新潟県中越沖地震[第22報]

浦野です。お疲れ様です。11日より再び刈羽ボラセンに入りました。
被災地は、地震発生からもうすぐ1ヶ月をむかえようとしています。15日の仮設住宅のカギの受け渡しをきっかけに、20日には避難所が閉鎖されるなど、被災者の方々の生活状況も変化の時期を迎えています。
災害ボランティアセンターでは、「一人ひとりを見つめる」ことを意識しながら、避難所での子どものケア、高齢者支援、地域でのサテライトの実施など、きめ細かい対応を実施してきました。
下記には、被災された方々の声が載せてありますが、これらの声は、どれも、こちらから近づいて目を凝らしていかなければ見えてこなかったものです。私たちができることは、目の前にいる人の声に耳を傾けることしかできないかもしれませんが、その小さな『寄り添い』に、安心感を得たり、支えを求めている人がもっといるということを改めて感じました。
そして「声にならない声」に耳を傾け続け、その声に対して、できる限り丁寧な対応を行っていくために、このような『寄り添う』ことの重要性を理解した、もっと多くの応援団が必要であることを実感しています。皆様、ぜひ『寄り添いプロジェクト』にご協力をお願い致します。
[2007.8.11現在]


[被災された方の声]
■Aさん(女性):在宅の方
○「家の片付けが思うように進まない」「自分たちのペースで暮らしが立て直せない」
・仮設住宅の入居が8月15日から始まるが、り災証明の発行や入居の申し込みなど、期限に追いたてられる日々が続いており、それに対応するだけで精一杯の日々だった。
・ゴミの収集日が決められており、しかも大量なので仕事など休みを取って対応しなければならず、自分たちのペースで作業が進めにくく、さらにやる気が妨げられてしまう。
・片付けについては、ボランティアに頼んでいいと分かっているのだが、頼むまでの準備(例えばいるもの、いらものの選別など)が必要で、その作業を考えると、疲れてしまい自分たちでやろうと考えてしまう。
・ガスが通っていない地域では、入浴できないことがストレスになっている。8月10日にガスが出ると言われていたが、出るとも出ないとも連絡がなく、期待が裏切られた思いがした。それがストレスに。災害対策本部に問い合わせても、わからないと言われた。切り捨てられるような言い方で言われて傷ついた。せめて受け止めて聴いてほしかった。
○「もっと在宅にも光を当てて欲しい」
・避難所は、食事・物資・ボランティアのサポートなどあらゆる面で「満たされている、手厚さ、丁寧さがある」という印象を持つ。それから比べると、在宅では赤・黄紙であっても、不便な生活の中で自分たちで懸命に暮らしを立て直そうとしている人達がいるが、このような人達にはなかなか光が当たりにくいと感じる。「同じ被災者なのに、頑張っているのはみんな一緒なのに」と憤りを感じてしまう。
○「早く生活を取り戻したい。でも何をどうしたらいいのか分からない」
・全壊したところは、ゼロからのスタートのような感じがする。また、半壊や一部損壊でも食器が十分にそろっていない、などの状況がある。でも一方で余震でまた壊れるのではという不安や、家から距離のある店まで出向き、高いお金を出して買い揃えなければならないことなどを考えると、気力が失せてしまう。手の届くところに買いたいものがあれば。
・水やガス(まだ普通のところもあり)が通っても、買い物に行って、調理をして、盛り付けて・・・・といつも当たり前にやっていたことが、しばらく「家事をする」という状況から遠ざかっていたことで億劫に感じてしまう。気力が沸いてこない。
・心のケアの相談所は閉鎖。避難所も20日に閉鎖される。『もう終わり』というインパクトが強く、一つひとつこうやって支援を打ち切られ、どうすればよいのか、と不安に陥る。また、心のケア相談室がR避難所の2階に設置されたのだが、在宅の方の中には、「わざわざ出向いてまで話すまでもないかもしれない・・、話す気になれない・・、自分で何とかするしかない。」という声も聞かれていた。
・お母さんたちは、具体的にこれが不安だ、ということが説明できないが、「何か不安」という悶々とした気持ちを持っている。子供と一緒にお母さんたちが寄りあえる場所が必要。しかし、誰かの後押しがなければ自分たちからは作りにくい。
・「こんなこと相談したら、こんなこと頼んだらかえって迷惑になってしまうのではないか・・」と遠慮したり、がまんしたりしている人が在宅には多い。このような人達が、年齢層に関係なく、どんどん落ち込んでいっているような気がする。
○「家族がみんなバラバラ」
・家族がそれぞれにイライラしていて、考えていることや、やっていることがバラバラな感じがしている。お互いに気遣い合おうとか、理解しようとか、協力しようとか、そういう気持ちがもてなくなってしまっている。いっそ1泊2日でどこかに出かけていって、今の日常から離れたところで家族みんなでゆっくりできる機会があればいいのに、と思う。
[A地区足湯&サロン]
・A地区のサテライトにて、もともと地区で月1回第3水曜日に実施されていた高齢者向けのサロンを再開。サロンの責任者は副総代。他3名の世話役がサロンの運営をローテーションで実施している。地震の影響で実施できなかったが、10日縲鰀12日の3日間、足湯と共に開催する。以下サロンに来ていた方のコメント。
■70代縲鰀80代の高齢者の声
・従来の1日の生活パターンは、比較的涼しい朝と夜に畑仕事と草刈りなどを行い、午後は一服して昼寝が通常。
・たまたま通りかかったら、サロンをやっていたので立ち寄った。
・昔は女の人もこの辺りの人は土方仕事をやっていた。だから、いつも体を動かすという生活だった。しかし、今の暑さはこたえる。家にいるよりもサロン(集会場)にいた方が涼しい。
・作物を育てる気力が失せてきた。今は収穫時期で茄子もなっているが、採る気が起こらない。
毎日お茶会に来るなんて申し訳ないと思ったが、涼しいので来た。会って話ができてうれしい。
■Cさん(女性)
・家がどうなるかということに不安。全壊ではないが、中途半端な被害で片づけと修理に気力が出ない。建て直すと決めている人もいる。何がどう不安なのかが整理されていない。
[仮設住宅説明会」
■Dさん(男性)
・地震で家が全壊した。家のものは全く持ち出せていない。だから仮設住宅に入るときには、箸の1本から買い揃えなければならない。何十年もかけて整えてきた家財道具を、もとのように買い整えるなんていうことはすぐには無理。全壊したので持っていくものはない。位牌さえも取り出せていない。妻が、嫁入り道具のタンスが惜しいといい続けていたが、諦めるより仕方ないと納得させている。
・業者に頼めば取り出してもらえるのかも知れないが、申し込んでもこの 混みようでは、いつ作業に来てもらえるのか分からない。その目処が立たなければかえってストレスになるので、時期が落ち着くまでは待とうと思っている。12月ぐらいまでには、という長い目でみて、家の片付けやこれからの生活を考えていくという気持ちで今はいる。
・前回の地震の時は、ほとんど家の被害がなかったので、「人ごと」だと捉えていたが、まさか自分がこんな目に遭うとは思わなかった。自然が相手なので怒りのぶつけどころもなく、全てを諦めるところからスタートするしかない。
・介護の必要な高齢の母親がいる。今までは家で週2回デイサービスを使っていたが、今は長岡の施設にショートステイで入っている。仮設で入居できればまた一緒に住むが、ケアプランを週3日ショートステイの利用に切り替えようと思う。狭い風呂では、安全に介護できるか分からないし、そのほうが家族の負担も軽くなる。 本意ではなくとも、今はそれが限界。しょうがないと考えるしかない。
[寄り添いプロジェクトとして実施できればと思うこと(案)」
○基本方針
仮設住宅の引越し等のサポートを行いつつ、在宅被災者を中心に寄り添い活動を検討する。1つの地区におけるお茶会・足湯から始め、地区内の移動などの工夫を凝らし、他の地区へと伝播することを狙う。課題は、そのための人員確保。
○足湯・お茶会サロンの実施
・在宅の方々を中心にして、地区の集会室にて足湯とお茶会を実施する。相手のペースに合わせながら、ゆっくりと関われるきっかけを作る。
○移動足湯・お茶会サロン
・入浴カーなどに足湯セット、お茶セットをつんで、地域に出向いていき、集える拠点をつくる。「わざわざその場所にまで行ってまで・・・遠くていけない・・」という人たちでも参加しやすい雰囲気を作る。
この2つの取り組みを基本にして、現在地域・地元社協さんらと調整していきたいと思います。