中越・KOBE 足湯隊 レポート 23

震つな事務局・清野です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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       能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
吉椿さんの「つぶやき」5回目です。
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「吉椿雅道のつぶやき縲恃登編5」
 「土地貧乏」という言葉がある。門前の避難所であった被災者のおばあちゃん(78歳)から聞いた言葉だ。「ここはこれまで地震もなくて良いところだったんだがね。。」とため息を漏らすように語る。「ここは仕事がないから若い人は皆、金沢や東京に出て行って所帯もってそのまま帰って来ないんだよねえ。」と寂しそうだ。仕事もなく、土地に縛られている事を「土地貧乏」というらしい。被災して金沢などの子や孫の所に身を寄せるかというと「よそへは行きたくない」と言う高齢者も多い。黒島という集落で聞いた話の中にも「船員をやって子どもを苦労して大学にやったけどそのまま帰って来ないよ」というのもあった。
中越地震の被災地で浮き彫りになった中山間地域の高齢化、過疎、離農などの問題が能登ではかなりの速度で進んでいる。門前町の高齢化率は県内一だともいう。集落規模が小さいという事、担い手になる元気な世代がいないという点では中越よりも深刻である。土地貧乏という言葉はそんな背景から生まれた言葉なのかもしれない。

中越・KOBE 足湯隊 レポート 22

震つな事務局・清野です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
吉椿さんの「つぶやき」4回目です。なお、昨日のつぶやきの中に「未だ避難勧告で地域に戻れない深見の人々」という表現がありましたが、避難勧告が出て戻れないのではなく、深見地区への応急復旧した市道が日中しか使えないため、自主避難を継続されているとのことですので、「未だ避難を続けて地域に戻れない深見の人々」と訂正させていただきます。
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「吉椿雅道のつぶやき縲恃登編4」
能登半島地震最大の被災地、門前町の人口3349世帯、7821人(07年3月1日現在)である。そのうち65歳以上の高齢者が、3703人である。なんと高齢化率47,35%という数字が出ている。日本の最先端を行く場所が被災地となった。
避難所を回っても子供をあまり見かけない。鹿磯の人々が避難していた西小学校でもほんの数名の中学生しか見かけなかった。足湯しながら91歳のおばあちゃんは、「内の集落は85歳以上が35人、二人暮らしの高齢者宅が45軒、一人暮らしの高齢者宅は16軒あるんだよ。これが私のボケ防止!」と笑いながら鮮明に記憶しており、「自分の事は自分でするからね。」ととても91歳とは思えない。そんなおばあちゃんが翌日、足湯をしながらお話すると「長生きするもんじゃないねえ。この年でこんな目に遭うなんて。。」ともらした。
91年という月日を生きてきた人にとってこの地震はどのように映っているのだろう。
そして彼女たちにとっての復興とは何を意味するのだろう。。。

中越・KOBE 足湯隊 レポート 21

震つな事務局・清野です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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       能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
吉椿さんの「つぶやき」3回目です。
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「吉椿雅道のつぶやき縲恃登編3」
慣れない集団生活や人目にさらされるプランバシーのない生活、避難生活が一週間もすると様々な疲れが出てくる。そこで暖かいお湯に足をつける。それだけで気持ちがいい。そして中越や関西から来た学生たちに手を触れられながら何気ない会話を交わす。時には笑い声も聞こえてくる。そして足湯を通じて交わされる会話の中にはたくさんの情報がつまっている。
 3週間後の今でも避難生活を送っている深見の集落の方に足湯をやりながら沢山のお話を聞いた。「深見の8割が元、船員なんだよ。ほら、そこのおやじも船乗りさ。今は、皆、退職して年金暮らしだよ」、「ほとんどの家には2,3人乗りの伝馬船を持っていて、食べる分を獲って残りは輪島の朝市や金沢に売っているんだ」と話してくれる。「深見にはなあ、雪割草の群生地があるんだ。山道を一時間くらい歩けば見れるぞ。きれいだぞ。」と自慢げに語るお父さん。未だ避難勧告で地域に戻れない深見の人々。足湯をやりながらお話を聞くと孤立した集落の姿が少しづつ見えてくる。被災者と呼ばれる前までどんな暮らしをしていたかがうかがえる。「暮らし」を「想像」してみる事の大切さに改めて気づかされる。

中越・KOBE 足湯隊 レポート 20

RSY事務局・清野です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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       能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
吉椿さんの「つぶやき」2回目です。
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「吉椿雅道のつぶやき縲恃登編1」
 門前西小学校の避難所(すでに閉鎖)で出会ったUさん(60歳男性)。避難所を取り仕切っている若手(?)の元気なおじさんである。海岸線沿いの鹿磯(105世帯238人)という集落に生まれ育ち、長年勤めた役場の仕事の退職を目前に地震に遭った。「これが最後の仕事や。。」と複雑な思いをこぼす。地震一週間後に避難所で初めてお会いした時、僕をマスコミの人間と勘違いして、ぶっきらぼうに「夜9時以降の取材はダメだ!」と言われた。足湯のボランティアをさせていただきたい旨を伝えると「それはいい、ばあちゃんが多いから喜ぶぞ。」と言って、一見強面なその表情が緩んだ。その会話から能登での「足湯」が始まった。
 だが、いつも避難所で走りまわっていた元気なUさんが、「自分ちの片付けをしなくちゃいかんが、何かやる気が起きない」と最近よくつぶやく。これは、東洋医学的にいう「腎虚」という状態で極度の心身にかかるストレスによって腰(腎臓)に力が入らなくなる。
 高齢化のかなり進んでいる被災地では担い手である数少ない中高年男性の負担や疲労が気になる。

中越・KOBE 足湯隊 レポート19

RSY事務局・清野です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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       能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
 先日22日(日)に、すでにお知らせしましたように被災地NGO恊働センターの会議室で、これまでの振り返りを兼ねた足湯講習会を開催しました。神戸大学、神戸学院大学、大阪大学、松蔭女子大などの学生が15人集まり、吉椿さんの”本格的な東洋医学”の「さわり」の話しをはじめ、足湯の実技についてのおさらい、さらには足湯によって聴き取る”つぶやき”から見える大切な課題などについて意見交換をしました。やはり初めての人にとっては、わずか10分ほどですが会話をつなぐことが難しいという。
 昼食は(なんと!)吉椿さんみずから、腕を振るってつくられた「タイカレー」を頂きました。余談ですが、被災地NGO恊働センターの会議室では、よく「寺子屋勉強会」を行っていますが、こんなおいしいタイカレーが食べられるなら、「寺子屋・足湯道場」というメニューを追加しようかと思いました。是非、みなさん足湯を覚えたいという方がおられましたらお声をかけて下さい。ただし多少の人数が集まらなければ開催できませんのでその辺りはご了承下さい。
 さて、これまで足湯隊に参加された学生さんの「足湯レポート」は順番に紹介してきましたが、いよいよ今日から”真打ち”の「吉椿雅道のつぶやき・能登編」を紹介させて頂きます。また感想、ご意見など聞かせて下さい。なお、足湯隊第3陣が連休後半(5日、6日の予定)に現地入りするため、そのための先遣隊が今月末に入ります。今、現地では仮設住宅への入居が最も関心事になっていますが、早い場所で4月末に、穴水は5月1日の入居予定です。従って一応足湯隊として行きますが、場合によっては引っ越し手伝いをすることになるかも知れません。また、今回は第2陣で同行して下さった阪神・淡路大震災の被災者と初参加の被災者も一日参加ですが合流します。このレポートを読まれた方で、足湯隊に参加して見たいと思われる方は、まだ若干名空席がありますので連絡を下さい。

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中越・ KOBE 足湯隊 レポート 16

事務局・清野です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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       能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
第2次足湯隊に参加した大阪大学の是常さんの感想をお届けします。
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足湯感想文
大阪大学人間科学部ボランティア人間科学科3回生
是常 安紀子
【全体的なこと】
7日は穴水にて、キャッスル真名井と聖頌会グループホームの2箇所で足湯をさせていただいた。キャッスル真名井は、綺麗な景色の見えるリゾートホテルを避難所にした、という感じの場所だ。避難所といえばどうしても体育館のような、寒くて、プライバシーのない、生活しにくい場所というイメージがあったので意外だった。また、お昼に行かせていただいた聖頌会グループホームで、入所されている方々の足湯をさせていただいた。認知症の方々や、耳が遠い、体の一部がしびれる、うまく声が出せないなど、体の不自由な方々が多い。初めての経験に戸惑った。コミュニケーションをとることが本当に難しかった。だからこそ、笑顔が大事だということに気づかされる。
8日は門前のサンセットビューにて、足湯をさせていただく。ここも、もともとはリゾートホテルだ。ボラセンとのやりとりがうまくいかない。なぜか、「雨が降っているので、今日は一日ボランティアを受け付けない」と言われ、宮本さん斉藤さんがボラセンを通さず直接現地の方に掛け合っていただいて足湯をさせていただくに至った。現場のボラセンは混乱しているのかもしれないと思った。雨が降っていることは足湯には関係ないし、誰かが言っていたが雨が降ったときだからこそ必要な仕事もあるらしいし、それにこの日はボランティアがいちばん来やすい日曜日なのだ。もったいないと思う。

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中越・KOBE 足湯隊 レポート15

RSY事務局・清野です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
第2次足湯隊に参加した神戸大学の村川さんの感想をお届けします。
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被災地のお年寄りの姿
神戸大学学生震災救援隊 村川奈津美
 私は普段、神戸の復興住宅でお年寄りを対象にした活動をしています。避難所にはお年寄りが多いということで、被災地のお年寄りの様子を見てみたいと思い、能登派遣に同行しました。
 能登の地で私が出会ったお年寄りには、いろいろな方がいらっしゃいました。積極的に話してくださる方、口数がちょっと少ない方…でもどの方も、人と接したいという思いがあることが感じ取れました。まぁそもそも、足湯に来てくださるという時点で、人との関わりを求めておられるのでしょうけど。 その中でも、特に印象に残っている方がいます。
 その方とは足湯でお話ししたわけではなく、お手洗いで出会いました。うがい薬でひたすらのどを洗っておられたので、「体調悪いんですか?」と聞いたら、「ここ(避難所)に来てからずっと体調が悪くて、今日お医者さんに診てもらったら、家ではベッドだったのが畳になったせいで、起き上がるときに頭に血が上ったりして、体中しんどい」とのことでした。それを聞いた私は「そうなんですか、お大事にしてくださいね。早く帰れるといいですね。」と深く考えずに言ったら、「もう帰れないんよ。」と寂しそうに言われました。 それから詳しく話を聞くと、「建て直したってあと残り少ない人生だし、仮設住宅は今使ってるベッドを置いたら狭くてとても生活しにくいと聞いてるけど、どうせあと2、3年の命やろうから…」と寂しそうに言われました。私は、「とにかく体だけはお大事にしてください」としか言えず、フラフラしながらお部屋に帰られる後ろ姿をただただ見送っていました。

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中越・KOBE 足湯隊 レポート 14

事務局です。
能登半島地震被災地での「中越・KOBE足湯隊」のレポート14をご紹介します。
「中越・KOBE足湯隊」は地震発生直後から二陣が門前町、また一部穴水町に派遣されておりました。
足湯隊のこれまでの活動レポートはRSYのブログでも紹介していますのでごらんください。
http://www.rsy-nagoya.com/rsy/blog/archives.html
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      「中越・KOBE足湯隊」レポート14
       能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
今回は、第2次足湯隊の神戸学院大学・山本さんの感想文をお届けします。
なお、4月11日の報告会の議事録(http://www.pure.ne.jp/~ngo/houkokukai070411.doc)
と当日配布資料の「現地活動報告書」
(http://qqqqlove.net/noto/repo_070411.pdf)がそれぞれダウンロードできますの
で、是非ご一読下さい。
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「中越・KOBE足湯隊」第2陣参加の報告・感想
                神戸学院大学法学部国際関係法学科
                ボランティア活動基金VAF3回生 山本佳世子
 私は今まで災害が起こったときは緊急支援活動として募金活動に参加していました。今回、初めて災害ボランティアとして現地を訪れようと思ったのは、私が阪神大震災の被災者であること、そのために自分には何か能登の方たちと通じるものがあるのではないかと思ったからです。
 地震発生から2週間たっていることもあり、私が訪れた穴水町では避難所が2ヶ所、約50名の方が生活しておられました。7日・8日とも避難所で足湯をさせていただき、一見するとみなさんの表情は明るく、私たちが話しかけると楽しそうに答えてくださいました。しかし避難所におられる方のほとんどが昼間は家の片付けにむかっているそうで、私が足湯をさせていただいたおじいちゃんも、ほぼ毎日、家の片付けに向かっているとおっしゃっていました。
 また、8日の午前は穴水町で被害の大きかった穴水駅付近を視察しに行きました。そこではちょうど家を壊している最中で、家の柱や木材を重機でトラックに積んでいるところでした。たまたま通りかかった地元の方にお話を聞くと、毎日1から2件の家が壊されていくそうです。私はその中のある1軒に目がとまりました。その家の隣には地震で壊された後と思われる何もない土地があり、それに面したその家の壁は一面、青いビニールシートで覆われていました。ビニールシートから少しだけのぞく壁は塗装がはがれ、ガラス戸は閉められない状態のようでした。そしてそのガラス戸から、1人の女性が行き来していました。この方も、どうやら家の片づけをしているようです。被災地ではよくある光景ですが、この光景は私にとってとても切ない印象を与えました。住み慣れた家が壊れたり、使えなくなってしまった家具などを捨てるとき、それまですごしてきた日常や思い出も一緒になくなってしまう気がするのです。被災者の方の中に家を離れたくないとおっしゃる方がいるのは、その家で過ごしたたくさんの思い出が懐かしく、それらの思い出をなくしたくないと思うからではないでしょうか。なくなってしまうとわかって初めて、その家ですごした何気ない日常の大切さやありがたみに気づくのかもしれません。
 今後、道路や家が再建され、目に見える形の復興は進んでいくでしょう。しかしこの時期にこそ、被災者の方のこころのケアや休息が必要になってくると思います。ゆっくりでも良いので、被災者の方が安心して新しい日常を築けるように環境を整えていってほしいと思いました。

中越・ KOBE 足湯隊 レポート 13

RSY事務局・清野です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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       能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
昨日、「4・11竏昼ル急!能登半島地震救援報告会」が行われ、50人の会場に60人近く集うという熱気あふれる会合になりました。会場カンパも31,342円集まりました。ありがとうございます。
 その内容については、近々報告させていただきますが、今回のレポートでは第2回足湯隊に参加された神戸学院大学ボランティア活動基金(VAF)の高橋瑞紀さんの感想をお届けします。
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はじめての足湯隊
神戸学院大学ボランティア活動基金(VAF)
高橋 瑞紀
 私は幸い震災を経験したことがありません。今までニュースや授業で震災について話を聞いても、他人事にしか思えませんでした。今回足湯隊に参加させていただいたのは、もちろん被災者の方たちが早く安心して生活を送れる日を願ってという気持ちもありましたが、被災地がどのような状況なのか、被災地NGO恊働センターがどのような活動をしているのかという、知りたいという気持ちが強かったからです。被災地や避難所に行くことが初めてだったので、今回参加して多くのことを学ぶことができました。
 失礼ですが、はじめは足湯をする意味がわかっていませんでした。被災者の方とコミュニケーションをとるためと教えていただいても、いまいち理解ができませんでした。足湯するなら、倒壊した家屋の片づけを手伝ったほうがこの状況を早く変えられると思っていました。しかし、重機を動かす技術を持っているわけでもなく、行政の知識もなく、医療の技術もなく、足湯をして被災者の方と上手に会話することすらできず、私にできることは何もないのではないかと思いました。

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中越・KOBE 足湯隊 レポート12

事務局です。
被災地NGO協働センターから、 「中越・KOBE足湯隊」レポートが入りましたので、ご紹介します。
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      「中越・KOBE足湯隊」レポート12
       能登半島地震救援学生ネットワーク事務局
宮本匠さんの第一次足湯隊「つぶやきレポート」続編その2です。
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中越・KOBE足湯隊 つぶやきレポート4
宮本匠
 鹿磯集落の87歳の女性。大きなマスクの上に、丸い目がのっている。杖がトレード
マーク。ベンチに座ってため息をついている。話しながら、「お母さん、そんなん87
になって、ため息なんかつかんといてよ」と言うと、「あんた、ため息もつくわい
ね。こんな年になって、こんな目におうて・・・」そして、お母さんは私に親指を立
てて見せながら、話された。
 お母さんの旦那さんは3歳の息子をひとり残して、戦争で死んだ。夫の両親と3歳の
息子を、お母さんは「必死で働いて」養ってきた。ようやく暮らしが落ち着いてきた
頃、一人息子は、事故でなくなった。39歳、結婚はしていたが子どもはなかった。
 「あんた、コレ(親指を立てる)も、子どもも、私残して先にいってもうて、ほん
まに私も一緒に死のうて、何度思ったか、それで今度も地震におうて。そらため息の
ひとつも出るわいね」「そうかぁ、ちょっとそれだけのご苦労は、僕にはぜんぜん想
像つかへんわ」
 そう言いながら、「でも、お母さん87には見えへんね、肌むちゃくちゃきれいや
なぁ。やっぱり魚食べてんのんがええんかなぁ。」「なに?はだがきれい?あほなこ
と!」そう言ってお母さんは、豪快にカッカッカと笑われる。そこから、お母さんの
勢いが一気に増した。「あんた、さっきもあそこにおった姉ちゃんに言うたったん
や。男には注意せなあかんでて。油断したらあかん、見た目はやさしそうなこと言う
とっても、ひどい人がたくさんおるんやて」「お母さん、どんなこと教えてるんです
か!」またカッカッカと笑う。そんなやり取りをして、お母さんも笑いすぎて、ヒィ
ヒィ言い出した頃に、足湯も終わり、「じゃあ、昼ごはんやから」と立ち上がられた
ところに、先ほど私が足湯をした女性がやってきて「ばあちゃん!ほら、ごはんに行
くね」と言われる。「ごめんね、うちのばあちゃんが、もう、勝手なことばっかりい
うてたでしょ」「いやいや。ああ、お母さんとこの嫁さんやったんですね」「そう
ちゃ、うちの嫁や!楽しかった!ありがとう」そうして、二人して昼ごはんの部屋に
向かわれた。今は、またそのばあちゃんがされたように、そのお嫁さんがばあちゃん
と一緒に暮らしているんやなァ、と、すこしぼんやり考えた。