「ご報告」中国四川大地震パンダタオルプロジェクト第4回現地報告会

皆さま
いつもお世話になっております。
昨日8月10日(月)「中国四川大地震パンダタオルプロジェクト第4回現地報告会」が、名古屋国際センターで行われました。
台風が接近してきているという天気予報、また被災地の風化が課題としてある中、今回の報告会に来てくださったのは、約25名。今までに3回の現地報告会を開催してきました。1回目の報告会では、約100名の参加者がありましたが、2回目約40名、3回目約40名、そして今回は約25名と、今まで以上に参加人数は少なめでした。これが現実かとは思いますが、震災から1年3カ月を迎えようとしている今でも、被災地の状況が知りたいと参加者の一人ひとりの思いは強く、またパンダタオルプロジェクトが始まった当時から関わってくださっている方、今後一緒に活動を行っていく大学生、遠方から足を運んでくださった方などが集まってくださいました。
今回は、常務理事浦野が7月11日~14日に行った現地訪問の報告を中心に、コメンテーターに渥美公秀さん(日本災害救援ボランティアネットワーク理事長)をお迎えし、コーディネーター代表理事栗田が行いました。浦野の活動報告後には、参加者で5、6人のグループをつくり、感想やこれから私にできる支援について、意見交換を行いました。
今回約400個のパンダタオルを届けたのは、北川県香泉郷光明村、綿竹市遵動鎮棚花村、什驍。市高齢者施設でした。今回の訪問で、パンダタオルプロジェクトの活動内容や活動報告を載せた中国版のパンダ通信、「熊猫通信」を作り、一人ひとりにパンダタオルと熊猫通信を手渡ししました。
「北川県 香泉郷光明村の報告(浦野)」
CODE海外災害援助市民センター(以外CODE)が支援に入っている村で、耐震性高い木造建築で家を再建している。造りかけの家がまだあった。ここでは、パンダタオルを20個~30個配ることができた。現地の方は、「当時は揺れがひどく、とても怖かった。しかし、多くの方が助けてくれた。CODEの方がとてもよくしてくれた。」「夫の職がなくなり、自分が働かなくてはいけない。これからここで、カーテン屋をやっていこうと思っている。」と話す方もいた。またパンダタオルを見て、つくり方を勉強したいと言ってくださる方もいた。今回2回目の現地訪問ができたのは、中国で活動をしているCODEの方がいてくださったことがとても大きい。知ら突然現地に入っていたら、現地の方は受け入れてくれなかったと思う。
「コメント (渥美さん)」
浦野さんの笑顔は本当にすてきだ。僕にはできない。CODEがやっていることは、そこにいるという意味ではなく、光明村の人一人ひとりの名前を知っていて、一人ひとりと関わりがつくれているということ。CODEがやっていることは本当にすばらしいと思う。
「什驍。市 高齢者施設の報告(渥美さん)」
ここでは、300個くらいのパンダを渡すことができた。ここは、私が以前訪問したところ。パンダタオルを実際に配ってみたが、メッセージをじっくり読んでくださった。今回は、復興の現状を知ることができた。対口政策により建てられた老人ホームは、とてもきれいで立派であった。しかし、支援の対象とならなかった施設は、今だ補修の手が入っていない場所もあった。同じ被災者、被災地なのに、これでいいのかと正直思うが、中国のやり方があるので、私たちからは口を出すことはできない。
「綿竹市 遵動鎮棚花村の報告(浦野)」
ここは、住民約1200名のうち40名が亡くなられいる場所。また家屋の倒壊率がとても高い。年画(壁に書かれている絵の名前)が有名で、江蘇省から支援をしてもらっているが、耐震はよくない。子供や高齢者のいる20世帯くらいを回った。お会いした年配の女性は、「あのときはすごく怖かった、また起きたら怖い」「自分の子供もろくに来てくれないのに、わざわざ日本からよく来てくれた。」と涙を流された。ここでも、メッセージカードや熊猫通信を熱心に読んでくれた。日本から来たことを好意的に受けとめてくれた。
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「旧北川県城の報告 (浦野)」
地震後、大雨が降ったため、被害が拡大した場所。このまま残し、今後観光地とする予定。死者やいまだ瓦礫の下敷きになり埋まっている人々をともらう石碑があり、ひとつの観光スポットとなっている。被災地の近くには、テントが並んでいて、写真集やDVDが売っている。
「コメント (渥美さん)」
観光地化をしようとしているところには、まだご遺体が埋まっている。もともと墓地があったところに、テントを建て、私達も立っていたのである。被災地が観光地化していることに対して、中国の政策だから、私達は何もいうことはできない。この地域は、離れた場所にお金をかけて、新たなまちづくり、もともといた住民たちは本当に移住するのだろうか。安県に新しいまちを作り直している。それが、新北川県城である。それが本当の復興なのだろうか。
「北川県 豎カ川(チャン族の集落など)の報告(浦野)」
もともと少数民族が住んでいる地域で、住宅の大部分が大きな被害を受けた。文化建築や、刺繍が有名であり、国が観光地化をねらい支援している。
「コメント (渥美さん)」
この地域にもともと住んでいたチャン族は、国が建てた分化建築の家に無料で入居している。今は無料だが、観光で得た収入からいずれ返すということになっており、いつ政府に返金をせまられるかわからないことが不安のようだった。とはいえ、立派な居住場所と仕事があたえられている。この状況を他の少数民族と比較してどう思うかを尋ねたが、十分な返事は得られなかった。観光地化をすることで、被災地の復興格差が生じるのではないか。
浦野より、今後の予定が提案されました。
活動については、10月下旬に光明村のお祭りの時期に大学生とパンダタオルプロジェクトに関わっている方々と一緒にパンダタオルを届けに現地へ訪問、11月には第5回現地報告会の開催、来年3月には、減災の知恵と体験の交換と題して、日中の減災対策の推進、交流を深めたいと思っていると話されました。今後の現地活動報告の実施は、『株式会社ラッシュジャパン「LUSHチャリティバンク」助成金事業』として実施するとのことです。
また今回は多くの方々から協力していただきました。
以下協力者一覧
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・NPO法人日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD):パンダタオル・通信配布同行
・CODE海外災害援助市民センター:現地コーディネート・通訳
・JAL日本航空:航空券の手配・パンダタオル運搬費負担(中部国際空港→上海間)
・財団法人名古屋国際センター:熊猫通信・メッセージカード中国語翻訳
・パンダタオルプロジェクトボランティア:パンダタオルの作成
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最後に浦野からは、「実際に行ってみないと分らない。国からは、住宅再建など、ハード面での支援は行われているが、被災地は発災直後の地震の揺れの恐怖感をまだひきづっていると感じた。気持ちの面でのサポートは弱いと思う。今までは現地にパンダタオルを郵送して送ることを考えていた。しかし実際に行ってみて、一人ひとりに手渡しすることに意味があることを実感されたということです。また、私はただパンダタオルを届けただけで、パンダタオルを作るところから関わっている方たちの思いを届けただけだ。今回現地の方と話すなかで、心の支援はできたのではないかと感じる。」と話した。
また、渥美さんからは、「今回国家体制、制度について報告させていただいた。思いをはせ気持ちを伝えるということは本当に大事だが、日本の考え方と、中国の社会は違うということも知っておくことが大事だと思って話をさせていただいた。今回の報告会にお招きいただいて、パンダタオルの力を感じました。震災後2年、3年と見据えて、これから何ができるのかを考えるのかを考える時期なのではないかと思います。また今回は私は、現地へ行くといういいとこどりをしているようなものです。みなさんの今日出してくださった意見を少しでも反映し、今後に生かしていけるように余禄ながら協力させていただければと思います。」とコメントを頂きました。
参加者からの感想は、「自分は現地へいくこともできないし、裁縫も得意ではない、何もできないじゃないかと思った。しかしそうではなく、できることはあると思うきっかけを作ってくれた。」「中国の現状をしることができた。被災地を観光にするということは、日本では考えられず、スケールが多いと感じる。」「中国の人はたくましい」「観光地にするのは納得がいかなかった。」「大学生で、お金はないが多くの時間はあるので、有効に使っていきたい」「これからも多くの場所で、パンダタオルプロジェクトのことを広めていきたい」などでした。
柚原からですが、今回みなさんが参加してくださったこと、足を運んでくださったことに本当に感謝いたします。多くの方に知っていただくことはすごく大事です。しかし25名という方々の思いは人数に負けないくらい、強く、そしてこの気持ちが中国へきっと届き、またこの活動が細々ですが続いていくことの意義をきっと多くの方が理解してくださる時がくると希望を持てた日でもありました。
みなさんの一人ひとりの気持ちをしっかりと受け止め、今後の活動をもっともっとよいものにしたいと思います。また今回の報告会では、みなさんからの感想や意見交換の場で、力強いご感想をいただき、応援・主体的に関わってくれる人たちがいることが分かり、またそれが心づよく感じました。中国の方がどんな思いで今も生活しているかということを考える機会を私にもう一度与えてくださったことに感謝いたします。