気まぐれ穴水巡り記 その1

松田です。RSYの一員となり3ヶ月経ちました。ここのところ金曜日に穴水町を訪れる週末が続いています。
今も穴水町では被災家屋の取り壊しや建て替えが少しずつ進み、また仮設住宅での暮らしも続いています。地元の方々は次なる支援について真剣に策を練っておられます。
もちろん、被災地である穴水町には今後も継続的な支援が必要です。ただ、毎週穴水の方に良くしていただいている身として町の違った一面も紹介したいと思い、ブログに綴ることにしました。写真の腕が恐ろしく悪いのですが、ぼちぼち技を磨いていきますので、見てやってください。穴水には素敵な「人」もたくさんいますので、そのうちカメラに収めてきます。
なお、RSYが事務局をつとめる「震災がつなぐ全国ネットワーク」では、能登半島地震の被災地を中心に、美しい奥能登の風景を集めようという計画も進行中です。(実現するかはまだ未定ですが) 私も新潟中越地震のときに棚田の風景をテレビで観て、あんな風景が日本に残っていたことに驚きました。能登も捨てたものではなく、あの農村風景とはまた違う魅力的な景色が至る所にあるんです。能登半島地震が忘れられないうちに、私が中越で感じたような驚きを多くの方に持ってもらうことも、息の長い支援につながるのだと思います。
前置きが長くなりましたが、今日は3枚紹介します。


大町の運河
奥能登への入口として栄えた穴水は、かつて海運も栄えていました。大町の運河には今もいくつもの小橋が架かっており、川沿いには商店や蔵が並んでいます。中には地震で取り壊された家屋もあるのですが、黒い屋根の家々は静かな運河に浮かんでいるようです。
中居の入り江
中心部から山をひとつ越えた中居という集落の入り江です。ボートが規則正しく並べられています。以前ボランティアセンターで、「定年後は暇を見つけては船で穴水湾をクルージングしているんだ」とおっしゃる紳士に出会いました。
ぶどう畑
穴水では町をあげてワイン生産が進められています。南側に広がる斜面にはこのような広大なぶどう畑が広がっているんですよ。私はここへ辿りつくのに一度迷いました。それほどひっそりと広がっているんです。(工房の人に聞けばすぐ連れて行ってもらえるみたいですけどね。)
それでは、また。まつだでした。