宮城県七ヶ浜町報告【第93報】復活した七ヶ浜の味

お世話になっております。RSY飯田です。

21日、今年度最初のボランティアバス48陣が七ヶ浜に到着し、活動が始まりました。
午前中には田畑での瓦礫撤去、午後は地元の方との交流会を行いました。

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また、お話をしてくださった方の中に、ラーメン屋を営んでいたNさんがいます。

Nさんは40歳の時に、ご主人とラーメン屋を始めました。
2010年の11月にご主人を亡くされ、更に翌年3月に津波の被害に遭い、
ご主人との思い出の店舗を流されてしまいました。

強い喪失感の中、常連さんからの「またラーメン、やらないの?」という声に、
チャンスがあれば、もう一度ラーメンを作ってみようと思ったそうです。

そんなお話を聞き「名古屋からのボランティアのために、ラーメンを作っていただけないか」とお願いをすると、
笑顔で快諾してくださり、すぐにきずな館のキッチンの下見に訪れて下さいました。

前日には、今までお世話になっていたお店で買い物をされたり、チャーシューを仕込んだりと大忙し。
お店を閉めてから顔を見せなくなったNさんに、仕入先の方から「今どこにいるの?」と心配をする声もあり、
仮設住宅にお住まいの現状などをお話しされていました。

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そして当日、夕方にNさんの弟さんご夫婦や、弟さんの息子さんとお子さんまで駆けつけくださり、
お店を営んでいた頃を懐かしむように、スープの味をかみしめていました。

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そして、夕食はもちろんNさんのラーメン!味はしょうゆと味噌の2種類。
Nさんがどれだけラーメンを愛しているのかが伝わる、心のあたたまる味で、本当に美味しかったです。
Nさんは、震災が起きてから仮設住宅に入り、身体を動かす機会を失ったため、体重が増加しました。
また、お店を経営していたため、お茶のみ友達もおらず、コミュニティの輪から外れて生活をされていました。
狭い4畳半1間のお部屋では、毎日の生活が数歩で終わってしまうような時もあるそうです。
最後には、「皆が手伝ってくれたから、ラーメンを作ることができたの。本当に楽しかったわ。
みんなが美味しいって食べてくれるだけで…それだけで十分なの。」とおっしゃっていました。
何かをしてほしいというニーズではなく、誰かのために何かをしたいというニーズもあります。
支援を受け続けるだけの生活は、大変苦しく、人間的な感覚を失っていくものです。

人は一人では生きられない。人は誰かの役に立つことで生きがいを感じるものなのだと、改めて実感しました。