宮城県七ヶ浜町報告【第223報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第32号](2016年2月1日~2月29日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

2016年3月11日で震災から5年が経過しました。
3月11日(金)は気温が高く、3月初旬とは思えないほど暖かい日でした。
七ヶ浜町では七ヶ浜国際村にて東日本大震災追悼式が執り行われ、私たちRSY七ヶ浜事務局も代表理事の栗田、常務理事の浦野と共に式に参加しました。
ご遺族代表として話された女性の方は「津波にのまれた時に、私が手を話さなかったらおばあちゃんは生きていたかもしれない。あの時のことは一生忘れることはできません」と後悔の言葉がありましたが、共に「私は元気でやっているよ、天国で見ていててね」と前に向かって進む気持ちも話されました。
仮設住宅の移転も進み仮設入居者も1割程になり、災害公営住宅も全戸整備され、風景はだいぶ変わってきましたがあの日に起こったことは変わらず、そして心に深い傷を負っていることは変わりません。

震災当初には「あの時のことを思い出しただけで気分が悪くなった。寝れない日が続いた」、「サイレンの音や救急車の音を聞くだけも怖かった」とお話しされる方が多くいらっしゃいました。
しかし、日を追うごと、ボランティアや住民同士と話をしたりすることで気持ちに整理がついてきて、今では『当時の体験談を、教訓として話せるようになった』と言える方々が増えてきています。
「辛いことがあったけど、前へと進まないといけない」という想いが伝わってくる言葉だと思います。

「皆さんの応援があってこそ今が在る。これからも精一杯生きることによって恩返しをしたい」そんな七ヶ浜町の住民の皆さんの気持ちに寄りそい、これからも支援を続けていきます。

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■今日は中央公民館でお祭りなのよ。裁縫とか書道とか七ヶ浜内のサークルが集まるの。
でも、でも、ここは避難所だったんたよねぇ。私たちも居たんだよ。あれからもう5年経つんだよねぇ。
(80代:女性)

 

■私たちの世代で何か町のためにならないかな。って思う時もあるけど日々の生活送るのに精いっぱいな面もある。でも、社協さんやRSYさんの活動にボランティアで参加することで町のためになると思うから、これからもよろしくね。
(40代:女性)

 

■5年がくるとか震災の日だとかなんかすごい特別な日みたいにテレビで言うのは3月入ってから。それは仕方ないことだと思うけど、あんまり騒ぎ過ぎなんじゃないかな。
命日でもあるし、そこまでイベントとかみたいにしないで欲しい人たちもいるんじゃないかな。
(50代:女性)

 

■なんだかこの頃、体調が良くなくてねぇ。病院に通ってるの。行くときはタクシー。ご飯はあんまり食べてないの。お茶だけでおわっちゃうことが多いかな。なんだか食欲がなくてね。友だちはいるけどご飯はいつも一人だよ。親せきとかも近くに結構いるから 声は掛けてくれるときもあるけどね。人が集まる場所に行き辛くてさ。私が苦手な人も寄ってるしね。私は仲良しの人たちだけで話してればいいんだ。
(60代:女性 公営住宅)

 

■公営住宅は防音しっかりしてるけど、さすがに木を切ったり、工具を使ったりはできないんだよ。俺は大工だからさ、木工でお年寄りのために何やりたいとも思うね。あとはきずなハウスに寄ってる子どもたちとかもいいな。子どもとかお年寄りでもできる講座みたいなのをやろう。俺はお金ないけど、技術提供ならいくらでもやるよ。温かくなったら木工講座だな。子どもたち向けにまずはやってみっか。
(60代:男性 公営住宅)

 

■私たちの地区に公営住宅が建ったでしょ?入った人たちは同じ地区の人たちなの、本当に何年振りかで会う人もいるから嬉しくて
ね。友達が近くにいるってのはいいねぇ。
(80代:女性 公営住宅)

 

■公営住宅に入ってもうすぐ一年になるんだが、前から住んでたみたいに居心地が良い。
仮設も良かったけど、やっぱり自分たちが生まれ育った地区に戻ってくるってのが良いんだよね。でも、俺みたいな車を運転できる人はいいんだけど運転できない人はどこにもいけなくなったってのはあるよ。周りに商店ないしね。
(60代:男性 公営住宅)