【追記】宮城・福島県沖で発生した地震について

みなさま
お世話になります。RSY事務局です。
昨夜発生した地震について、RSYは直後からつながりのある方々への安否・状況確認に努めています。現在も断続的な揺れに見舞われており、住民の方々の恐怖感は計り知れません。幸いなことに、RSYが10年間拠点を置き、復興のまちづくりに関わってきた宮城県・七ヶ浜町は、現在までに家屋倒壊や火災、怪我等の情報はなく、皆さん「大丈夫」とのこと。ただ、海に近い災害公営住宅は、一部の場所で、ガスや水道が漏れたり、地盤沈下や建物への亀裂が見られているそうです。
また、愛知県の県外避難者のサポートをしている、愛知県被災者支援センターより、南相馬市に帰還された方へ連絡を取ったところ、「大きな揺れが2回あった。けがはなく無事だが、家の中はぐちゃぐちゃ」とおっしゃっていたそうです。
一夜明け改めて皆さんの様子をお聞きすると、余震への恐怖を抱えながらも、迷わず高台の避難所へ向かった子どもたちや、ご近所同士で声をかけあいながら支え合っている姿が見えてきました。
「3.11と同じぐらいの揺れだった」「とにかく長かった」と、口々に直後の様子をお話下さいます。私たちの他にも、それぞれにこの11年、被災地を気にかけ、つながり続けて下さった皆様が、メールや電話で声掛けをしてくださっていたようで、「ホッとできた」「元気が戻った」という住民の方も沢山いらっしゃいました。しかし、一方で気持ちの揺れ戻しが起こり、不安で一睡もできなかった方や、体調を崩した方もおられます。
以下は、RSYが聞き取りをした七ヶ浜町の住民の声です。
今後も引き続き、揺れへの警戒は続きますが、今一度、生の声から、自身の防災対策を見直す機会にして頂けたらと思います。
RSYは引き続き全国の仲間と情報交換をしながら、必要に応じて対応を検討していきます。
★とにかく頻繁に余震があり、怖くてたまりません。揺れ始めるとどんどん大きくなるイメージがあり、脚が震えます。落ちた物はたいしてありませんが、片づける気も起きず、早く夜が明けて欲しいです。揺れが少しおさまった後、家の中にいるのが怖くて、パジャマに半纏を羽織って外に出ました。パチッと電気が切れる音や、家がきしむ音が怖くて、ずっとしゃがんでうずくまっていました。町内には12カ所の地区避難所が開設され、避難している方もいたようです。(現在は津波注意報が解除されたため閉所)孫が仕事に行こうとする娘に泣きながら「いかないで」と訴えていたそうです。感受性の強い子どもは、こういう記憶が残りやすいので、後から私も様子を見にいくことにしました。これから連絡が取れず、気になる人の様子を見に行ってこようと思います。(60代・女性)
★ものすごく怖かった。なんで3月はいつもこんな風になるのか。家にあるものが少し落ちた程度だったので怪我はない。揺れてから玄関の扉を開けて出口を確保し、しばらく立っていた。津波は1m程度ということなので、高台にある自宅にいた方がよいと考え待機中。状況に応じて、より高台の親戚宅へ避難することも検討する。これから震度4ぐらいの余震がきっと続くと思う。朝まで寝られない。(60代・女性)
★棚に置いてあった電気釜が落下して破損。家の中のものがいくつか落ちた。災害公営住宅にいるため安否確認に回っていたところ、男性陣も出てきて協力してくれた。区長が避難所を開設。一部の住民が避難している。長く揺れていた。海が近いので、真っ暗な中の避難はかえって危険と判断し、しばらく自宅待機している。この住宅は海に近い場所にあるが、高齢化率が9割を超えるため、「どこにも行きたくない」とお年寄りたちが避難所になかなか行こうとしない。もしもの際は上階へ避難を促すなどの対策を取らなければと思う。(60代・女性)
★久しぶりに大きい地震が来てしまい、過呼吸が止まらず母に病院に電話をかけてもらった。海が近い災害公営住宅にいるので、高台にある地区の避難所に家族で行き、その後親戚の家に身を寄せさせてもらった。11年前の震災並みに揺れた。電話が繋がらず仲間の安否が分からなかったけど、RSYからの情報で無事が分かって安心できた。(10代・女性)
★大丈夫。かなりの揺れだった。津波の危険が高まったら、みんなで逃げるつもり。本当に怖かった。油断しないで気持ちを引き締めたい。(50代・男性)
★とにかく怖かった。長い揺れで、必要なものをかき集めようとしたけれど、パニックになって何もできなかった。外に出ようと思ったが、11年前の地震の時に、外に出た瞬間、瓦が落ちてきて地面に刺さったのを目撃し、その光景がフラッシュバックして動けなくなってしまった。でも、以前にRSYのプログラムをきっかけに親しくさせてもらっている能登半島地震の穴水町の方からも連絡をもらって、すごく安心できたし嬉しかった。(70代・女性)