お世話になっております。RSY事務局・清野です。
今日で、あの地震からちょうど2年です。新潟では、追悼記念行事なども各地で行われているようです。中越地震の際に建設された仮設住宅は被災8市町村あわせて3460戸、9/30現在で仮設住宅に住んでおられるのが、1672世帯です(一時入居を含む)。新居の完成を待っている方々もおられるのでしょうが、それでも半数近くの方々が仮設住宅に住み、入居の延長を申し出ている世帯も少なからずあるとの事です。
今年度末までに終えなければならない復旧工事は急ピッチで進められていますが、雪が降ることを考慮すれば、年末までには終えなければとの話も聞きました。また、急ピッチで進められるハードの復旧に、追いつかない住民の生活や心の復興も一方で心配されるところです。
震災後、地域おこしの動きがあちこちで始まりました。長岡市には震災から立ち上がろうとする住民、地域を支える中間支援組織「中越復興市民会議」があります。現在約10の集落に関わり、住民主体の復興を支援している団体です。
先日、中越復興市民会議で事務局長をしておられる稲垣さんのお話を聞く機会がありました。震災後、さまざまな取り組みの中でエンパワーメントされることにより、被災した住民(言わば支援される側)とボランティア(支援する側)の立ち位置が逆転していく様子を写真を交えて話してくださいました。集会所での催しを写した写真では、仮設入居当初に開催されたお茶飲み会のとき、住民の皆さんがボランティアにお茶やお菓子を出してもらって、話をしている様子が写っていました。時系列を追って写真を見ていくと、集会所で笹団子づくりが開催されたときには、住民のおばちゃんが先生で、ボランティアが生徒となり、みんなで作った笹団子をおいしくいただいたそうです。そして、笹団子づくりをボランティアに教えていたおばちゃんは、仮設から出た後、地域に視察に来た人たちを自宅に招きいれ、お昼ご飯を振舞いながら、ご自分の体験を語るということまでされているとか。
住んでいる皆さんにとっては当たり前な暮らしや文化が、よそ者が入ることで見直され、評価されることで、住民に自信を持たせ、元気にしたと、稲垣さんはおっしゃっていました。
私たちが川口町田麦山地区に関わらせていただいてから、約2年。田麦山の皆さんの絆やたくましさに学ばせていただいた2年でした。携帯電話もつながりにくくて、コンビニ行くのだって車で15分かかる場所。それでも、地域を愛し、誇りを持って住んでいる人たちがいて、よそ者の私たちだってなぜか、また行きたいと思わせる不思議でとても魅力的な場所、田麦山。便利さとは違う豊かさを教えていただきました。田麦山の住民の皆さんは、愛知の人に助けてもらったと言ってくださいます。でも、私たちは田麦山で沢山のものを頂いたと感じています。
地震という災害で辛い思いをされた体験は忘れられないでしょう。災害がきっかけの出会いではありますが、せっかく頂いたご縁。よそ者の私たちを受け入れてくださった田麦山の皆さんの懐の深さに感謝しつつ、これからも、新潟や田麦山の皆さんとのつながりを大切にしていきたいと思っています。