皆さま
お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。
震災から2年半が経過しました。
仮設住宅での暮らしも二年以上が経過したこととになります。
高台移転地や災害公営住宅の整備が計画として進むも先の見えない「不安」が住民の皆さんに重くのしかかります。
「いつまで仮設にいるんだろう?」
「どっち向かって進んでいけばいいのか?自分のことだけやってればいいのか?」
時間が経てば経つほど、不安も大きくなります。なかなか見えない’復興’。。。
七ヶ浜町の今の’つぶやき’をお伝えします。
つぶやきからは被災者の様々な現状を聴くことができます。
震災の記憶、生活の現状、家族について、主だった内容をトピック別に分類してご紹介します。
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【仮設をめぐる生活環境】
まだ暑いねぇー。こっち(仮設)に移動してからクーラーを使わないと熱くてねぇー。
昔は扇風機もいらないくらいだったんだけどね。でも、仙台と比べるといくらか涼しいねぇ。
(60代/女性)
7年間、犬を飼ってたんだけど仮設では飼えなくて今は知らない人のところで飼われているんだ。
犬を譲り受けた家の人も教えてもらえていなくて寂しい。
(50代/女性)
私はこの仮設が嫌いなの。同じ部落の人がいないから。親しい人がいないの。
同じ部落の人たちは別の仮設にいるの。
(60代/女性)
やっぱり、仮設住宅は狭いよなぁ。でも仕方のないことなんだ。
こうやって入れられて、全部やってもらってさ。本当に申し訳ないよ。ありがたいよ。
俺は寒がり、あいつ(奥さん)は暑がりで、クーラーや扇風機のことですぐ言い合いになる。もうひとつの部屋は荷物でいっぱいなんだよね。
(ベランダ前の家庭農園のことを話したら)「これ」賑やかだろう?すごいおがったんだぁ。(おがる=成長するという意味)
見てくれは悪いけど、うまいんだよ。もってけ、食うべ?トマトはもうちょっとだなぁ。
(70代/男性)
ここの仮設は二重窓で音も響かないから良いね。若い人が少ない。家族連れはみんな仮設を出て行っちゃった。
(50代/男性)
【津波】
震災の時は避難したのに津波に飲まれてしまった。若い時はたくさん働いていたから体が動いてなんとか逃げれたのさ。
(70代/男性)
最近仕事をしていて左手の親指の側面が痛い。仕事へは隣町まで車で通っているんだ。
津波の時は車が2台流されたのよ。本当に大変だった。
(50代/女性)
震災でね、全部なくなったの。だからここ(仮設住宅)に住んでるの。
津波で流されたときにね。大学4年生の男の子が助けてくれたの。そうじゃなきゃ、私はここにいなかったわ。
(60代/女性)
ここに私の家があったんだよ。(一緒に自宅の跡を通った時)みーんな流されちゃった。家が残った人はいいよねぇ。
私は前の家のローンがあるし、災害公営住宅さ入るしかない。
(津波の被害を受けていない地区を通った時)ここはいいなぁ。立派な家があって。
(60代/女性)
【ボランティア】
いつも来てくれて本当に嬉しい。いつも来てくれているから顔は覚えてるよ。
もっと他の人も足湯に来てくれるといいんだけどな。雨だから来ねぇのかなぁ。
(80代/男性)
【やることがない】
毎日ここ(集会所)に来ているんだ。家にいても何もやることがないからね。
みんなでいれば楽しいよ。
(50代/女性)
【足湯】
足湯さ来るの休んだこどないよ。うんと楽しみにしてるんだわ。
(同じ仮設の集合体の一員である)Sさんとは旦那の友達が一緒だったから震災前から今でも友達だもの。
(60代/女性)
【近隣・友人】
仮設に今空きはないの?もう一度仮設に入れないかな。役場に言ってみようと思ってるの。
※自立再建された方で、近所に知人・友人がいない。
(50代/女性)
【医療・健康・介護・福祉】
今、精神科に通っているんだ。三ヶ月の避難所生活で精神病になったんだ。
それで途中、避難所を抜け出してガレキを組み立ててこやで二週間生活した。
(40代/男性)