かった。
・家族は無事。建築系の仕事をしていた。初日の2日はパイプいすで寝た。
・動ける人が体の不自由な人のお世話をしているので、体が痛くなる(高齢者が高齢者を介護)(男性75歳)
・家は津波で流されてしまった。
・夫婦二人で逃げてきた。
・避難生活で足が痛い。目が悪いのでこのような生活はつらい。
・水が出ないので生活に困る。(女性70~80歳)
・ドアを開けたりする度に風が入ってきて寒い。
・お風呂に入り、髪を洗いたい。
・今日、中央公民館に移ってきた。(女性63歳)
・家が流されてしまった。
・胃がんの入院から退院したばかりで、薬も流されてしまった。
・決まった生活ができなくて大変だ。
・避難所生活で体が痛い。今はよくなったが。とても寒かった。
(男性75歳)
・地震があった時にびっくりした。
・足がいたくなったりしないが、生活は大変。
(男性70~80歳)
・ごはんが朝晩だけなのでおなかがすくときもある。
・夜は眠れている。
・大変というか、何もすることがない。
(女性70代)
(看護・介護チームのミーティングに参加)
・25日の避難所の様子を報告し、寝具環境の改善(敷布団がない)、避難所生活のルール化(換気・掃除・ゴミ処理方法など)、健康維持(体操・気分転換のための取り組み)、要援護者への食事環境の配慮(パンが堅くて冷たいご飯が食べにくい)、身体衛生状態の改善(着替え、清拭、口腔ケア等の必要性等)の課題があることを確認。
・メンバーはほぼ地元在住の看護師・看護学生・介護師ら6名。
・まずは優先順位の高い方の把握が先決であるということで、各避難所を回り個別シートを作る必要性があることを伝達。
(東日本大震災全国支援ネットワークとの連携)
・ネットワークメンバーであるNPO法人自立生活サポートセンター・もやいメンバーと合流。今後の物資調達ルート「ワンファミリー仙台」を紹介して頂く。
○被災者の声
・避難所が統合されたため、今日中央公民館に移動してきた。着のみ着のまま、身一つで逃げてきたので、お金も何もかも一切持ち出さず全部流されてしまった。家の中にいる時に地震に遭い、息子と一緒に命からがら逃げてきた。これからどうしたらよいのか分からない。もう家は建てられないと思う。(80代女性)
・膝が痛くて和式の仮設トイレは使えない。今は避難所内の様式トイレを使っている。でも水が出ない。便座にビニール袋をかぶせて、その上で用を足しているが、袋が一杯になっても自分では処理ができないので人に頼まなくてはいけない。避難所の中で体を動かさないので、運動不足にもなっている。もう体がしんどい。(80代女性)
・家は全部流された。少しでも物をとりだそうと家のあった場所の様子を見に行ったが、流木やヘドロだらけでとても自分たちでは片付けられない。自衛隊が道路を通すため、散乱しているガレキを撤去しているが、アルバムなども瓦礫にまぎれて一緒に撤去されてしまい、結局とり出すこともできなかった。自分たちでできる作業ではないから諦めるしかない。漁業用の船2隻が被害を受けた。1隻は引きあげられたが、もう1隻が出てこない。その船さえ使えれば仕事も再開できるのに。(40代女性)
・避難所の駐車場がすぐ一杯になってしまうので、ガソリンを入れに行きたくてもなかなか出られない。(40代後半男性)
・会社が津波で流されてしまったため、やることがなくここにボランティアに来た。(20代男性)
・足のすねを火傷したが医者に行けなかったため、針で水膨れを自分で潰していた。足湯の際に怪我が発覚し、状態も悪くなっていた。糖尿病もあり足のむくみも気になった。昨日よりドクターが常駐するようになったため周知が十分されておらず、本人もその存在をしらなかったとのこと。医務室へ繋ぐ。(80代女性)
・朝夕1日2回避難所でご飯が配給される。ご飯、味噌汁、缶詰、パンが中心。ご飯が冷たくて飲み込めない。おかゆがあればいいのだが、レトルトのものだと冷たくて食べるのがしんどい。食事は本当に辛い。(80代女性)
○RSY今後の動き
・第1陣:3月29日まで(30日移動日)
・第2陣:3月29日~4月3日まで→足湯隊・ボラセン運営サポート
※4月3日以降に継続してボランティアを派遣できるよう、拠点作りの整備・調整
※浦野は月曜日に帰る予定を変更し、3月30日まで滞在します。
※ボランティア活動支援金にご協力ください!
・郵便振替00800-3-126026
加入者:特定非営利活動法人レスキューストックヤード 
通信欄に「東北地方地震」とご記入ください。
・クレジットカード払い:
https://www.canpan.biz/products/list.php?category_id=84
※上記のページから「寄付」をお選びください。
※団体へのメッセージ欄に「東北地方」とご記入ください。