RSY事務局・清野です。
震災がつなぐ全国ネットワーク顧問・村井氏の雑感レポートが入りましたので、ご紹介します。
能登半島地震発生から1ヶ月が経った。今なお避難所には256人の方がおられる。仮設住宅に入居される方、持ち家を再建される方、また残念ながらこの機会にこの地を離れられる方など、厳しい今後の暮らし方を迫られる。持ち家を再建または補修して暮らせる方はともかく、一概に希望を見出すのも難しい現実でもある。そんな中で、これまでに集まった義援金の一次配分の発表があった。全壊家屋で70万円、半壊家屋35万円である。新潟県中越地震では、全壊家屋に200万円、大規模半壊100万円、半壊25万円が支払われた。もちろん、善意の義援金なのでありがたく受け取ることになるのだろう。しかし、現実の問題としては厳しいものだ。
正直言ってこれまでの大規模災害に比べてマスコミへの露出度は少なかった。もっとマスコミが報道してくれれば、違っただろうにと悔しい。ともすればさまざまな貴重な伝統文化が危機にさらされることを考えると、また歴史的な奥の深い意味合いを考えると、実はもっともっとマスコミも報道していいのではないかと期待してしまう。それでも被災者たちは不満を口にすることなく、ジッと耐えているという日々である。何とか家を再建して新しい暮らしを出直そうと思っても、後継者がいない、どんどん集落の世帯が減少するなど悪循環ばかりが浮かび上がってくる。これでは希望の灯りが見えないのは無理もない。今朝のA新聞では、被災地輪島市門前町黒島の取材記事がでていた。竏注蕪∫ャを対象に224世帯にアンケートをとれば、「黒島の家を継ぐ」と答えたのが31世帯だった竏窒ニ。じつに限界集落の厳しい姿を見る思いである。
さて能登のことをあれこれ考えていると、兵庫県の話題だが24日の地元K新聞に「有馬郡西国三十三ヶ所 朱印帳が完成」という記事に目が止まった。そもそも朱印帳を整備するきっかけになったのは、近年、巡礼者が少なくなり、霊場の存在を知る人が減ってきたからだ。これに携わった四人の僧侶と壇家さん達は「西国三十三ヶ所や四国八十八ヶ所巡りのように、多くの人が訪れて欲しい」と話している。
能登に戻ろう。1ヶ月を過ぎたらもうマスコミでは能登地震の話題は極端になくなるだろう。何とか能登を忘れない発信をし続けなければならない。そこで笑われるかも知れないが次のような提案は現実的にならないだろうか?その提案というのは、この兵庫の知恵を頂いて「能登復興(黄泉がえり)被災寺巡り」(仮称)というような被災地支援ツアーを、被災地の市民が企画したらどうだろうか?被災を受けた寺院が約600ヶ寺あると聞いてびっくりしているが、寺と共に存在してきたこの地域の人々にとっては、もし寺の方もこの地震をきっかけに閉山なんてことになればどうなるんだろう?自分の家が存続しない、あるいは集落が存続しないという辛さとは、また別の意味の深刻な問題も持ち上がってくるような気がす
る。
こうした新たな支援プログラムがあるからといって、昔の活気ある能登には戻らないだろう。それは日本全体の構造的な問題とも絡むからである。残念ながら、飛躍的な復興は望めないだろう。しかし、そうであっても日本の玄関口の一つであった能登の地を巡るという行事は、今を生きている私たちにとっても、ひょっとすれば永遠の大事業になるのかも知れない。四国八十八ヶ所巡りが、今も途絶えずに存続しているように・・・・。また、モスリムの人たちが、一生に一度は「メッカ」に詣でようとするように・・・・・。