宮城県七ヶ浜町報告【第160報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第10号](2014年4月1日~2014年4月30日)

皆さま

お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年4月号をお伝えします。
つぶやきからは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。東北の春は若干遅く、4月中旬が桜の見ごろでした。 

仮設住宅近くにも桜が植えてあり、仮設住宅の皆さんで集まって花見をしていたようです。
「今年も仮設で花見になったな。来年もがや?再来年もがや?」
皆さん笑いながら話していますが、「言葉通り」でいつになるのか分からない状態です。
仮設住宅の住民の皆さん個々でそれぞれ目標はありますが、
「仮設住宅から出て『高台移転して家を持つ/公営住宅に入る』」というのが、その人のモチベーションになっています。
町は高台造成工事にも力を注いでいますが、工事の進み具合を見ている住民の皆さんの中には納得ができていない人も….。
今の想いに耳を傾け、住民の皆さんのためにできることを。

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仮設住宅はこの時期(4月)でも寒くてねぇ、暖房つけてるの。
(手の指が)曲がっていてずっと痛いのよ。

(60代:女性)



震災のときはヨットハーバーの近くに住んでたんだよ。そこから近くのお寺に避難した。

またそこからヘリコプターに乗って役場の裏に避難したのよ。(ヘリコプターに)乗ったのは冥土の土産だね。
(避難したお寺は道がガレキでふさがれ、孤立状態になったためヘリコプターで脱出した。)
孫が3人でみんな女の子なのよ。(娘に)たまに散歩に連れて行かれてさ、この前は泉の方に温泉に入りに行ったよ。
将来は国際村のほうに高台移転するけど、まだまだかかるね。あと2年はここ(仮設)にいることになるかもね。

(70代:女性)


今は健康だよ。でも、血圧の薬を一錠飲んでるかな。
あとは息子がくれた「脳内核酸」という薬も。
これはボケ防止で広告に載っていたやつ。

でも一番のボケ防止はここ(集会所)で話すことな。

みんなと話すのがボケ防止になるよ。

(70代:女性)



やっぱり足痛ぇなぁ。痛くて(いつも将棋を打ちに行っている)公民館にも行けねぇし、すぐそこの野球場にも行けねえんだ。

木曜日に病院行ったんだ。4日にいっぺん行ってる。だから明日、病院さ行くんよ。
やっぱり身体のどこか悪いとおもしろくねぁな。背中と膝に注射打ってんだぁ。

(60代:男性)



今日はお兄さんたち(学生ボランティア)が来るから、息子が朝から張り切っていたのに今はぐっすり。
張り切り過ぎたみたいだね(笑)いつもみんなが来るのを楽しみにしてるんだよ。

(40代:女性)



この頃、体調が悪くてねぇ。原因は精神的なとこだよ。

家に居ても1人だから、(同じ仮設集合体内)お姉ちゃんとこに行ってるんだ。

ボランティアセンターに行くと、「ボランティアセンターに物を貰いに行っている」って思われるみたいなんだよね。
だから疲れちゃってね・・・。この頃行ってないのよ。

貰う時は「ここまで来れない○○さんの分も、もらってっていい?」って聞いてその人に届けてるんだ。

多めにもらったことなんてないよ。なんで、そんなこと言う人がいるんだろうねぇ。困っちゃうよね。

(60代:女性) ※仮設住宅訪問時



あがらいん。ばあちゃんとお茶っこ飲んでがいん~。
(※「どうぞあがって、私とお茶飲みしよう」の意)

足湯の時は、いつも声掛けしてもらってるね。ありがとう。

こうやって震災に遭ってだけども、日本に生まれてきて良かったってすんごい思った。

たっくさん応援や支援を受けたでしょ?外国からも。

この日本だからこうやって、仮設にも住まわせてもらったんだ。ありがでえっちゃ。

この仮設(4畳半一間)に来た時に、すんごい感謝したよ。なにも無かったからさ・・・。

こうやってなんでもそろってるところに入れてもらったんだ。感謝しないとだめだー。

またいつでも遊びさ来らいん。こうやってお話しよう。戸開けて「ばあちゃんー」って呼んでくれればわかるからー。

(70代:女性) ※仮設住宅訪問時



仮設住宅から出て、広い家に移ったけど友達と離ればなれになってしまった。

でも、最近仮設の集会所に来ていいよって日が作られたんだ。

「A浜の日」だったら「A浜に住んでいた人」、「B浜の日」だったら「B浜に住んでいた人」って感じ。

仮設住宅から出た人も来ていいから、元住んでいた同じ地区の人に会えるんだ。とっても嬉しい。

前からこういう会やったほうがいいって言ってんだけど、3年越しでやっとできたんだ。

(60代:女性) ※自立再建された方