阪神・淡路大震災から13年

清野です。
昨日、阪神・淡路大震災から13年目を迎えました。
名古屋からは、RSYスタッフほかボランティアの方々で、神戸を訪問しました。
震つな神戸事務局のある被災地NGO恊働センターの慰霊観音様の前で震災と同時刻に黙祷をささげました。僧侶でもある栗田は、読経を行い、私たちは亡くなられた方々への追悼の思いを新たにしました。080117kobe2.JPG
毎年、恊働センターでは、当時神戸で活動した震災ボランティアや防災関係者が集い、温かいぜんざいをいただきながら、当時の話や近況などの話題に花を咲かせ、再会を喜びます。
さらに今年は、能登や中越から住民の方々が、恊働センターを訪問され、観音様を参拝されました。その後、追悼行事や仮設住宅などを訪問され神戸の住民の方々と交流をはかったようです。
夜には、竹下景子さんが10年前から続けておられる追悼行事である詩の朗読会に参加しました。
会には、以前愛知県に県外避難しておられ、現在は神戸市内の復興住宅にお住まいの西田敏子さんも来てくださいました。朗読会が始まる前には、特別に楽屋へ通していただき、竹下景子さんと少しお話をすることができました。気さくにお話をしてくださる竹下さんに一同感激でした。


また、震つなメンバーであるハートネットふくしまでは、キャンドルを灯し追悼行事を開催。震災の翌年から、毎年続けておられるそうです。ネットに配信された記事を下に転載します。
今回、清野は新長田の灯りイベントを少しお手伝いしたのですが作業している時に、通りすがりのおばちゃんから、「これ何のイベントしてんの?」と話しかけられました。住民の方からそうした言葉を聞き、少し驚きましたが、忘れられるということは、今が幸せだということなのかもしれないし、そうだといいと思いました。
また現在就学中の小学生は全員震災を知らない世代ということで、神戸市内の小学校では、今年から学校側が積極的に追悼行事に参加するようにしたとのニュースをラジオかテレビで聞きました。
一方で、能登半島地震や中越・中越沖地震を経験された住民の皆さんが、神戸を訪れたりと、被災地のリレーが確実に受け継がれている一面もありやはりKOBEが持つ発信力は、13年経った今も大きいと感じました。
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ネットで紹介されていた記事を転載します。
◆【阪神大震災13年】輪島と新潟の被災者 神戸に感謝
1月17日12時41分配信 産経新聞
 「お世話になった神戸にありがとうが言いたい」。昨年3月の能登半島地震と平成16年10月の新潟県中越地震の被災者が17日、神戸市中央区の東遊園地で開催された「阪神淡路大震災1・17のつどい」に参加。支援を受けたことへの感謝と、震災犠牲者への追悼の思いを届けた。
 訪れたのは能登半島地震で被災し、石川県輪島市山岸町の仮設住宅で区長をつとめる藤本幸雄さん(53)と、中越地震の被災地・新潟県川口町の住民ら約20人。
 能登半島地震では、神戸に拠点を置くボランティア団体などが能登に駆けつけ、生活用品を届けてくれた。今も「仮設住宅は寒いでしょう」と神戸の学生ボランティアが足湯を届けてくれる。
 藤本さんは石川県に指定された生活援助員として48世帯91人が住む仮設住宅の朝昼晩3度の見回りを毎日欠かさない。「調子はどうや」「おはよう、頑張っとるか?」。何気ない声かけが連帯感を作る。これも被災地・神戸からの教訓だ。「孤独死」の防止やコミュニティー作りなど、神戸のノウハウから学んだことは数多いという。
 「自分が被災するまでは神戸のことをこんなに身近に感じたことはなかった。自然災害はいつどこで起こるかわからない。どこかで必ず生まれる第二、第三の輪島の役に立ちたい」
 川口町の住民らは、西宮市甲子園口の市営住宅集会所も訪れ、被災者と交流。復興住宅での生活などについて語り合った。川口町の無職、阿部義夫さん(64)は「みなさんの笑顔をみて励みになった。元気をもらって帰ることができます」と話していた。
◆阪神大震災13年:輪島・山岸仮設住宅の藤本区長
「家族愛」の文字に涙 /石川
1月18日15時0分配信 毎日新聞
 ◇復興への決意新た
 阪神大震災から13年を迎えた17日、能登半島地震で被災した輪島市の藤本幸雄さん(53)が、仮設の住民に託された千羽鶴や「ミニわらじ」を手に、震災後初めて神戸市を訪れた。発生時間の午前5時46分に、同市中央区の東遊園地で黙とう。「生かされた者として頑張っていく。それが亡くなった人たちへの心からの冥福」と誓った。【武井澄人】
 藤本さんが区長を務める山岸仮設住宅には48世帯91人が暮らす。うち55歳以上が約3分の2を占め、独居世帯も10軒ある。藤本さんは朝昼の見回りに加え、夕方には約1時間以上かけて全世帯の住民に声をかけている。自室で倒れていた高齢者3人を見つけ、命を救ったことも。励みは神戸の被災者が支え合う姿だった。自分には何ができるかを考えた時、「孤独死は絶対に出さない」と誓ったという。
 仮設での生活で被災地同士のつながりもできた。神戸市兵庫区の被災地NGO恊働センター(村井雅清代表)が届けてくれた象型のタオル「まけないぞう」や、大学生ボランティアの足湯サービスに住民は癒やされた。「無事年を越せたら一度訪ねたい」との思いを強めていたという。
 この日、夜明け前の東遊園地で竹灯ろうに火をともすうち、藤本さんは「家族愛」と書かれた1本に目を留めた。強風で消える火を何度もつけ直すうち、涙があふれ出た。「能登の仮設の一人一人も神戸で震災に遭った人たちも、みんなが家族」。ゼロから築いてきたきずなを再確認し「本当に、ここへ来てよかった」とつぶやいた。
 輪島での生活再建はまだ緒についたばかり。藤本さんは「13年でここまで復興した神戸はすごい。私たちはこれから。負けてはいられません」と思いを新たにしていた。<1月18日朝刊>
◆阪神大震災:キャンドルともし犠牲者を追悼竏停・郡山・開成山公園 /福島
1月18日13時3分配信 毎日新聞
 阪神大震災から13年の17日、郡山市開成の開成山公園で、犠牲者を悼む「追悼の灯り」があった。市民らが約700本のキャンドルをともし、黙とうをささげた。
 郡山市のNPO法人「ハートネットふくしま」が、震災の翌年から毎年実施。この日、午前4時半からスタッフがキャンドルを「1・17」とハート形に並べ、火をつけていった。地震発生時刻の午前5時46分には、被災地の方角に向かい1分間の黙とうをした。毎年参加している同市大槻町のスタッフ、永田壮三さん(73)は「震災を忘れず、災害に対しいつも心の準備をしておきたい」と話した。【今村茜】1月18日朝刊