みなさま
RSY浦野です。
先日、RSYボラバス46陣メンバーの菅沼さんからのレポートで既にご紹介させて頂いていましたが、あらためて「たべさいんプロジェクト」の皆さんとの交流会についてご報告したいと思います。
1.RSYとたべさいんの皆さんとの出会いと活動経緯
このプロジェクトが発足したきっかけは七ヶ浜町民・鈴木喜久栄さんとの出会いからでした。
喜久栄さんは、避難所生活が始まって間もなく、独自で傾聴ボランティアとして活動を始めました。
避難所の劣悪な環境を見て、特に高齢者の口腔ケアや感染症予防の緊急性を感じ、特別養護老人ホームで長年ボランティア活動に携わってきたご経験から、マスク装着の必須性や水を節約したうがいの方法などを丁寧に伝えておられました。
そんな時、80歳を超えるお年寄りが、「他に食べるものがないから仕方が無い・・」といいながら、カップラーメンをすする姿を見て、大きな衝撃を受けたそうです。「せめて今まで毎日食べていたであろう漬物やおひたしを食べさせてあげることはできないのだろうか」と考え、近所の協力を得て野菜を集め、週に数回、サラダやおひたし、お漬物、果物などを持って避難所に届ける活動を開始されました。
「食欲がでない」と元気をなくしていたお年寄りに、「お漬物だったら食べられるはずだから、ぜひ食べてね」とそっと漬物を手渡し、後日再び避難所を訪れた時、「あのね。あのお漬物でご飯が食べられたの~!!」と、とても嬉しそうに喜久栄さんのそばに駆け寄っていらっしゃったとのことです。
そんな中、ボランティアきずな館がオープンしてほどなくした頃、浦野がきずな館に入ると、見慣れぬお顔がありました。
それが、鈴木喜久栄さんと、のちにたべさいんのメンバーに加わって下さった横田奈奈さんだったのです。
お二人は、オープンしたてのきずな喫茶の、飾りも何もない殺風景なテーブルに、少しでも心が安らぐお花を・・・とのことで、フラワーアレンジメントを作成し、プレゼントして下さいました。
このフラワーアレンジメントは、仮設住宅の集会場でも、住民の方々の心の安らぎを与えてくれました。
初めましてのご挨拶の後、喜久栄さんたちの活動を聞かせて頂く中で、喜久栄さんが「野菜と調理をするところさえあればもっと沢山のお野菜を届け続けられるのに・・・」とポツリとおっしゃいました。
その話に反応し、すぐにお互いの意見交換が始まりました。
その中で、①これまでRSYも支援してきた宮崎県・新燃岳噴火災害で、被災した農家さんから「私たちも東北の方々に何かしたい」とご提供頂いた食材の一部を、この活動に提供すること。②喜久栄さんが代表を務める『七ヶ浜婦人とくらしを考える会』ともう一つの地元ボランティア団体『ゆいの会』さんがきずな館の厨房で料理を作り、地元と外部ボランティアで一緒に避難所にお届けすること、を決定し、避難所が完全解消するまでを期限として、「たべさいんプロジェクト」の活動がスタートしました。
メンバーの喜久栄さん、奈奈さんに加え、片桐まき子さん、横田京子さん、工藤玲子さんが協力メンバーとして参加され、毎回新たまねぎと人参のマリネ、きゅうりと大根の漬物などがあっという間にできました。避難所に同行させて頂いた時の、お漬物を受け取ったお年寄りの表情が今でも忘れられません。「あぁ・・、本当にうれしい。ありがとうね。」と涙ながらにおっしゃった言葉と、たべさいんの皆さんが優しく手や背中をさすって差し上げる姿に、「地域力」の本当の在り方を教えて頂きました。
その後、5月8日~6月末まで、数回にわたり「仮設住宅入居者説明会」がありましたが、その度に「たべさいんプロジェクト」として、住民の方に炊き出しを提供して下さいました。この炊き出しがあったおかげで、過去の災害で仮設住宅入居経験のある方をゲストにお招きし、七ヶ浜の住民の方と交流して頂く機会が持てました。
そしてこの頃、新たに漬物用にと新鮮な青梗菜などのお野菜をご提供して下さったのが、愛知県安城市ふれあい「えのき」の皆さん、石川ファームさんです。これらの野菜は、きずな館に滞在されたボランティアの方の食事の際にも、ありがたく活用させて頂きました。現在は、「七ヶ浜に野菜を送るプロジェクトチーム」が発足し、JAあいち中央農協青年部の協力を得て、七の市商店街の店舗さんへの提供や、七の市イベントで頂いた野菜を売り、売り上げを全額寄付する仕組みなどが動きつつあります。たべさいんプロジェクトの皆さんとの交流の延長線上にこのような継続的な支援が繋がり続けています。
2.きいちゃん、ななちゃんから愛知のボランティアさんへのプレゼント
仮設住宅への入居が完了したことを節目に、「たべさいんプロジェクト」は一区切りとなりましたが、喜久栄さんが「遠くから来てくれるボランティアの皆さんへの感謝の気持ちを表したい」と、奈奈さんと共同で『「七ヶ浜のきいちゃん ななちゃんから・・ありがとう・・」のメッセージカード』を作り、七ヶ浜を訪れるRSYボラバスメンバーに、1枚1枚手渡しして下さいました。カードには、震災前の七ヶ浜の美しい風景写真、そして裏面には「逆境に負けない」という花言葉を持つ、七ヶ浜の町花「はまぎく」の写真と、喜久栄さん自作の素敵なメッセージが添えられています。
「今はとっても苦しいけれど、悲しい涙で心を磨き、嬉しい涙で心を磨く、感謝の涙で心を磨けば、いつも心はダイアモンド!!」
「『大丈夫ですか?』『ありがとう』言っても言われても嬉しい言葉 〝本当に 本当に ありがとう みんな!!″ 心こそ 大切なれ」
「〝冬の寒さに耐えて 美しい花が咲くように 冬は必ず 春となる″」
このカードに感動し、元気づけられたボランティアさんも数知れないことでしょう。
3.「たべさいん」から頂いた『感謝の心』
震災から1年を迎えようとしていた3月10日。
私たちはたべさいんの皆さんからご招待を受けました。
「名古屋からのボランティアバスが来る3月10日に合わせて、1年の節目として感謝を込めて交流会を開催したい」とお声掛けを頂いたのです。私たちも二つ返事でお受けしました。
数週間以上前から打ち合わせを重ね、いよいよ迎えた当日。
私たちの段取りが悪く、ご迷惑をおかけしたところもありましたが、無事に約50人前の『まぐろ海鮮丼』が出来上がりました。その他にもサラダの小鉢、七の市商店街・佐藤鮮魚店さんがご提供下さったホタテで作ったお味噌汁、お吸い物、春の香りが漂う桜茶、そしておいしいお漬物。
たべさいんの5名の皆さんが心を込めて全て手作りして下さいました。
代表の喜久栄さんからは、七ヶ浜だけではなく、名古屋の事務局スタッフやボランティアの皆さんへのねぎらいの言葉も頂戴しました。メンバーの皆さんの自己紹介の後、メンバーの「どえりゃーうみぁーがや!たべさいん!(訳:とってもおいしいですよ!めしあがれ~!)という、名古屋弁×七ヶ浜弁の掛け声と主に、食事が始まりました。
どれも、本当に本当においしくて、各テーブルごとに会話も弾みます。
食事の後は、メンバーの皆さんから震災当時の体験談をお聞かせ頂きました。
震災直後の混乱する中、地域のために奔走されていたことや、親しい友人や親族、慣れ親しんできた風景を一瞬のうちに失った喪失感と深い悲しみ、ボランティアへの感謝の言葉など、それぞれの想いを様々な形で語って下さいました。お一人おひとりの心に刻まれた3.11の傷跡、そして周囲への感謝の気持ちの一端が、愛知のボランティアさんの心の中にも刻まれたようでした。
喜久栄さんは「あくまでも自己満足でやったこと」と常に謙遜されます。
約1年間、毎日のようにきずな館に顔を出し、職員の体調を気遣う言葉や夕飯のおかず、おいしい郷土料理などのおすそ分けも随分頂きました。
しかし時には、「人から頂いた善意や熱意に対しては、冷めないうちに感謝の気持ちをご本人や周囲の方々へ表すこと」
「時間がかかると誠実さが伝わらないし、信頼感を失ってしまいますよ」というご忠告など、厳しく私たちに苦言を呈して下さることもあります。
ご本人からは、「私たちの活動はかなり過去のことですので紹介は結構です」という控え目なお言葉を頂戴しましたが、私としては、これまでの1年間、自らの活動を実現させる場としてきずな館を活用して頂き、同時に七ヶ浜で大変お世話になった方のお一人であること、なにより災害にこれから遭うであろう地域が、「たべさいんプロジェクト」の活動そのものから学ぶべき点が沢山あることを考え、なるべく丁寧にこれまでの関わりを皆さんにお伝えしたいと思い、遅ればせながらこのような長文にて報告をさせて頂きました。
この1年の節目をもって、外部支援者と地元とのコラボ企画「たべさいんプロジェクト」の活動は一区切りとなるそうです。
これからは復興のまちづくりに向けて町民自らが立ち上がり、できることを日常的に継続していく時期に来ているとお話しされました。
私たちも皆さんとの出会わせて頂いたことに感謝しつつ、この場をかりて改めてお礼申し上げます。
たべさいんの皆さん、いままで本当にありがとうございました。
これまでボラバスに乗られた皆さん、またたべさいんメンバーの方々に会いにきてくださいね!