事務局です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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「中越・KOBE足湯隊」レポート12
能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
宮本匠さんの第一次足湯隊「つぶやきレポート」続編その2です。
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中越・KOBE足湯隊 つぶやきレポート4
宮本匠
鹿磯集落の87歳の女性。大きなマスクの上に、丸い目がのっている。杖がトレード
マーク。ベンチに座ってため息をついている。話しながら、「お母さん、そんなん87
になって、ため息なんかつかんといてよ」と言うと、「あんた、ため息もつくわい
ね。こんな年になって、こんな目におうて・・・」そして、お母さんは私に親指を立
てて見せながら、話された。
お母さんの旦那さんは3歳の息子をひとり残して、戦争で死んだ。夫の両親と3歳の
息子を、お母さんは「必死で働いて」養ってきた。ようやく暮らしが落ち着いてきた
頃、一人息子は、事故でなくなった。39歳、結婚はしていたが子どもはなかった。
「あんた、コレ(親指を立てる)も、子どもも、私残して先にいってもうて、ほん
まに私も一緒に死のうて、何度思ったか、それで今度も地震におうて。そらため息の
ひとつも出るわいね」「そうかぁ、ちょっとそれだけのご苦労は、僕にはぜんぜん想
像つかへんわ」
そう言いながら、「でも、お母さん87には見えへんね、肌むちゃくちゃきれいや
なぁ。やっぱり魚食べてんのんがええんかなぁ。」「なに?はだがきれい?あほなこ
と!」そう言ってお母さんは、豪快にカッカッカと笑われる。そこから、お母さんの
勢いが一気に増した。「あんた、さっきもあそこにおった姉ちゃんに言うたったん
や。男には注意せなあかんでて。油断したらあかん、見た目はやさしそうなこと言う
とっても、ひどい人がたくさんおるんやて」「お母さん、どんなこと教えてるんです
か!」またカッカッカと笑う。そんなやり取りをして、お母さんも笑いすぎて、ヒィ
ヒィ言い出した頃に、足湯も終わり、「じゃあ、昼ごはんやから」と立ち上がられた
ところに、先ほど私が足湯をした女性がやってきて「ばあちゃん!ほら、ごはんに行
くね」と言われる。「ごめんね、うちのばあちゃんが、もう、勝手なことばっかりい
うてたでしょ」「いやいや。ああ、お母さんとこの嫁さんやったんですね」「そう
ちゃ、うちの嫁や!楽しかった!ありがとう」そうして、二人して昼ごはんの部屋に
向かわれた。今は、またそのばあちゃんがされたように、そのお嫁さんがばあちゃん
と一緒に暮らしているんやなァ、と、すこしぼんやり考えた。