みなさま
RSY事務局です。
RSYは、8月3日からの大雨で被災した石川県小松市中海町・中ノ峠町にて、「あったかごはん食堂」を通じて、避難生活の長期化による心身の健康被害防止と、要配慮者ニーズの早期発見、住民の方々がホッと一息つける場づくりを目的に、活動を継続してきました。
これまで現地には、のべ90名のボランティアを派遣し、食堂を通じて1,460食を提供することができました。また、ここで把握した要配慮者ニーズや住民の声は、小松市社協を通じて地域包括支援センターや地元大学の方々と共有し、継続的な支援につながっています。
・第1陣:8月29日(月)~31日(水)/派遣人数:5名(看護師1名)
・第2陣:9月5日(月)~7日(水)/派遣人数:10名(看護師1名)
・第3陣:9月12日(月)~14日(水)/派遣人数:11名(看護師1名)
※炊き出し連携団体:炭火焼肉ジンギスカンもんも(長野市)5名
・第4陣:9月20日(火)~22日(木)/台風のため中止
・第5陣:9月26日(月)~28日(水)/派遣人数:16名(看護師2名)
※以降は、北陸学院大学よりそいの花プロジェクトの皆さんと合同開催
・第6陣:10月20日(木)~21日(金)/派遣人数8名
・第7陣:11月3日(祝・木)~4日(金)/派遣人数13名(看護師2名)
・第8陣:11月17日(木)~18日(金)/派遣人数9名(看護師2名)
・第9陣:3月30日(木)~31日(金)/派遣人数18名(看護師3名)
私たちの活動は、日本財団「令和4年8月大雨被害に関わる支援活動」助成、生活協同組合連合会アイチョイス様をはじめ、RSY会員・個人の皆様からのご寄付により実施することができました。また、第9陣では、藤田医科大学様より、移動車両の貸出しを頂きました。活動にご協力頂いた皆様に心から感謝申し上げます。
さて、3月30日~31日かけて行った第9陣派遣では、修繕の終わった中海公民館にて「北陸学院大学よりそいの花プロジェクト」が開催するサロン活動との抱き合わせ企画として「あったかごはん食堂」を開催しました。以下、報告です。
①「あったかごはん食堂」チラシ配布(個別訪問によるポスティング、手渡し)
食堂開催前日、自宅の再建状況や住民の方々の様子の確認も兼ねて、個別訪問にてチラシを配布しました。「楽しみにしてるよ!」という声も頂戴し、ボランティアさんたちのモチベーションもアップ。しかしところどころに空き地が目立ち、また、床板を上げたままの世帯もあり、水害の傷跡を実感しました。
②あったかごはん食堂準備
今回のメニューは、親子丼とわかめの味噌汁。おなじみの「碧南防災ボランティア連絡会」メンバーが指揮を執り、住民の方々と力を合わせて110食作りました。お漬物も全て手作り!沢山の方々がお越し下さり、賑わいました。
<レクレーション>
食事会場では様々なプログラムを準備しました。
まずは身体機能の低下防止をかねたお楽しみ企画
・足を使って新聞広げゲーム
・リアルあみだくじ
・名古屋弁講座&クロスワード
北陸学院大の学生たちと練習。意外に手こずる人も。。
その後、住民の皆さんと。
おつぎは、斬新なリアルあみだくじ。
豪華(?)賞品がかかっているだけに真剣な面持ちでしたが、ゴールでは満面のピースサイン。
最後は、名古屋弁講座。「ちゃっとまわしして待っとるでね」ってどんな意味?
<ミニ屋台>
棒おこのみやき、わたがし、たませんなどを楽しみました。皆さん作り方にも興味津々。中には自分でチャレンジされる方も。人気ダントツ1位は、名古屋が誇るB級グルメ「たません」でした!
<足湯>
サロンでおなじみの足湯。沢山の方に利用頂きました。
<水害時の写真展示>
中海町在住のMさんが、災害直後から撮影した町の写真を展示して下さいました。水害を思い出してして辛くなる方が多いか心配しましたが、「直後こんな風になってたなんて知らなかった」「この写真欲しい」などの声も。改めて当時を振り返るよい機会になったようです。
★住民の声
・(写真展示を見て)直後はすぐに避難したから、町の中がどうなってるのか全然分からなかったので、知れたことが嬉しい。思い出すと今でも胸が痛くなるけど、この状況から、よくここまでみんな頑張ってきたとも思う。(80代・女性)
・自分の家は被災しなかったけど、前の道が川のようになったので閉じ込められた。その時記録に残すことを考え写真を撮り始めた。町内の人にも協力してもらい集めた写真を展示できるよう整理してもらった。もうすぐ雨の季節になる。区長に相談してこの写真や動画を見ながら、公民館で防災勉強会を開けるように働きかけたいと思う。(写真提供者・60代・男性)
・前の水害で避難所生活を体験した。数時間の滞在だったけれど、体育館は満杯で人に溢れていて、とても落ち着けなかった。次に災害にあっても絶対行きたくないと思い、だから今回は早めに避難行動を取ったので、高台にある子どもの家に無事に逃げることができた。(70代・女性)
・水害後から全く手つかずの家がある。泥が入ったままで匂いや害虫の問題が心配だし、あまりよい風景ではないのでご近所からも気になるという声が多い。持ち主がなかなか動かないのが原因のようなので、区長に頼んで対処してもらうようお願いしようと思う。(80代・女性)
・あれから8カ月が経ち、もともと130世帯あまりの地区から、10世帯以上が解体や、別の地区に転居した。町の風景も随分寂しくなったと思う。中には経済的な理由や自分の年齢、次の災害への不安など個別の事情により、解体をするか否かの決心がつかず、いまだ床板を上げたままの状態で過ごしている世帯もあり格差を感じる。そういう中で、被災した人もそうでない人も心置きなく集まれるサロンのような場は、地区内のギクシャクした人間関係を解消し、ちょっとした気分転換や孤独感の軽減につながっていると思う。北陸学院大の学生さんが来て、話を聞いてくれたり交流することが、住民の元気に確実につながっている。サロンは大体20人ぐらいが来所され定着しつつあるが、今回のあったかごはん食堂では、これまで足を運ばなかった方や、男性も多く来てくれた。行政の施策や説明は通り一辺倒なものばかりで、個別に抱える事情への考慮はほとんどない。様々な人たちとの関わりを続ける中で、自分たちの手で、みんなが安心できる拠り所が作れればと思う。(50代・女性)
★ボランティアの感想
・現地では被災後から半年以上が経ったが、私は今回初めて石川県小松市での水害支援に入らせて頂いた。イベントのチラシ配りを兼ねて町の様子や現状の聞き取りを行い、被災した住宅の再建や生活の立て直しはまだ完全ではないと感じた。住居の改修の補助や川の護岸工事に関する行政からの支援及び連携、また、次の災害時への備えにも課題が残っていることも分かった。住民の方々の楽しみや交流の場として、外部からの炊き出しやイベントなどの継続した関わりが今後も必要であると思った。(A・O/学生)
・今回は約4か月ぶりの参加だった。被災してすでに半年以上が経っているが、生活再建に向けてまだ苦労をしている方がいらっしゃった。今後も継続的な支援をしながら、日常の生活を取り戻すことができれるよう願っている。また、今回の被害について発災時から記録に残している方がいた。小松での被災は知らない人も多いので、このような動きも大事だと思った。(K・M/学生)
・今回2度目の訪問で、前回から4ヶ月経っている。川の横のフェンス、ゴミはどうなったか、皆さん元気にされているのか気になっていた。30日に到着した中海町公民館は、畳もきれいになって、川のフェンスも直されゴミもなくなっていてほっとしたが、空き家や壊された家もあり、施設に入られた方もいらっしゃるということで複雑な気持ちだった。又初めて中ノ峠に行った。崩れた山肌にはブルーシートが張られ、工事中の所もたくさんあり、ここはまだまだ大変だなあと思った。「あったかごはん食堂」では、皆さん楽しそうに会話をされ、お元気そうで、また会いに行きたいと思思う。(M・Y)
・今回は3回目の参加だった。災害ボランティア初心者だが、毎回発見することが多く今回も参加させていただいた。拠点の中海町公民館、滓上橋の欄干や柵も修理が終わりきれいになっていた。初日のチラシ配りでも第5陣で渡せなかった方にお会いすることができ、家の修理が終えた方々に日常が戻って生活されていることが感じ取れた。しかしその一方で、手つかずの家がずっとそのまま残っていることも印象的だった。行政の説明が専門用語ばかりでさっぱりわからないとお聞きして、医療も全く同じで説明に専門用語を使わず、丁寧に納得していただく努力が必要だと感じました。中海の皆さんと再会を喜び、古くからの知り合いのようにお付き合いさせて頂き、大変うれしく感謝しかない。被害にはあったけど、こうしてボランティアに来てくれるのはとてもうれしいと仰るかたもいらっしゃった。次回は学生の参加者を募りたいと思っている。(T・W/藤田医科大学教員)
・見た感じ、被災地は少しづつ復旧している様に見えるが、空き家があったり、避難されたまま戻って来ない人達も見えると聞くと、まだまだと思った。炊き出しを公民館の中で食べて頂ける人達が多数見えた事が嬉しかったことです。たません、綿菓子、お好み焼きを面白がって頂け、準備して良かった。今後もお腹を満たす事とホッとして頂ける空間を提供させて頂きたい。(K・K/碧南防災ボランティア連絡会)
・雪深い小松と聞いていても、雪の時期に来ていないので想像もつかず、11月にきた時と変わりなくのどかな景色で、季節の移ろいの中、満開の桜を窓越しに見ながらゆったりとした時間を過ごすことができた。お馴染みのお顔とも沢山会え、中には病気で少し痩せた方もおられたが、今はお元気とのことで安心した。以前は公民館にほとんど足を運ばなかった方も、当時の厳しい表情とはうってかわり、ニッコニコでお孫さんとおいでになり、地域の方ともお話ししていらっしゃった。雪解けとともに、いろいろな問題や苦しみなど流れてくれるといいと思うが、災害で引き起こされたことはそう簡単には行かないだろう。同じようなことが起こらないことを願って過ごすしかないのかも知れないが、少しでも私たちのサロンで楽しんでいただけたらと思う。また小松の皆さんとお会いできますように。(K・T)
・中海公民館の近くの川沿にあった枯れ草がかかり折れ曲がったフェンスもすっきりとした金属棒の柵に変わっていて、あちこちでも河川の工事が進んでいた。また、空き家・更地になったお家が10軒ほど、町の方が作成された「浸水状況」を見ると2m浸水の場所に片寄っていた。「もうほぼ元の生活になった」という方がいらっしゃる中で、1階部分は畳がなく2階で生活が続くお宅もあり、「ここに住む人もいれば、出ていく人もいる」「子ども家族が出ていき、一人暮らしになった人もいる」「2m嵩上げして平屋を立てる」という話を聴き、生活再建にそれぞれの形、それぞれの時間の経過、そこに各々の思いがある事を改めて感じる機会になった。サロンはイベントも多く、住民さんが椅子に座り話こんでおられる姿や、食事を召し上がる方もいて、滞在される方も多く賑やかだと思った。(F・F)
<中ノ峠町>
10世帯足らずの小さな集落ということもあり、毎回ボランティアのH・Iさんにお食事をデリバリーして頂きました。また、住民の方々の生活は落ち着きを取り戻しつつあるものの、重機の出入りはまだあります。
★住民の声
・今年の冬は雪が積もったが平年ほどではなかったの。集落に変化は特にない。最近、川の浚渫工事が始まり着々と復旧していると感じます。今日は久しぶりのお弁当の宅配で懐かしい。「こんにちは~」の声にびっくりしました。食堂のお弁当は子どもも大好き。こんな山奥に継続的に来てくれて感謝しています。(30代・女性)
・昨日帰宅したら玄関に見覚えのある「あったか食堂のチラシ」があって。もう終わったと思っていたので驚きと懐かしさがこみあげてきました。被災後、生活の拠点を他に移した方もいる。ただでさえ住民が少ない集落から更に人が減るのはさみしい。
だいぶ復旧が進み元の集落になり、知らない間に日常を取り戻している。被災後、娘が嫁いだこともありあっという間に年を越してしまったよ。(60代・男性)
・温かくなって日課の見回りを始めたよ。(昨年、火の用心の木槌をたたき集落を回る姿を何度も拝見した)。それぐらいしかできないからね。当番が決まっているけど、やれるときはやっている。この畑も世話をしないと何もできんからできることはやらんといかんでね。
※ 顔色がとてもよく、去年は遠慮や気兼ねからお弁当を遠慮され、表情も曇りがちだったが、今は元気な顔つきに変わっていた。 (80代・女性)
・懐かしい。(満面の笑みで出迎えてくれた)。遠くからまたきてくれたか。ありがとう。元気にやっとる。大丈夫や。心配いらん。(80代・男性)
★ボランティアの感想
・集落の入口付近で川の浚渫工事が行われていた。被災当時は枝道にあった倒壊家屋はほとんど片づけられ、道は綺麗になっていた。流された橋はそのままで復旧していない。中ノ峠集落の住民数は23人、うち17人が現住と把握していた。今回、中ノ峠入口(物産展の付近)国道沿いの世帯やそのほか2世帯ほどが中ノ峠の一員であるのことを地域包括支援センターのスタッフに現地で聞いた。結果的には被災していなかったが見落としていたことを反省。集落の中は変わりはなく静か。中ノ峠の一人住まいの高齢者は畑をしたりしてそれなりに体を動かしている。ディケアに行っている方がいるが夫婦で暮らし目は行き届いている。持病は大なり小なり持っているが皆さんそれなりに元気に過ごしている。 (H・I)
・中ノ峠に始めて行き、復興が進んではいるものの、本当に微々たる物だったように思う。このままの状態で梅雨に突入するのかなどの不安がともなう中、陽の光を浴びながら畑や他の作業をする為に身体を動かしている姿を見て安心した。
公民館では、本さん達が声を掛け、学生さんと話す住民の姿や炊き出しを食べる姿を見て少し元気になられた方も見え安心した。名古屋の駄菓子のたませんを珍しがりつつも喜んでもらえて、提供のしがいがあった。その一方で予定通りに自分が動けずもどかしさを感じた。(Y・I)
活動を終えて(常務理事・浦野)
8月から8回に渡り、愛知からのボランティアを受け入れ、また、快く連携頂いた小松市の関係者の皆様、連携団体の皆様に心から感謝申し上げます。
水害発生からほどなく避難所が閉鎖され、暑い中で延々と続く復旧作業は、心身共にとても過酷なものであったと思います。そんな中で、中海町内会はいち早く救護所を開設し、被災された方々の不安や疑問、憤り感を一つひとつ受け止める拠り所として重要な役割を果たしておられました。また、外部からの支援の受け入れも積極的であったことで、私達も微力ながら、「あったかごはん食堂」を通じて、中海・中ノ峠町内会の要配慮者世帯の状況把握や見守り、社協や地域包括支援センター等への情報のお届けなどのお手伝いをさせて頂くことができました。
今回の訪問では、水害から8カ月が経ち、「ほとんど以前と変わらない生活になった」という方がいる一方で、経済的事情や自身の高齢化、家族間の合意形成、健康問題、災害リスクへの恐怖など、個別で見えにくい課題を抱える方々が少なくなく、場づくりの継続の必要性を実感しました。
「北陸学院大学よりそいの花プロジェクト」の皆さんとは、10月から足湯やサロンを通じて一緒に活動させて頂いてきましたが、今後も被災地NGO恊働センターと連携し、ニーズキャッチや安心の場づくりを継続されると聞き、とても心強く思います。私たちの活動はこれで一区切りとなりますが、今後も名古屋から地元の力を応援しつつ、中海町・中ノ峠町の皆さんとの交流を続けていければと思います。