「よみがえれ能登」プロジェクト報告(写真集)

◎輪島:朝市のこと
「丁度店開きをして、しばらく経ったときだった。大きな揺れがきて、みんな肩を寄せ合った揺れが納まるのを待っていた。怖かった。家は壊れてしまったが、落ち込んでいても仕方がないので・・・」と、その時のことを思い出すようにゆっくりと話してくれたのは、1000年も続いている輪島の朝市のおばあちゃんである。「神戸から来たんです。」というと、「あ縲怐A何年か前に神戸の方でも大きな地震があったね、遠いところからご苦労様です。」と言われた。いつもそうなんだが、災害の被災地行くと、「神戸から来たんです。」というだけで、見ず知らずの人とでもいろいろと話が弾む。共通体験がそうさせているんだろうか。そういえば、この朝市組合の組合長さんと話した時も、「ほんとにこの度は人の情けというものをこれほど身にしみて、感謝したことはないなぁ!」と全国からの励ましの手紙などを見せながら、少し涙を浮かべて話された。どこの被災地でも、人と人との支え合いや助けあいの有り難みは共通して話される。日本には「困ったときはお互いさま」という言葉があるが、一体いつ頃から言われているのだろうか?


 ところで、この朝市というしくみは1000年も前から続いているとのこと。もともとは漁業を営む人と農業を営む人がお互いのないものを物々交換したことが始まりだったようだ。その名残りが、いまもチラホラ垣間見えるのには感激する。一方、正直言って「売らんかな!」の市場経済に完全に飲み込まれている人たちもいて、やむを得ない事情があるのでしょうが寂しい思いがする。最初に紹介したおばあちゃんは、自分でつくったわらぞうりにヒントを得て作った布草履と、自分で栽培し自家製の”梅干し”を販売していた。 きっとこの梅干しは、先祖代々受け継がれた”秘伝”をもとに作られたのであろう。「そうだ、朝市が1000年も続いてきたというのは、こういう代々受け継がれてきたその家の智恵が受け継がれ、この場所で”市”を出すことことによって智恵と情報の交換ができたのだろう。そういえば”公”のはじまりは、こうした”市”だという指摘もある。私の智恵を、公道にさらけ出すという点では、まさにパブリックの場であったのだろう。見ず知らずの私と、小さな商いをしているおばあちゃんとが、”場”を通してつながるという風景は、必ずしもこの能登地域だけで描かれるものではないが、ふっ縲怩ニ1000年前を想像しながら、話していると能登ならではのものが伝わってくる。
 別れ際に、組合長が声を強めて言った。「24日から、輪島で最大の祭りがある。この祭りは行政からお金を貰ってやっているのではない。我々自身の力でやっている。輪島に来てこの祭りを見ず帰るのは・・・・・」と。おそらく能登地域にあるすべての祭りを見て歩けば、随所に1300年の歴史を垣間見えることができるだろう。
(*次回はこの地域に古くから伝わる祭りの一つを紹介します。)