能登半島地震【第8報】

現地(穴水町)に派遣しています浦野は本日(3/29)で一旦戻ることにしました。
4日間本当に暖かく迎え入れていただきました現場の方々に厚くお礼申し上げます。
なお、引き続き週末には、現地からの要請を受けて「ボランティアコーディネーターなごや」の仲間10名が「足湯」サービスを提供するため避難所等を巡回させていただくことになりました。
そのメンバーにあてて浦野からのメッセージが届きました。今後現地に入られる方々のご参考になれば幸甚です。


足湯隊で入られる皆様へ
 今週の土・日にかけて、足湯隊ということで穴水VCに入られる皆様、お申し出頂きありがとうございました。ご出発される前に、ぜひお心に留めておいて頂きたいなぁと感じたことをつらつらと書かせて頂きます。ご一読頂ければ幸いです。
 私が4日間の活動を通じて今一番感じることは、これから被災を受けた方に必要な支援は、「一緒に笑ったり一緒に泣いたりすること」のできる感性を持った人の存在だということです。今回の活動を通じて、それが一人ひとりに寄り添うことなんだな、と感じたからです。
 被災された方は、「被災者」という言葉でひとくくりにされて見られてしまいがちですが、一人ひとりの「人」なんですよね。だから、皆さんにはぜひ「被災者に対して私たちに何ができるのか」ではなく「今、目の前にいるたったひとりのこの人に何ができるんだろう」という気持ちで、その人の手に、足に、心に触れてもらえればと思います。
 穴水の避難所は日中は子どもとお年よりしかいません。特に高齢者がほとんどです。しかも、とってもこじんまりとしているところだから、皆さんがイメージされている避難所の姿とはちょっと違うと思います。でも、「なんだ、思ったよりも人数も少ないし、落ち着いているじゃない。これなら大丈夫なんじゃないの?」なんて、簡単に思ってしまわないで下さい。
 そこにいる人一人ひとりの気持ちの中は、いま本当に重く、硬く、不安と疲れで一杯だと思います。「大変でしたね。困っていることなどはありませんか?」と尋ねたらきっと、「なんもなんも。(全然どうってことないよ)こんなにあったかい部屋に入れてもろうて、3食たべさしてもろうて、それなのに何かして欲しいなんて贅沢いえんわ」と答えるでしょう。
 でも実際は、畳に毛布を2枚引いただけだったり、座布団を3枚つなげただけの寝床に4日も寝ています。逃げるので精一杯で着替えも取りにいけず、3日間も同じ洋服で過ごしていた人もいます。食べ物は今は大分解消されましたが、おにぎりと食べなれないカップスープで、5日も便秘が続いている人もいます。足が悪いのに和式トイレしかなく、遠慮しながら行政の人にお願いしても、なかなか設置してもらえないで、なるべくトイレを我慢しようという人もいます。この地域の人は自分のことより人のことを、という気持ちの人が多いように感じます。「してもらっている立場」だから、要望をいうことは、自分のわがままだと思ってしまうのです。
 長年自分の住んだ家で、早くゆっくりと足を伸ばして眠りたい、使い慣れたお茶碗で自分の好きな煮物やおひたしを食べたいと思っても、家の中がぐちゃぐちゃでいつになったらその日が来るのか、何から手をつければいいのか、片付けてくれる人の当てもなく、先の見えない不安で一杯です。
 でも、気丈に「こんなにしてもろうて感謝。贅沢は言われん」と、人に怒りをぶつけることもなく、会う人には「ありがとう」と言い、そんな思いを腹に収めて毎日避難所の中で暮らしています。
 みなさんは、そんな方々に一番最初にどんな言葉をかけますか?私も、最初の一言は何から切り出せばいいのか、本当に悩みました。「大変でしたね」「地震の揺れはやっぱり大きかったですか?」「お家は落ち着きましたか?」「お体の調子はどうですか?」「昨日はよく眠れましたか?」・・・・・・・色々考えました。でも、結局選んだのは「今日の昼ごはん、何食べました?」でした。この言葉がよかったのかは分かりませんが、いかにも「被災(非日常の状態)を受けた人にかける言葉」よりかは、「日常に近い言葉」の方がすっと気持ちに近寄りやすいかな、とも思います。
 私はボランティア活動をはじめて間もない時、何か話しかけよう、とにかく話さなきゃ!と気負いすぎて、かえって自分の心を硬くこわばらせてしまっていました。自分の心がやわらかく、温かくなるような、自分で声に出してみて、無理のないようなひとことをぜひ考えてみてください。
 あと、この活動は足湯をこなした人数、行った避難所の数の問題ではないと思います。避難所に2縲鰀3人しかいなくても、その人たちのことを見過ごさず、どんなに小さくても、少しでも気持ちが軽くなるような活動を考えよう、そういう目を持ったコーディネーターがこれからは必要なんだと思います。
 被災を受けた方を見るとき、「みんなが楽しむ」「みんなで取り組む」「みんなが安心する」ために必要な○○活動をしよう!と考えがちですが、私は、「みんな」という言葉に埋もれてしまう人たちに目を向けられる自分になりたいな、と思います。こういう活動は目立たないし、地味です。でも今回の経験でそれこそが、たった一人も取り残されない支援活動に確実につながっていくと感じました。
 長くなりましたが、ぜひこういう背景があることをお汲み取り頂き、現地へ向かって下さい。そしてくれぐれも気をつけて下さいね。