RSY事務局・清野です。震災がつなぐ全国ネットワークの顧問・村井氏からの雑感レポートをご紹介します。
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能登半島地震から3週間が経とうとしています。すでに救援レポートでもお礼をのべましたが、去る11日に「中越・KOBE足湯隊」の報告会を開催し、多数の参加と今後の活動への募金を会場カンパとして頂きました。この報告会の概要については被災地NGO恊働センターのHPで紹介させて頂いています。(http://www.pure.ne.jp/~ngo/notodan.htm)
さて、この報告会では足湯活動を通して、災害後救援ボランティアの質的転換と進化が見えたと複数の研究者やジャーナリストがコメントされた。阪神・淡路大震災以後、災害直後に瓦礫の片付けや掃除、避難所から仮設住宅への引っ越しなどという、いわゆる「救援ボランティア」は定着したと言える。しかし、他方大切なのは日頃の事前の備えだという議論も沸騰し、最近の一つの考え方として「減災サイクル」というものがある。私も全国各地での講演では「減災サイクル」をもとに話す機会が多い。
「減災サイクル」とは、災害後の応急対応期には「もう一人の命が救えないか」と取り組み、その後の復旧・復興期では「最期の一人までも救おう!」と取り組む中で、見えてきた課題解決のために結局、「たった一人の命をも救う」ためには、日頃何をすべきなのかという「被害軽減・抑止期」があり、それは日頃の備えとして取り組むことにつながるというサイクルである。この3つの災害後の段階(応急対応期、復旧・復興期、事前軽減・抑止期)での各々の成果が出せる社会というのは、もう一つの社会と言えないかと考えているのが、(僭越ですが)”村井流減災サイクル”と言わせて頂いています。(もし必要な方はデータで減災サイクルの図表を送りますので連絡下さい。)このもう一つの社会を築くには、常に社会の変革を意識しておかなければならないということになるだろう。
ところで、最初の話しに戻りますと、足湯活動がもたらした災害ボランティアの質的転換とこの減災サイクルとを重ね合わせると、各々の3つの段階での足湯活動によって被災者が語る声=つぶやきの内容が変化するということに気づきます。可能であれば、災害が発生するごとにこの”つぶやき”を集め、比較をすることによって「より適切な、それぞれの段階での支援策」が浮かび上がるということです。そこで大切なポイントは、?学生等が、災害直後に被災地に飛び込み、足湯という至極簡単な手法を用いて、被災者の生の声を収集する。?被災者の生の声=つぶやきから適切な支援策を見出す。であり、これはこれまでに注目されなかった「提言活動」の一スタイルであることをアピールしたという点で、質的転換をもたらしたと言えるのではないだろうか。
こうして足湯は簡単だけれど、そこから次へつなげる段階では、あらたな装置が必要であり、多彩な分野につなぐためには、多様な専門性を集め整理するようなシンクタンクが求められる。こういうシンクタンクの一つとして今年の1月に立ち上がった「災害復興制度学会」がある。こうした流れを眺めると、まさに「進化」である。寄り添い→つぶやき→応急対応→中期的対応→長期的対応→被災者と支援者の共創となる。
それにしても、「レポート 13」にあった神戸学院大学のKさんの感想文を読ませて頂くと、大層かも知れませんが、あらためて「普通の市民が行う、災害救援活動の神髄!」に触れることができるのではないかと思う。さらにこのことから、私の関心は柳宋悦著『南無阿弥陀仏』(岩波文庫)に飛んでいく。柳さんはこの著書で次のように述べている。
ー、民芸というのは、一般民衆の手で作られ、民衆の生活に用いられる品物のことである。別に名だたる名工の作ったものではなく、いわば凡夫の手になったものということができる。
一、私たちは何とかして美の国を建てねばならぬ。それは人間の抑え得ぬ心の求めなのである。それには何が必要か。一般の人々の不断の暮らしの中に、美しさが浸み込んでゆかねばならぬ。特殊な品だけが優れても、美の王国は現れぬ。それ故、数ある平凡な民器にこそ救いが行き渡らねばならぬ。
一、片田舎に住む無学な人々の中に、極めて篤く安心を得ている人々がある。・・・・・彼等を尊んで「妙好人」という。考えると美しい民芸品は「妙好品」とも呼ぶべきものではないか。とても性質や事情が似ているのである。それらは主に無学な職人たちの手で育てられる。作られたものを見ると、多くは素朴で無造作である。
足湯から見えてきたさまざまなことを、柳宋悦さんの思想にまでつなげようとするには、あまりにも無理があるのかも知れないが、「たかが足湯、されど足湯」と言いたくなる日々である。