【報告】東海豪雨水害から23年「東海豪雨を語り継ぐ会」

みなさま

RSY事務局です。各地の災害で犠牲となられた方々に哀悼の意をささげると共に、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

愛知県に甚大な被害をもたらした東海豪雨水害から、9月11日で23年が経ちました。

RSYは今年も「東海豪雨を語り継ぐ会」のメンバーとして、スタッフやボランティアさんと一緒に追悼式に参列しました。

この水害では、100mに渡り新川の堤防が決壊し、6万世帯を超す家屋が浸水被害に遭いました。追悼式は、2m以上浸水した旧・西枇杷島町(現・清須市)の決壊場所のすぐそばにあるあしわら公園で行われました。当日の様子は、下記の動画でも紹介されています。

線状降水帯による水害の先駆け 「東海豪雨」から23周年で追悼の集い


<東海豪雨水害被害概要>

2000年9月11日未明~12日発生

台風14号からの温かい湿った空気により、秋雨前線の活動が活発化。名古屋雨量観測所では、年間総雨量の3分の1におよぶ534.5㎜を記録。(1時間の最大降雨量97㎜、24時間最大降雨量428㎜)庄内川支流・新川の左岸堤防が幅約100mに渡り破堤。死者10名、全壊・半壊・一部損壊508棟、床上・床下浸水69,837棟。都市型水害の特徴として各地で内水氾濫による浸水も数多く見られた。

西区の中小田井小学校には最大3,000人が避難。校舎の1階が浸水したため2階以上を避難所としたが、教室もすぐに一杯になり、廊下にも住民が溢れた。足腰の悪い高齢者や障がいのある方は利用できず、危険な中自宅に戻ったケースもあった。


RSYの前進団体「震災から学ぶボランティアネットの会」は、当時事務局長の栗田(現・RSY代表理事)があいち・なごや水害ボランティア本部の本部長を務め、地元のつながりや全国各地から駆け付けて下さった多くの仲間と共に、各地の支援に当たりました。その後、旧西枇杷島町のアパートの1室に拠点を構え、微力ながら、被災された方々の生活再建や復興のまちづくりに向けたお手伝いに関わらせて頂きました。

追悼式には、周辺住民など約20名が参列し、会のメンバーである「おとつむぎネット」の石田音人さんの胡弓の演奏と共に祈りを捧げました。

その後、水害当時、泥だらけになった公園に力強く咲いていた水仙の花の球根を今も大切に植え続け、命と記憶を紡ぎ続けている住民の方の呼びかけで、球根の移植を行いました。あしわら公園の水仙の花は、RSYを通じて東日本大震災や昨年の水害の被災地にも届けられ、被災された方々の心を元気づけてくれています。

「当時はこの公園も泥だらけだった。家の修繕に500万円以上もかかって….。ようやくまともに住めるようになった時にはもう春になっていた。だからテレビで水害の映像を見ると気の毒で。同じ体験をしたから大変さが分かってとても胸が痛むの。」

「この地域も人の流入出がひどく、あの水害のことを覚えている人は大分減ってしまった。船に乗って2階に取り残された人におにぎりを届けたり、地域でも助け合ったんだ。ボランティアさんも沢山来てくれて、本当にお世話になった。この体験を忘れずに、なんとか繋いでいかなければ。」

など、参加された方々からも当時や今の心情を語る声が聞かれました。この地域ではここ最近大きな水害はありませんが、このような機会を通じて、当時の体験や各地の災害の教訓を今の世代に伝え続けていきたいと思います。

それを願うように、新川の決壊場所にあるポンプ場の上に虹がかかりました。


最後に、石田音人さんが作詞・作曲した「水仙~風に光る花」をご紹介します。被災された方々の心情に深く触れた歌詞が、今も生活再建に向けて懸命に歩まれている各地の皆さんの姿に重なります。

『水仙~風に光る花~』(詞・曲 石田音人)

月日が過ぎて 取り壊される 流れに病んだ 懐かしい家が

ずぶぬれになった 闇夜 身体震わせて 命の無事を祈り続けていた

今 今 白く 花は咲く 水仙の花が ほら 風に光ってる

 

思い出流れ 竹組みの壁に 涙を噛んで 土を塗る

さよならも言えず店を閉じた人に

負けないで頑張ってと願い続けている

今 今 白く 花は咲く 水仙の花が ほら 風に光ってる

 

木々のこずえに ゆがんだフェンスに 枯れた川草が 今も残ってる

立ち止まることもできず 走り続けてる

季節が過ぎて早春を迎えてる

今 今 白く 花は咲く 水仙の花が ほら 風に光ってる

今 今 白く 花は咲く 水仙の花が ほら 風に光ってる