宮城県七ヶ浜町報告【第151報】3.11メモリアル企画「UMI-TSUNAGU 10万人の七ヶ浜人と共に」始動!

皆さま

お世話になっております。RSY七ヶ浜事務局郷古です。
 【第150報】でお伝えしました3.11メモリアル企画の実行委員会(第一回目は意見交換会)の第二回目が1月29日に行なわれ、正式名称も決定しました。名前の由来や実行委員会の様子をお伝えします。

今回のメモリアル企画の名称は意見交換会に参加した皆さんの意見から
「UMI-TSUNAGU(う・み・つ・な・ぐ) 10万人の七ヶ浜人と共に」
になりました。

★「UMI-TSUNAGU」とは?
UMIには七ヶ浜の【海】、この震災で出会った人との縁など【生む】様々な意味や想いが込められていて、TSUNAGUはそういったものをこれからも【繋いで】いこうと云う意味です。

★「10万人の七ヶ浜人」とは?
「明治時代までの七ヶ浜は、海という自然の恩恵にひたり、為政者(政治を行う人)まかせで個性がなかったが、こらからの七ヶ浜の地域は、われら七ヶ浜人の手で七ヶ浜の自然と環境とを生かし、時代に即応した七ヶ浜を発展させることであろう。」
と、七ヶ浜町誌の編集代表者である渡辺波光さんが記しているそうで、
『ならば・・・「七ヶ浜人」とは七ヶ浜町民約2万人と、この東日本大震災による七ヶ浜の窮状にご支援いただいた延べ約8万人のボランティアさんのことを云うのではないのか』
と実行委員会に参加して下さった七ヶ浜の町民の方が仰ったのです。

この二つが合わさって、「UMI-TSUNAGU 10万人の七ヶ浜人と共に」という名称がつけられました。(※実際には現地には来れないけど多大なる支援を頂いた県外/国外の皆さんがいますので10万人以上ですが・・・・)

 

 

さて、今回の実行委員会は前回出た5本の柱(追悼/食交流/体験交流/語り継ぐ/展示)を元に「自分たちの団体は「○○○」をメインに企画を進めていこう」といったように班に分かれて企画書を作りました。前回の意見は参考にしつつも、「これ難しいのではないか?」や「これはできないけど、形を変えれば同じようなことはできるぞ」と意見交換ワークショップのように班毎で進めていきます。
「UMI-TSUNAGU 10万人の七ヶ浜人と共に」第二回実行委員会 「UMI-TSUNAGU 10万人の七ヶ浜人と共に」第二回実行委員会

・これを展示して伝えたいことが分かってもらえるのか?ならば案内役/説明係りを常駐させよう!

・「お昼を作って、食べてもらう」だけならこの企画の意味がない。「交流」できる配膳の仕方を考えなきゃ!

・大人向けの企画のようにみえるが、子どもたちにも是非来てほしい。子どもたちが飽きず、且つこの日を大切に思えるような企画にしていきたい。

などなど活発な意見が飛び交い、皆さんの真剣な「想い」が伝わってきます。

「UMI-TSUNAGU 10万人の七ヶ浜人と共に」第二回実行委員会「UMI-TSUNAGU 10万人の七ヶ浜人と共に」第二回実行委員会
次回は2月12日(水)に実行委員会を開きます。続報をお待ちください。
そして、3月15日(土)は七ヶ浜町に是非!