宮城県七ヶ浜町報告【第123報】親子支援/手作り親子写真館

皆様 お世話になっております。
RSYボランティアきずな館 郷古です。
2013年3月22日(金)に行われましたRSYの七ヶ浜町親子支援企画のひとつである 「つながる遊び庭こどもアートしちがはま」の今年度最後のイベントが無事終了致しました。
ご報告させていただきます。

この日は天候に恵まれとても暖かい日でした。 天気がいいとお散歩がてらと、お客さんもいっぱい来てくれます。
今回のイベント内容は年度末ということもあり、思い出に残るイベントばかり!
■「海の学校」の皆さんが主催する【親子記念写真撮影会】
プロのカメラマンさんが、機材を背負って遠くから来てくださいました。 その場でプリントしてくれます!
■「未来予想図実行委員会」の清野さんが主催する【オリジナルフォトフレーム作り」】
海の学校さんで写真を撮った後は、 自分でデコレーションしてフォトフレームを作り、写真をすぐに入れることが出来ます!
■「ふらいパンダ」の皆さんが主催する【大きなカステラ作り】
七ヶ浜町にはもう3回も来てくださっています! 生地作りからみんなで行います。特注の大きなフライパンにびっくり!

上記の団体に加え、七ヶ浜町の子育て支援サークル「ぽっけ」の皆さんと七ヶ浜町のボランティアセンター、東北学院大学災害ボランティアステーションからもボランティアさんが来てくださりお手伝いをしてくれました。

イベント開始午前10時には20組40名の親子が集まってくれました!
カステラ作りは卵を100個以上も割って6つのグループに分かれて生地作りから始めました。こだわりの炭火焼!参加したお子さんたちは火起こしも手伝ってくれました。

親子写真順番待ち表には名前がびっしり・・・。
こちらも大盛況です。
カメラの前で顔が強張ってしまう子もプロのカメラマンさんにかかれば大丈夫!
笑顔を引き出すのが上手い!
写真を撮った後は、すぐにフォトフレーム作り。
親子で撮った写真は、特別なフォトフレームに入ります。
一緒に作るのは楽しいね!

写真を撮って、フォトフレームも作って元気に大学生のボランティアさんと遊んでいると・・・
なにやら、いい香りが?どうやら、カステラが焼きあがったようです。

「わー。すごーい!おおきーーーぃー。」驚きと喜びで上がる歓声!

さっそくみんなで記念撮影です。
作ってくれた子どもたちがカステラを切り分けてくれました。

「おいしー!あまーい!」
「この大きさを焦がさず作るのは、すごい!」
「おかわり!」
などなど笑い声が支援センターに響きます。

この日は小学校の終業式。
カステラの焼き上がりに間に合ったので、小学生の子たちも合流し、
最後には親子総勢60名でわいわい食べました。


—–参加したママさんたちの声—–

「なかなか、(うちの子と)一緒に写真が撮れないから、今日は嬉しかった。是非この企画をまたやって欲しい。」

「今年度最後にふさわしい、思い出に残る素敵なイベントだった。来てくれた各団体さんや体を張って遊んでくれた学生さんたちに感謝です。」

「特注フライパンに驚いた。出来上がったのを食べるのもいいけど、自分たちで最初から作るってのも楽しい!」

「来年度からうちの子は幼稚園に行くから、この子育て支援センターのイベントに子どもを連れて来れなくなる。残念。。。」
—————————————— 

来年度もRSYは七ヶ浜町に常駐スタッフを置き、継続的に支援活動をさせていただきます。
来年度は頻度こそ少なくなりますが、親子支援も継続的に行います。
お母さんたちがリラックス出来る時間を、子どもたちがのびのび成長できる環境を作るお手伝いができればと考えております。

 

宮城県七ヶ浜町報告【第122報】子育て支援センター/木粘土でお雛様作り

皆さま

いつもお世話になっております。
RSYボランティアきずな館 郷古です。

2月22日(金)に七ヶ浜町の子育て支援センターでRSYの親子支援の一環として行われたイベントのご報告をさせていただきます。

今回も「未来予想図実行委員会」の清野さんと一緒に企画・運営を行いました。
清野さんが講師となり、七ヶ浜町にお住まいの親子15組40名と一緒に「木粘土でお雛様作り」を行いました。(昨年度はつるし雛を作りました!)
※今回は東北放送(TBCテレビ)の宮城県ローカル情報番組「ウォッチン!みやぎ」の取材も入りました。

100円ショップで売っているもので作れます。
手でこねて、着物を着せて、尺を持たせて、お部屋に入れて・・・・出来上がり!
とっても簡単で安心。

お母さん「何色のお洋服がいいかなー?」
子ども「ピンク!」
お母さん「二人ともピンクになっちゃったねー。違う色の方がいいんじゃないかな(笑)」

子ども「自分で作れるから、お母さんはやらないで!お母さんのは自分で作って!」
お母さん「ちゃんと作れるのかなー?お母さんとどっちが上手か勝負だ!」

などなど賑やかな声が響きます。


そして今回もなんと!
昨年度から継続的に来てくださっているLUSHジャパンの皆さんに、ママさんに大人気のハンドマッサージも提供していただきました。通い続けて一年半、ママさんたちとも顔なじみになったLUSHの皆さんには若ママトークで花が咲く、リラックス空間を作っていただきました。

 

来月の3月は卒業の月。
子育て支援センターを卒業して、来年度から幼稚園・保育所に通う子もいます。
「楽しい企画ばかりだったけど、来月で最後だから思い出に残るようなイベントがあれば」とお母さんたちから聞きました。

来月はどんなイベントにしよう・・・?
清野さんやママさんたちと考えて、来月臨みます!

宮城県七ヶ浜町報告【第121報】ボランティアバス60陣活動報告

皆さま

RSY名古屋事務局スタッフ、松永と申します。

2011年6月~年末まで七ヶ浜きずな館スタッフとして支援活動を行い

今年の4月から名古屋事務局スタッフとして働かせていただきます。

大分生まれ大分育ち、好きな食べ物は豚骨ラーメン。常温の牛乳をコップで飲むことが苦手でございます。

よろしくお願い致します。

 

早速、3月16日(土)、17日(日)のボラバス60陣の報告をさせていただきます。

今回のボランティアバスでな、な、なんと!60回目を迎えることができました!

 

<3月16日(土)>

震災から二年『絆』メモリアルイベントに出席しました。

まず午前中の部は浜清掃です。

震災からの二年間、多くのボランティアが浜清掃で汗を流し、以前の浜の姿を取り戻しつつあります。

しかしまだ、小さなガラスやプラスチック片が散らばっていました。

この日はボラバス以外にも総勢300名を超えるボランティアが参加していました。

 

それから午後の部です。

住民の方からありがとうの手紙朗読や、

NaNa5931,Voices of Vision(VOV),あっちこっちの会によるコンサートが行われました。

イベントの中で住民の方から「ありがとう」の声をたくさんいただきました。

震災からの二年間で延べ7万人のボランティアが七ヶ浜で活動を行ってきました。

浜には大きなコンテナ、海苔の作業場の上に船、家の玄関に突っ込んだ車・・・・・・どこから片づけていいのかわからない。

そんなとき、県内外や国外から、多くのボランティアが七ヶ浜に力を貸してくれました。

一人一人ができることは小さなことかもしれません。

しかし二年間、その小さなことの積み重ねによって、自然豊かな七ヶ浜に戻りつつあります。

 

震災からまだ二年です。

これからも息の長い支援が必要なことに変わりはありません。

 

住民の「ありがとう」の言葉を胸に、これからも七ヶ浜での活動や名古屋でもできることを続けて行きたいと思った松永でした。

 

<3月17日(日)>

個人宅の瓦礫撤去作業を行いました。

以前に一度作業してある場所だったため大きな瓦礫は少なかったのですが、よく見ると小さなガラスなどが落ちていて一日かけて清掃しました。

 

夜は全体ミーティングを行って、その日感じた事などを共有します。

○ボラバス参加者の声

・一緒に参加している方たちがみんな気さくで優しく話しかけやすいということに感激しました。それはやはり人に良い事をしているので自分にも良い影響が出ているということかもしれません。今回は友達と共に参加したのですが、こういう雰囲気なら一人で参加しても不安がないなと思いました。

・実際に被災地に行ってみて自分の想像していたニュースでよく目にする被災地とは大分ちがった。やっぱり2年たっているので復興が進んでいるんだなと思った。でも海岸沿いには細かいガラスの破片があったりしたので、完全に復興するにはまだまだ時間がかかると思った。

・実際初めて被災地に訪れてみて地震から2年たったけれど、まだまだボランティアが必要であると感じた。愛知では震災のニュースはほとんどなくなってしまって過去のことになっている人々も多いと思うけど、まだまだ仮設で暮らしている人もいるし、心の傷がいえていない人々もいるので、これから忘れず支援していく必要があると感じた。

・住民の絆、七ヶ浜の人、宮城県の人、東北の人、全国の人と心のつながりができていく感じがみられてすごいと思った。メモリアルイベントは感動した。「ありがとう」といわれ、もっとできたんじゃないかと思えた。ボラバス参加4回目で少し七ヶ浜に近づいた気でいたが、「震災2年」という言葉にまだまだ自分は他人事としてみえていたと思った。

「ボラバス60陣とNaNa5931のコラボ写真」

今月末(3月30日(土)~4月1日(月))のボラバス第61陣もまだ空席が残っておりますので是非行きたいという方、ご応募をお待ちしております。

http://rsy-nagoya.com/rsy/blog/2013/02/2013-vb-03-2.html

宮城県七ヶ浜町報告【第120報】震災から2年。あの日から今を考える。

皆様

お世話になっております。
RSY ボランティアきずな館 郷古です。

「3月11日」という日がまた廻ってきました。あの未曾有の大震災から2年が経過したことになります。
「悲しかった、苦しかった・・・」
そんな思いのままの2年間だったのか。
いや、その中でも
「嬉しかった、楽しかった・・・」
があった。
これは二年を迎えて「今を生きる」一人の住民のつぶやきであり、誓いをご紹介させていただきます。
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【Aさんの言葉】

311日の地震のときは利府町(七ヶ浜の隣町)から自宅に帰る途中だった。車の中でいきなりの横揺れにあわてて、車を止めてうずくまった。すごく長くゆれていた。それからすぐに自宅へ向かった。正直あの揺れでは自宅も倒壊したと思ったが、ちゃんと建っていた。玄関先の花瓶がひとつ倒れていたぐらいであとはなんともなかった。外では大津波警報が鳴っていた。
今思うと、私はこの時点で「パニック状態」だったんだと思う。一緒に逃げようと思っていたが、車は必要だと思ったので(家で車を二台持っていた)旦那に別々に逃げようと伝えた。そして「先に逃げてていいよ。中央公民館に行きなさいわ」となぜか遠い避難所を教えた。(普段非難訓練していたのは、近くの小学校)「津波は来たとしても床下ぐらいだろう」と思っていた。位牌と毛布と薬を持って逃げようとしたが、ハンドルロックがかかってしまって動けなかった。いつもならすぐにはずせるがパニックになってはずせなかった。大雪で寒かったが外に出て辺りを見ていたら、近くの人が「なにやってるの早く逃げなさい」とハンドルロックをはずしてくれた。
そこから中央公民館でも小学校でもなく津波の来ない高台に住んでいる友達の家に避難した。車の運転途中で、水がすぐそこまで迫っているのをみてゾッとした。その時は携帯は通じなかったが、夕方ぐらいに娘たちと連絡が取れて、避難所である小学校で待ち合わせをした。小学校の避難所は人がいっぱいで車中泊で二日間過ごした。配給されたのは小さなおにぎり一人一個だけであとはなかった。

その後家族そろって多賀城市(七ヶ浜の隣町)の親戚の家に行った。多賀城での生活は一週間くらいで、私たち家族は「水係り」になり水を求め各地を回った。
その後は利府の実家へ向かいそこで過ごした。多賀城にいたときからだが、震災3日目から七ヶ浜の自宅に通った。一度だけ避難所から見に行ったことがあったが、家に対して「良くぞ頑張って津波に耐えたね。えらい。また住むから一緒に頑張ろうね」と思った。
しかし、電柱やら瓦礫やらが家に突き刺さり、とても住める状態ではなかった。家の中は私と旦那
と娘の3人で、外は近所の人たち合わせて10人くらいで片づけをしていた。6月には抽選で当たり、いよいよ「仮説暮らし」が始まった。
8月にはどろぼうに入られては困るので、自宅に窓ガラスを取り付けた。自宅は海が見えるせいもあるか、仮設暮らし始まってからはなかなか行かなくなった。
9月に入り、現実が見えてきた。「住宅ローンが残り10年もある、家も直さなくてはならない。仮設暮らしで体調も悪い。」気分も落ち込み、この先の不安からか「何であの時、流されなったんだろう、こんなに辛いならば死んだほうがマシだったんではないか」と言葉が出てきてしまった。娘も同意見だった。

この時期にボランティアさんに出会っていなかったら、本当に何があってもおかしくはなかった。

きっかけは孫(子どもたち)と遊んでくれるボランティアさんだった。仮設は狭く、子どもたちもストレスがたまっていた。「近くに住んでいて遊んでくれる人」がいると子どもたちから聞いた。最初は「子どもたちと遊んでくれてありがとう」を伝えるつもりだったが、ついついそのボランティアさんと自分のことを話し込んでしまった。話すとなんだか胸がすっきりした。つっかえていたものが取れたみたいだった。

実を言うと色んなボランティアさんがいるから注意していた。(そういう話も聞いていたので)しかし、それからはイメージが一変した。自宅の片付けもボランティアさんにお願いしようと思った。すぐボラセンに行った。結果、とても家をきれいに片付けてくれた。とても感謝をしている。
おかげで4月末には仮設を出て自宅で生活する予定。

しかし、この先の不安はぬぐえない。

 

【Aさんの旦那さんの言葉】

地震が起きたとき、必ず津波が来ると確信した。普通の揺れではなかった。
まず、思ったのが「これでは仕事が出来ないな、どうしよう。借金が払えない」だった。
自宅の片付けは心も身体もとても疲れた。津波の強さは本当にすごい。どっから手をつければいいのか分からない状態だった。
今では「とっておけば良かった」と思えるものもあの時はかなり捨てた。火事場の馬鹿力というものなのか重いもの(冷蔵庫など)をひとりで持って投げていた。ぶち切れていたんだと思う。震災当初(3月~4月)はボランティアさんがいなかったので自分たちでやっていた。本当に大変な作業だった。ボランティアさんがいたら頼んでいたよ。2ヶ月で5kgは痩せた。
仮設は狭くて、体が痛くなる。壁は薄いので隣に住んでいる人にも気を使う。プライベートもない。

 

【お二人の今現在】

・家がある人(直した人)とない人との関係が良くない。

溝がさらに広がる時期に来ている。温度差がありすぎて、どうしたらいいかわからない。

・ローンがなかったらこの地から離れていた。地元という意識はもうない。

・職人さん(建具屋)がいなくて4月末までに自宅が生活できるレベルに達するかは未定。

・海が近くなるために地震やサイレンに敏感になるだろう。津波が来る夢は未だ見る。

・当初は助け合いのムードだったが、今は悪い意味で「震災前に戻っている」

・ボランティアさんとの手紙のやり取りができている。ボランティアさんは私たちが出来ないことをしている。来てくれるだけでもありがたい。

【皆さんに伝えたいこと】

・地震=津波と頭に入れておく。

・津波が来たら家には戻らないこと。

・家族の集合場所を決めておき、助けに行かない。まずは自分の命を守る。

・車にある程度のものは積んでおいた方がいい。(若干の現金、水、ガソリン、乾電池、ゴム手袋、ビニール袋、タオル、新聞紙、ラジオ)

・大金は銀行に預けること。タンス預金はあまりよくない。

・一番大変だったのが、「水」がなかったこと。

・平常時の人間関係(隣近所、地域との付き合い方で震災時、その後もかなり違う)
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「ボランティアさんに本当に感謝している」、「ボランティアさんがこの頃見えなくなって寂しい」、「一人ひとりの復興のスピードが違いがはっきりしている」
このような声も出てきています。

時の流れとともに、現場の課題も移り変わっていきます。
「今更ボランティアなんて・・・」
「今更」なんて言葉はありません。
「早くボランティアに来たから偉い」
そんなことはありません。
被災地の「今」に住民の皆さんに寄り添いながら取り組めばいいと思います。
レスキューストックヤードは来年度も七ヶ浜町に常駐スタッフを置き、これからも七ヶ浜町を応援する所存です。
そのためには皆様のお力添えがこれからも必要です。今後とも宜しくお願いいたします。

【報告】3.11追悼の集い@名古屋事務所を行いました

皆さま

 

お世話になります。RSY事務局の加藤です。

3月11日、東日本大震災より2年ということで、RSY名古屋事務局ではささやかな追悼の集いを行いました。

午後の部(14:00~16:00)にはボランティア・スタッフ総勢21名が参加しました。

東日本大震災へのそれぞれの関わりを共有し、14:46に黙とうしました。

この日をどのように過ごしたらいいかと思っていたところ、この集いを知って初めて足を運んでくださった人もいました。ぼっけ汁であたたまり、最後には今の気持ち・被災地に届けたい想いを書いて共有できました。一部ご紹介します。

夜の部(18:00~20:00)では、事務所下の駐車場スペースをお借りしてキャンドルを灯しました。ボランティア・スタッフで準備など行い、通行人の方にも「震災から2年の集いを行っています」と案内をすると、足を止めて寄ってくださった方もいらっしゃいました。

小さなお子様もキャンドルに火を灯してくれました。また、会社帰りで「そうか、今日は3.11か…」とつぶやかれた方もいました。この集いを行ったことで、一人でも多くの人が3.11を振り返るきっかけになったのなら…と思った瞬間でした。

 

また、いつも一緒に活動しているメンバーと一緒に想いを馳せる時間をもてたことが、3年目からの活動につながっていくような気がしました。

少しでも七ヶ浜町の当日の様子を名古屋でも感じることができれば、と思い、現地スタッフが早朝に撮影した七ヶ浜の様子などを写真で紹介し、皆さんに見ていただくこともできました。

代表の栗田も「まだ2年。これからの方がずっと長い。」と言っているように、まだまだこらからです。名古屋からも1日1日を大切に、できることに取り組んでいきたいと改めて感じた1日でした。

★今日のためにボランティアバスに何度か参加してくださっているボランティアさんの手作りキャンドルをお借りしました。3.11の文字に色鮮やかなキャンドルが加わってとても素敵な雰囲気となりました。

たくさんの皆さまと一緒に2年目を迎えました。

ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

 

 

RAINBOW project☆復興スイーツのお知らせ☆

皆さま

いつもお世話になっております。RSY飯田です。

★七ヶ浜町きずな工房×企業×NPOのコラボ企画 『RAINBOW project』 のお知らせ★

毎月7日は「しちがはまの日」です。 グラニーバッグとスイーツをセットにしたこの企画。覚えていてくださるお客様もいらっしゃり、きずな工房に届くハガキの中には、リピーターさんが現れるほどになりました。3/7(木)より販売を開始しています!

グラニー

3月に入ると、宮城県では「吊るし雛」のお披露目が始まります。

きずな工房のお母さん達も負けじと「小さなおひな祭り」を開催しました。

ひなまつり

きずな工房のお母さんたちは、「勉強になるから」と隣の町まで

吊るし雛を見学に行ったりと、訪れる春の気配に心を踊らせているようでした。

友達に会えたり、大好きなお裁縫や木工を楽しんだり…きずな工房は、寒い中も毎日あたたかな賑わいをみせています。

 

※復興スイーツとは…宮城県の七ヶ浜町きずな工房で作ったグラニーバッグと、名古屋市の洋菓子フィレンツェさんのおいしいスイーツをセットにした、 おいしく・かわいく が復興支援になるセットです。売上は、きずな工房の運営基金として七ヶ浜町に還元されます。

☆販売店はこちら。各店舗数量限定☆

●洋菓子フィレンツェ高畑店

・住所:名古屋市中川区荒子1-194(あおなみ線荒子駅北、中川郵便局隣)

TEL:0120-34-1318 営業時間:AM9:30~PM9:00

●フィレンツェかの里店

・住所:名古屋市中川区供米田2-1106(302号線供米田二丁目交差点北西角)

TEL:0120-34-1318 営業時間AM9:30~PM8:00

きずな工房の支援員さんによるブログもぜひご覧ください。

七ヶ浜町きずな工房ブログ→ http://kizunakoubou7.blog.fc2.com/

東日本大震災から2年を迎えて

東日本大震災から2年を迎えて

特定非営利活動法人レスキューストックヤード

代表理事 栗田暢之

 全世界を震撼させた大災害から2年の月日が流れた。震災当初は、いったい何からどのように始めればいいのかさえわからないと誰もが思ったほど、未曾有、広範囲、複雑(特に原発事故)な災害である。当法人としては、5年前から賛助団体会員のご縁があった宮城県七ヶ浜町社会福祉協議会からの要請を受け、七ヶ浜町災害ボランティアセンター(当時)に隣接する場所に、当法人の拠点となる「ボランティアきずな館」を設置し、延べ3千人のボランティアを名古屋から送り続けるなどの活動を継続している。また、阪神・淡路大震災を機に設立した「震災がつなぐ全国ネットワーク」と日本財団ROADプロジェクトとの合同で、足湯ボランティアを送り続け、これまでに1万5千人の足を温め、被災者の生の声に耳を傾けてきた。また全国のNPO・NGO、企業等850団体が集う「東日本大震災支援全国ネットワーク」や愛知県に避難されている人々を支援する「東日本大震災被災者支援ボランティアセンターなごや」「愛知県被災者支援センター」の設置・運営にも参画してきた。

 

「震災から2年」ということであるが、個人的にはあまり実感はない。むしろあの日以降時間だけが慌ただしく過ぎ去り、肝心の真の復興という観点からは、当方はあまりに力不足であり、むしろこれからより深く本質を貫いていかなければならないための「通過点」だと思っている。

 

被災者の現実はこうだ。「もう一生分泣いた。」とまた泣きながら語る子を失くした母親、「まだ海は見られねぇ。悪夢のようなあの日を思い出すから。」と訴える老婆、「何もかも全部流れてしまった。でも一からやり直すしかないんだ。」と気張る父親世代、「まだ好きな子はできない。だって(好きだった子が)流されちゃったんだもん。」とふさぐ小学生(男子)…。被災者の無念、苦悩、将来への不安は時間の経過とはあまり関係ない。むしろ一人ひとりの現実は個別化、深刻化、潜在化しており、決して震災当初の混乱期だけが災害ではないということ、そして、私たちボランティアが傷を癒すなどといったおこがましいことではなく、単純に「忘れない」「ずっと交流を保ち続ける」ことが大切だと考えている。この意味で、3年目の当法人の支援活動はこれまでと遜色ないものにするつもりである。そしてこれまでの「顔見知り」の関係から、一人でも多くの「親友」を創りたいと願っている。なぜなら、たとえ遠く離れていても、親友はその存在だけで安心につながり、頼ったり頼られたりする関係がずっと続くと思うからだ。

 

一方で、原発事故によるもう一つの惨事を決して忘れてはならない。ある集会で「私たちは被災者ではなく被害者です」と言われた方があった。あの日より前は、普通の幸せをいつも通り送っていた市民に、突然得体の知れないものが降ってきて、そもそも降ったか降らなかったのか、その正体は何なのか、またどのくらいの量なのかなど、正確な情報が伝わらなかったことに加え、政府は「今すぐ健康を害することはない」との発言を繰り返すだけである。有識者や専門家の間でも見解は分かれ、結果として何を信じていいのかさえわからないといった現実が今なお続いているのである。「外の空気、水道の水、靴についた泥、おじいちゃんがいつも通り持ってきてくれる野菜、宅配便、来客…、すべてが恐かった。」と。そして避難した方は「私たち親はいい。でも子どもたちが何年後かに癌になる可能性が否定できないなら、今避難することを決心しなければ後悔すると思った」と慣れない土地への引っ越しを決意した。一方留まる方は「なぜ避難しないのかと言われることが一番つらい。お金もないし、行く宛てもない。」と葛藤の胸中を明かす。つまり、留まる人、避難する人にかかわらず、この課題を背負っているすべての方の「それぞれの選択」をまずは尊重すべきだということ。国や東電からの賠償や暮らしの補償は当然のことながら、何より大切なことはこの問題に他者が「無関心」であってはならないことだ。「福島の問題」ではなく、「日本全体の最重要課題」なのだということを認識し、一緒に考えることが大切である。

いずれにしても、東日本大震災は現在進行形の災害である。これまで当法人への有形・無形のご支援・ご協力に心より感謝申し上げ、引き続き息の長いご支援・ご協力・ご助言を賜りたく、今後ともよろしくお願いいたします。

■PDF版はこちらからダウンロードしてください「東日本大震災から2年を迎えて」

宮城県七ヶ浜町報告【第119報】ボランティアバス58陣活動報告

皆様

お世話になっております。RSYボランティアきずな館 郷古です。

今年1月に活動したボランティアバス58陣の活動報告をさせていただきます。

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年が明けてからの初ボランティアバスとなった58陣。
活動した二日間はとても寒く、大雪の降る中での活動となりました。

活動日一日目は、ボランティアセンターでの活動です。
この日の活動は、本来であれば個人宅の瓦礫撤去・整地の内容でしたが、
大雪のために延期とし、通学路の雪かきを行いました。
雪かきというよりは氷取りに近いカチコチ状態で、「つるはし」まで登場しました。

時折通られる方々の「ご苦労様」、「ありがとう」は本物です。
日の当たりの悪い道は、除雪だけでは夕方から凍ります。
根本の氷から砕き、取り除かなくてはなりません。
力と道具がないとここまでの「雪かき」はできません。

最後に除雪剤をまいて、完了!
この道はお日様は照らさなくても、ボランティアさんたちは照らします!

 

そして、翌日は七の市商店街のイベントのお手伝いでしたが
昨晩降った大雪で、とても開催できる状況ではありませんでした。
しかし、「楽しみにしているお客さんがいる」「中止のアナウンスはどうする?」、「出展者の方々はこの日のために準備してきている」などの情報を元に【開催できる会場を作るために】朝06:30から雪かきを始めました。
最初は「開催はやめよう」との声が大きかったのですが、雪かきするボランティアさんを見て、商店街の店主の皆さんを始め、他のブース出展者、商工会、役場の皆さんも手伝ってくださり朝08:00のスタートに間に合うように会場ができあがりました。

雪も降り止んだせいか、
「あんだけ雪が振ったのに、イベントやってる!すごい」、「中止の案内が放送されなかったから、来て見たよ。」
と、お客さんも普段とは少なめですが、続々と来場。雪かきやって良かった!

イベントの中で58陣は無料試食(甘酒やおしるこ、チョコレートフォンデュ)の配布のお手伝いや、お買い物でちょっと一息する方々へ飲み物を振舞う「おしゃべり喫茶店」の運営をしました。朝にかいた雪は、子どもたちの遊び場となっておりにぎやかな商店街となりました。

 

 

お昼を過ぎてお昼の13:00になりました。

長蛇の列が・・・。お客さんはこれを待っていた。
七の市商店街独自のイベントである「お楽しみ抽選会」です。
な、ななんと・・・今回は景品がなくなるまで引いて構わない、大盤振る舞い方式。

(一回引いてはずれた場合、列の後ろへ並びまた順番が来たら引くことが出来る)

ホテル宿泊券や電気毛布、プリンター、長野県のりんごなどが当たります。
「やったー!ホテル宿泊券当たった!誰と行こうかなー」
「りんごが欲しい。りんごりんご当たれ・・・・・・・いや、まさか本当にりんごが当たるとは(驚)」
「あーまたはずれだよー。俺3回目なんだけどー(笑)」
とにぎやかな声が聞こえます。58陣は商品渡し係りとなりお車まで運んだりしました。

あっという間の2日間が終わり、振り返りの時間で58陣参加者の声を聞きました。

・「仮設店舗のお魚屋さんの佐藤さんが「ボランティアの人たちの顔を見て話してふれあうことが嬉しいし、励みになる。店をやっていて良かったと思う。」という言葉を直に聞き、私も勇気をもらいました」
・「復興といっても地域によって差があることを知りました。地域の方が何を求めているのかを正確に聞き、それに沿った活動をしていきたい」
・「前に来たときは別のバスツアーで来たのですが、瓦礫撤去のみやって帰ったんです。こうやって実際に地域の皆さんと直接お話をして、実際のお話を聞くことは大事だと思います。こういったことを今後とも継続していきたい。」
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ボランティアさんに会いたいと思っている人がたくさんいます。
「もうボランティアさんは来ないのかな。全然見ないねぇ。さびしいねぇ。」
と殆どの人が思っています。
「自分たちで歩き始める時期だから頑張る!って言っていても、こうもパタッといなくなってさびしく思えるのは心のどこかで頼っていたんだよね。」
ボランティアの皆さんは確実に七ヶ浜の皆さんを支えています。
直接しゃべっていなくたって、その頑張っている姿を見ている、聞いている人たちはたくさんいます。

もちろん、現地に行きたくても行けない「遠くから支える人たち」とも会いたいと願っている皆さんもいます。
「愛知県から届いた寒中見舞いのはがきをもらってそれから文通するようになったの。会ったことないけど友達だよ。」
「このマフラーとってもふかふかで毎シーズン使わせてもらってるんだよ。編んでくれてのは確か長野県の人だったかかしら。ありがたいねぇー。」
などなど声をいただいています。

私たちができることはなんでしょう?本当に必要なことは何なのか?

実際に生活している地域の皆さんの意見を聞いて、一緒に考えていきたいと思っています。

東日本大震災から間もなく2年・テレビ放映のお知らせ

みなさま
いつもお世話になっております。RSY事務局です。
東日本大震災から間もなく2年ということで、テレビや新聞などでも関連ニュースが取り上げられる機会が増えています。
RSYにも2月頃より問い合わせが増え始め、活動を通じて私たちにお伝えできる事はきちんとお伝えし、この震災を「忘れない」という意思を多くの人と共有するべく各取材をお受けしてきました。
テレビ放映の予定は以下の通りです。どうぞご覧ください。
■■—————————————-
【1】 3月8日(金)NHK総合/17:05~17:54
   「忘れない未来のために~東日本大震災から2年~」
   生放送に代表理事の栗田が出演します。七ヶ浜の今の様子も放映されます。
   ※詳細はこちら:https://www.nhk.or.jp/nagoya/shinsai/
【2】 3月11日(月)NHK総合/番組内13:30~15分程度
   特集「明日へ -支え合おう-」の中で足湯ボランティアとつぶやきについて取り上げられます。
   ※詳細はこちら:http://www.nhk.or.jp/ashita/bangumi/
【3】 3月13日(水)NHK総合/4:20~、Eテ/13:50~
   「視点論点」に代表理事の栗田が出演し『「忘れない」に取り組む』のテーマでお話します。
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きずな工房商品を名古屋事務局で販売中!

みなさま

RSY事務局です。

名古屋事務局のヒヤシンスが間もなく花を咲かせようとしています。いよいよ春が近づいてきました。

 

 

さて、今日は名古屋事務所で販売している商品についてご紹介したいと思います。

まずは、宮城県七ヶ浜町・きずな工房の商品についてです。

■きずな工房ブログはこちら

http://kizunakoubou7.blog.fc2.com/

 

イベントでの販売の他、2月下旬より名古屋事務局内でも販売をしています。お立ち寄りの際はぜひお買いものをお楽しみください。

ただいまのディスプレイは、お雛様飾りになっています。(3月3日は過ぎてしまったけれど・・・!)この素敵なディスプレイはボランティアさんが折り紙などを使って作ってくださいました。繊細さに拍手です。

写真の素敵な貝雛は残りあと2つ!ひとつひとつ手作りの味わいがあります。(1,500円で販売中!)

★今お買いものしていただくと、嬉しい特典があります!

先日ボランティアバスに乗って、七の市商店街の2013年のカレンダーが届きました。七ヶ浜のきれいな浜の写真が載っているこちらのカレンダーを、工房商品をお買い求めいただいた限定12名の方にプレゼントしたいと思います!

最後に、「はまぎくサブレー」のご案内です。

「はまぎく」は10~11月に七ヶ浜の海岸一帯に咲く白い花で、町の花として町民の皆さまに親しまれています。

「はまぎくサブレー」ははまぎくの形をしていて、ゴマの風味がきいた素朴な味わいです。

1枚100円で販売していますが、10枚まとめてであれば800円でお買い求めいただけます。

こちらもぜひどうぞ!

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「七ヶ浜町きずな工房」は、様々な方からの様々なご支援にて運営を続けています。

2012年12月7日でオープン1周年を迎えました。しかし、震災から1年半が過ぎると、復興グッズというものが忘れさられる時期がやってきます。現在でも、新しく利用を始める方がいらっしゃり、まだまだ「ものづくりの場」は必要とされており、皆様のお力を必要としています。

売上は、運営費、材料費、作り手さんのお給料として、すべて七ヶ浜へ還元される仕組みです。

また、お仕事だけではなく、趣味の物を作ったり、みんなでお出かけをしたり、他地域でものづくりをしている人たちと交流会をしたり…といった時間も楽しむための費用になっています。