ここワシントンDCでは、車椅子の方をよく見かけます。
1日数回は必ずすれ違います。
歩道を電動車いすでまっしぐらに進む人もいれば、自分の体にぴったりと合わせた手動の車いすで、坂道を一気にこぐ姿などもあります。
このような方々のほとんどのケースが介助者がいないというパターン。
一人でもある程度行動できるまちの作りや人の動きになっているのです。
私の渡米前の情けない骨折経験からすると、日本で(名古屋で)車椅子生活を送る場合、地下鉄でも、スーパーでもどこでも大体介助者の手が必要になります。でも、DCの場合、まず地下鉄のホームと車両の間に段差がないため、日本のようにいちいち駅員さんにスロープをお願いしなくてもよいし、エレベーターも完備しています。
道路はぼこぼこの場所も多いけど、路の切れ間には必ずスロープがついているので移動はスムーズです。日本の場合、スロープがあるところと無いところがあるため、ちょっとした段差で先に進めなくなるのではないかという恐怖感がいつもあります。
また、辛そうに坂道を上がる人を見つけると、必ずどこからともなく人がやってきて手伝います。今日もバスに乗ろうとしていた車椅子の方の周りに4~5人が取り巻いており(みんな他人だと思われる)、「先に乗せてやれよ!乗りやすいところにちゃんと車を付けろよ!」など、本人の代わりに運転手に訴える声が聞こえました。
頼まれてもいないのにすぐ手を貸す。頼まれてもいないのにすぐ声を出す。これぞ、アメリカ式「おせっかい」の一つの形です。
地下鉄に高齢者が乗ってきたら、必ず若い人は早々に席をゆずります。私が今まで遭遇した中では、席譲り率は100%でした。そこに関わる全ての人が、ごく当たり前のこととしてやっているように見えました。(中には若い女性から席を譲られたおじいさんが、「レディーファースト」とい言って、かたくなにその席に座らなかったというパワーンもあったけど)。
日本だと、周囲の目が気になって恥ずかしい、かえって相手が嫌な気持ちにならないかしら、など深読みをするがあまり、なかなかここまでのオープンさはないのではないのでしょうか。もちろん双方にそれぞれ善し悪しはあると思いますが。。。。
でも、この光景にはいつも感心させられます。