毎日4,500食

今日もセントラルキッチンへ。
さすがに常連になってきたので、到着するなり「愛、厨房行って~」と、すぐに移動指示が出るようになりました。
昨日から、スープ系を作るセクションのサポートに入っているのですが、ここがまた忙しいところで、切る・煮る・よそうの手間暇のかかる作業が中心。しかも煮物は時間がかかるので、その分切る作業もスピードアップしなければならず、スタッフから「早く、早く~」とせかされ続けていました。
今日のメニューは『コーンチャウダー』。
とにかく全てを効率よく動かすために、目配りや気配りは非常に重要で、常に一歩先を見ながら準備を進めていくことが求められます。担当のスタッフは作業の指示と調理の両方をやらなければならず、てんやわんや。私が上手く指示を聞き取れない時には、顔をおもいっきり近づけて、つばを飛ばしながらも必死に説明してくれます。
そんな状態なので私も早く段取りを覚えようと必死です。合間にボランティアさんと雑談しながらも、手は決して休めないを心がけながら、間10分のブレイクタイムを挟み、4時間半の作業が終わりました。
正直なところ、野菜の皮むきやカッティングは、機械を導入すれば何十分の1かのスピードで、確実に処理することができるだろうと思います。セントラルキッチン程知名度が高く、財政規模の大きな団体であれば、機械導入はさほど難しくないようにも思えます。
また前回も書きましたが、天候不順や何かのハプニングがあって、ボランティアが思うように確保されない時のリスクも常に抱えています。
それでも、このスタイルにこだわる理由は何なのか?今のところ私が参加した中では、
・人(スタッフ)と人(ボランティア)とが接することで生まれる喜びややりがい、生きがいを見出せる環境を意識的に創ること。→スタッフと社会の接点づくり。
・ボランティア初心者であっても、私にもできる、「役に立った」という手ごたえを得やすい活動内容の敷居の低さ。→継続的な支援への期待。
などが考えられます。確かに、キッチンでの活動を体験したボランティアの多くが「とても面白かった。社会的にも意義の高い活動だと思う」という感想を持っています。(浦野単独リサーチ)
ただ、少し気になるのは実際に食事を受け取る人たちの顔が、厨房の中では非常に見えにくいこと。おそらく多くの人たちは作業に没頭しがちで、4,500人のホームレスや子どもたちなどの手に渡るんだなぁと、おぼろげながらは感じていても、直接会うことはないので、具体的な顔は当然見えず、生活背景の実態もよくわからないままなのではないだろうかと思います。今の私のように。
また、そこに想いをめぐらすような仕掛けにも、活動の中では今のところ出会っていません。メインの活動が「ホームレスの就業支援」という理由も大きいのかも知れませんが。
しかし、それでもこれだけのお金・人・物が常に流動し、確保できているということは、まだまだ私の目にはほんの一部の動きしか見えていないということなのだと思います。
今日の写真は活動後の1枚。前髪が全開で4時間半の奮闘ぶりがうかがえるでしょうか?今日私がサポートについた気のいい男、スタッフのフレディさんと中国人のボランティアさんと共に。彼の「Are you worker?」の発音が全然聞き取れなくて、お互いに大声で何度も何度も聞き直しました。でも、ネイティブの人に「What did he say?」と聞いても「I didn’t know」という返事だったから、彼の英語もかなり独特なのだと思います・笑
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