能登半島地震【第23報】

皆様
栗田です。お疲れ様です。浦野より穴水町災害対策ボランティア現地本部での活動状況について報告が届きましたのでお知らせいたします。(2007.4.19現在)
○本日の活動
仮設住宅への引越し支援について、地元ボラ連の方々と今後の準備内容、役割分担などについて話し合った。
■仮設住宅応援プロジェクト第1回会議
・日時:4月19(木)10:30縲鰀11:45
・場所:ボランティア活動ルーム
●仮設入居までのスケジュール
・4月20日(金)仮設入所募集締め切り
・4月23日(月)仮設入所者内定通知発行
・4月26日(木)入居説明会
・4月27日(金)縲鰀29日(日)ニーズ調査
・4月30日(月)ボランティアとニーズのマッチング、引越し事前準備
・5月1日(火)縲鰀5月6日(日)入居開始・活動実施
●4月26日(木)入居説明会について
?説明の内容
・新潟県中越地震で仮設入居の経験のある方を招き、新生活にあたり用意しておくと便利なものや、冬や夏の生活環境などについてプロジェクター等を使用し、経験談をお話頂く。また、説明会終了後には、茶話会などでさらに交流をはかれる場をセッティングできるか明日検討予定。
?引越しニーズの受付
・ボラ連メンバーより、ボランティアがどのような作業をお手伝いできるのかを具体的に説明。
・ボランティア申し込み表を配布。内容は、?必要な人数?具体的な作業内容?車両提供の有無など。
・上記の呼びかけと同時に、4月27日(金)縲鰀29日(日)の3日間で、入所される45世帯を対象に、ボランティアニーズの聞き取り調査に伺う。それまでに申し込み表に記入して頂くか、内容について検討いただくことを声かけする。
※行政に、45世帯の対象者についての情報提供をしてもらえるか明日打診。
●引越しボランティア募集の呼びかけ
・北電:12名(5月3日)→決定
・穴水高校:約60名(5月2日13:30縲鰀1年生)→決定
・ボラ連:約20縲鰀40名?→調整中
・体育協会:20団体→調整中
・現在までに協力してくれた町内ボランティア:約70名→調整中
・県外ボランティア:→調整中
※できれば、町内の団体で協力できるような体制づくりが望ましい。状況によって、県外ボラへの協力依頼を検討する。
※4月29日(日)を募集締め切りとすることを検討予定。


●車両の確保
・北電:3台(車種は事務局長が確認)
・コープいしかわ→調整中
・穴水町老人会:軽トラ(5台縲鰀10台程度)→調整中
・日によって車の確保が難しい場合は、レンタルも検討する。
・社協→軽トラ1台、ハイエース1台
※役場にある車両で提供可能なものはあるか明日確認。
●引越し作業に必要な資機材の確保
軍手/ゴム手袋/ブルーシート/ダンボール(梱包用)/新聞紙(梱包用)/ガムテープ(梱包用)/バケツ(掃除用具セット)/雑巾(掃除用具セット)/ちりとり(掃除用具セット)/ほうき(掃除用具セット)/洗剤など
※掃除用具セットについては、作業終了後本人に贈呈する。
※その他のものについては、明日検討予定。
●引越し作業当日の段取り・中越復興市民会議の鈴木さんや長岡市社協の本間さんに過去の取り組みについて参
考意見を聞く。詳細については、明日検討予定
●当日ボランティアの仕事内容と活動する際の注意点
・生活用品の梱包作業、トラックへの積み込み、仮設内の掃除、仮設への搬入
・注意事項は明日検討予定
●第2回会議:4月20日(金)10:30縲怐@ボランティア活動ルーム
■活動している地元ボランティアの声1
穴水町ボランティア連絡協議会会長が、地元の北国新聞に下記の手記を投稿され、掲載されました。町や地元の方々を愛する気持ちや、被災者としての心境、これから自分たちで地元を支え、守っていこうという深い自覚を感じる文章だったので、1回目の掲載分をご紹介致します。(明日は2回目乞うご期待)
【4月8日掲載】
突然の能登半島地震という予想もしない悲しみが覆いかぶさり、どうして自分にと自問自答しながら嘆き悲しんでいる方が多い。長生きしたばかりに体験した恐ろしい出来事と話す人もいる。そこで「まず無事であったことを感謝し、早く明るさを取り戻して前向きに生きることの大切さを感じ、周囲の暖かい支援を待つしかない」と励ましている。避難所にいる方で、孫の背におんぶされて外に飛び出して助かったと、家族の尊い絆に感謝し、涙ながらに話すおばあちゃんもいた。神戸、新潟の方々をはじめ、県内外から大勢のボランティアが駆けつけ、暖かい手を差し伸べてくれている。感謝で一杯である。支えあって生きることの大切さを実感した。元の生活に戻るまでの道のりは長いと思うが、一歩ずつ前に進むしかない。能登には高齢者過程が多く、生活の復興には援助が欠かせない要素となる。
■活動している被災者の声2
震災当初から積極的に在宅の方の訪問活動をされていた地元ボランティアさんのお話
【町の復興について】
・この町はもともと過疎化が深刻な問題だった。能登空港ができ、観光客が穴水まで足を延ばしていたが、寂れている商店街を目の前にし、どこを見たらよいかわからないという様子でウロウロとしていた。それを見た時に、人の流れがせっかく出来ても、この町には目玉となるものがなく、このチャンスが生かせずに、ますます衰退していく一方だと感じた。
・商店街は昔からそれぞれの家が同じ場所で店をやってきたので、儲からなくても毎日同じように店を開け続けていたという感じ。しかしその後を継ごうという若者はいない。
・こんな風に高齢者は細々と生計を立ててきたところへ、今回の地震。仮設などができて生活空間は一時確保されたとしても、生計の立て直しは深刻で厳しい問題である。現に、経営を諦めて店を閉じたところもあり、昔の風景が失われていくことに寂しさを感じる。このままだと若者も来ないし、高齢者も住めない町となってしまう。これからどうなるのか。
・この地域は20年前に商店街の活性化を図る計画が上がったが、勇気がなくそれに載ることができなかった。せっかく能登空港ができた今がチャンスなので、この震災を逆手にとって、活性化ができればと思った。しかし、新しい街づくりのイメージがなかなか出てこない。どうすればよいのか。
【ボランティアの活動について】
・今は被災者も地元ボランティアも気を張っているので何とかやれているが、お互いに疲れてきた時に活動が停滞したり、継続していけなくなるのでは、と不安を感じる。
■浦野感想
・穴水町では、地元の商工会議所を町産業建設課がバックアップする形で、年4回季節の行事が開かれている。今の時期は、「いさぎ(白魚)まつり」や「かきまつり」が行われているはずだった。しかし、今回の地震でのきなみ行事が潰れている。特に今年は先述の恒例行事とは別で、まちの活性化を図る一環として、商工会議所が独自でも「かきまつり」を企画して意気込んでいた。その記念すべき第1日目となった3月25日、テントを張って火鉢の上でかきを焼いて、観光客を待っていたところにあの地
震が起こったとのこと。
・町内の地区のまつりも自粛ムードで、楽しい企画がほとんどなくなっている状態だそうだ。田麦山のゆきまつりの時のように、県外の私たちが少しお手伝いをしながら、商工会と協力して、「あなみず・にいがた・こうべ・あいち…うまいもん市」みたいなものを小規模でいいので開催できれば、少しは活気を取り戻せるかもしれないな、と思った。しかし、一過性であるため、「復興寺子屋」のようなじっくりとした
取り組みも今後必要になるだろうと思う。
・穴水には活発なNPOや、このような活動をコーディネートしていく組織がおそらくそんなに多くないため、今後の復興支援についても、ボラ連と社協が主体になっていく可能性が高い。一過性の大きな活動よりも、細々とでも長く続けられる活動が無理なくできるような体制づくりのお手伝いが必要だと感じた。