宮城県七ヶ浜町報告【第22報】足湯つぶやき報告

みなさま。
きずな館スタッフの石井です。
RSYが七ヶ浜支援町当初より行っている「足湯」活動も2ヶ月を過ぎました。
震災当初は断水もしており、お風呂の代わりに足湯を利用されるか方が多くみえました。その後4月初めには水道も復旧し、現在は1日3回自衛隊のお風呂への送迎があります。
そのような中お風呂に入った後でも足湯を利用する姿がみられます。当初お風呂の代わりであった足湯が、現在はボランティアとの交流の場として避難所の方々の「楽しみ」として利用されています。IMG_8984.jpgのサムネール画像
また、仮設住宅に移ったあとも足湯をしてほしいと通ってくださる方もおり、足湯に対する住民のニーズもあることがわかります。
以下5月に入ってからのつぶやきを抜粋いたします。132.jpgのサムネール画像
女性80歳
・自衛隊のお風呂は恐い。(目が悪くて見えないのに、手すりがなくて深いため)1回行って、もう行ってない。あとは娘さんが来たときに入れてもらうくらい。(熱~いお風呂が大好きなのに)
・身体がほかほかになったせいか、今まで動かせなかった(動きにくかった)右手の小指が動くようになった。
・「何か欲しいものとか、やだなーとかありますか?」→自分はまだ被害が少なかったから良かったけど、もっとひどい人もいる。とにかく楽しくいることが大切。だから笑顔でいられるようにしている。
女性80歳代
・大変だったけど家族が皆無事だったので良かった。さみしくないよ。
男性70歳代
・足湯、本当にありがたい。
・ずっと七ヶ浜で生まれ育ち、退職後はライフセーバーとして3年間。
・退職前は海外で漁業について講師として回っていて、アメリカ・アラスカなど色々な所へ。
・”なぜ今回のことが起こったかわかる?”→”それはね、海が怒ったからなんだよ!海水浴に来た人が、たくさんのごみを捨てていくそのことをとても良くないことだとお話しされていた。アメリカでは必ず持ち帰る。日本も規制を厳しくしなければ。
女性75歳
・痩せてきてしまったから気になってる。
・早く浜が復活してほしい。
女性56歳
・やせちゃった。
・おしゃれが好きなのに指輪が流されてしまった。
・田んぼ仕事をしていたが田んぼができない。
・今日はおフロなかったから嬉しかった。
女性70歳代
・農家だったので運動不足。毎日少しずつ散歩している。
・全部流されてしまった。お米が作れない。自分が食べるためのお米を初めて買った。
・右足の親指の筋がつってしまう。
女性70歳代
・家が古いから地震で全壊してしまった。
・息子と荷物を取りに行ったときに、あと5分遅れてたら死んでいたかもしれなかった。
・部屋にずっといても気分が落ちてしまうから、皆ロビーや外に出てる。そのおかげで新しい友達もいっぱいで来た。
・物資で拭くやらなんやら色々もらえて嬉しい。
・この前群馬に温泉に入りに行った。楽しかった。また行ってみたい。
男性73歳
・自衛隊の銭湯帰り。毎日とても大きなお風呂に入れて嬉しい。
・右足が悪い。病院ではマッサージしてくれないので(?)足湯は嬉しい。
女性75歳
・お孫さんが青森の方へ避難してしまってさみしい。
・家が海苔屋さんだった。
・家は残ってても中が流されてしまって避難してきた。
・海苔を回収する時の朝日がきれいだった。
男性60歳代
・被災して、これまでどれだけぜいたくな生活ができてたかよーく分かった(電気・水など使いたい放題)
・必要最低限のものはある。もう物はいらないから元の生活がほしい。
・今、被災した自宅の片づけをしている。まだ9~10%くらいしか終わってない。
・仮設の申請はしたけど、多分通らない。(夫婦・娘2人・旦那さん・孫1人)の6人
・優先されるのが乳幼児・高齢者だけど、家は該当しない。
・この地域、足湯ができる所(ホテルなど)は結構あるが、マッサージがつくのはここだけ
女性50歳代
・野菜を切る仕事をしている。
・家は平屋だったので全部流された。
・靴下とか衣類は親戚の家にある。(避難所にそんなに持ち込めない)ので取りに行くのが大変。
・風邪をひいてしまったので、お風呂に入れない。
女性85歳
・足の爪がはがれてしまったので、足湯が受けられないけど、話し相手がほしい。
・ボランティアの若い人たちと話すのが楽しい。
女性60代
・アルコール消毒で手が荒れてしまった。同じ部落で何人も流された、私は自転車を捨てて丘に上がって助かった。何もかも流されて酷いものだから、こうして皆が支援してくれるのはありがたい。
女性70代
・津波で家が跡形もなくなった。それでも家族5人無事だった。孫は地震の翌日手を血だらけにして帰ってきた。なんでも、どこかの家で閉じ込められている人を助けるため、素手でドアを壊したのだと言う。数日後、助けられた人が尋ねてきて、感謝をして帰られた。とりあえず仮設に入ってから、先のことを考えたいと言われる。
中には発災より2ヶ月も経つというのに誰にも悩みを打ち明けられず、自身の中に押しとどめていてこの足湯で初めてため込んでいた想いを吐露し、堰を切るように涙を流した方もいました。
周りの誰もが被災者という外部である私たちだからこそ聞いてあげられる話もあります。
今後は避難所から仮設住宅へと移っていく中で仮設住宅集会場への足湯活動も展開していく予定です。