宮城県七ヶ浜町報告【第209報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第27号](2015年9月1日~2015年9月30日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯や
日々の活動を通して聴ける住民の声『つぶやき』からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年10月11日で震災から4年7ヶ月が経過しました。

七ヶ浜町では町作りの一環として、住民地区懇談会を地区毎に一回ずつ、地区避難所や公民分館を開催しました。
町から現在の政策を説明、それに対して住民からの意見をもらい、反映させてより良いものにしていくための意見交換会です。。

懇談会の中では、「人口増加/定住化のために空き家を活用したらいいのでは?」、「公営住宅の近くにお店がないので、新規事業
者を誘致したらどうか、又は移動販売車を多くやれればいいのではないか」、「海水浴場のオープンはまだ先なのか」、「賑わいの
場がない。道の駅を作れないか」などなどこれからの七ヶ浜町のために熱心な皆さんの様々な意見が飛び交いました。
しかし、開催時間が平日夜19時からだったせいか若い世代の参加がほとんどありません。
とある参加者からは「これからの七ヶ浜を担う人たちの意見を尊重すべきではないのか、若いお母さん・お父さんと大学生、高校生
くらいを狙ったワークショップを開催すべきだ」ともありました。
一方、町の担当者からは「これから、こういった懇談会を重ねて、皆さんと一緒に町作りをしていきたい」とありました。

住民と行政の恊働とはよく耳にしますが、一部の人たちだけでなく幅広く声を集めることが重要だと思われます。私たちは『会議などの場では言い出せないけど、日常会話で出てくる 「つぶやき」 』を大切にしながらこれからの町作りをサポートし続けていきます。
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〇集会所での足湯は初めてなのよ。
A浜生まれのA浜育ち。今はB浜のみなし仮設アパートに住んでるの。
午前中は公営住宅の説明会だった。幼馴染がこの仮設に住んでいるから寄ったの。
4年半でやっと戻って来れるわー。
(60代:女性)
※みなし仮設住宅にお住まいの方で今年、公営住宅に入られる方
〇町営住宅へ引越し準備をしていたの。量も多いし、重いし2人じゃとても大変。
しかも町営住宅に移ってもトイレやおふろに窓がない。話を聞いてみていると、畳も固いし、本当に暮らしにくい。まだ、住む場所
を見てないからはっきりは分からないがエレベーターはついているらしい。
(60代:女性)
〇菖蒲田の公営住宅には集会所ができるのだけど、そこでも足湯やってもらえたらなと思っています。仮設住宅の集約化が行われる
けど、集約される人たちは自立再建されるされる方が多い。電灯・カーテンを自費で用意できないので移転できない年金暮らしの人
たちもおられる。この間、町長には伝えた。
(70代:男性)
〇隣の人がみんな(仮設を移転をして)いなくなってしまったから、夜1人でいる時、何かあったら大変なんだ。
(70代:女性)
〇足湯は久しぶり、避難所にいた頃はしょっちゅう行ったけど、再建は時間が合わなかった。
10月に(住宅の)鍵が渡されるけど、片付けが全然できていない。片付く気がしない。
11月になるのではないか。休みの日には子どもたちがいるし、そのために連休を 取るのは嫌だ。
引っ越しらしい、引っ越しはしたことがない。
(女性:30代)
〇今日は午前中役場で用事あって、そのまま来たんだ。最近は集会所に行くのが楽しくってね。 やっぱり、家にいると何も生まれな
いね。外に出て人とお話をして、たまに自分の悩みを言って。自分だけで考えててもしゃあないからね。
(女性:60代)
〇災害公営住宅に入る時に提出する書類が字が小さくてよ・・・・ぜんぜん見えないんだ。
なんて書いてあるのかすら分からん。俺みたいな見えないし、書けないしって人のための相談窓口みたいなのはないのかな。
あんたらしか頼む人いないからさ、いつもありがとうな。
(男性:60代)

 

宮城県七ヶ浜町報告【第206報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第26号](2015年8月1日~8月31日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。
七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯や
日々の活動を通して聴ける住民の声『つぶやき』からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年9月11日で震災から4年6ヶ月が経過しました。
復旧から復興へ、そして町作りへと刻々と歩みを進める七ヶ浜町。
震災をきっかけに被災地に引っ越すボランティアさんというテレビ番組を見たけど、七ヶ浜にもそういう人たちいてもいいはずだよなぁ。
七ヶ浜は自然豊かで、雪も少なく、夏も風があって涼しい。住むには最適だよ!」
という声を聴きました。人口流出は他地域と比べれば緩やかではある七ヶ浜町ですが、少子高齢化は止まりません。
又、仕事のメインとなる第一次産業の後継者不足や子育てしやすい環境や福祉事業の充実・改善が必要との声もあります。
現在、地区ごとに分かれ町作りのための住民を交えた意見交換会を役場主催で行うなど復興への街づくりが町の最重要テーマとなっています
街づくりに励む七ヶ浜町のみなさまを、引き続きサポートさせて頂きたいと思っています。

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〇仮設は畳だったけど、県営住宅に移ったら床がフローリングで足が疲れる・・・。
新しい地区に行くから、ご近所さんとの付き合いもこれからしてかないとダメだね。
(30代:女性)


〇熱中症がこの仮設から2人も出たから、体調管理はしっかりしないとね。
仮設は風が抜けなくて暑いんだ。特に台所はモヤモヤする。換気扇回しても変わんないんだわ。
(60代:女性)


〇私、一人で何でもやるのね。家に誰もいないから。
隣り町の病院に行ってるけど、こっからタクシーで片道1800円。往復だと馬鹿になんねっちゃ。お金すぐなくなるのさ。
この前は下痢で大変だった。こっち(仮設)に来てから4回目だ。
しょっちゅうではないけど、やっぱり環境が合わないのかねぇ。公営住宅に移るのは来年1月かなぁ。
(70代:女性)


〇テレビが友達なの(笑)
あと畑でキュウリ、ナス、トマトを作っているの。こんなことも無い限り外に出ないから。こっち(仮設)来てから調子が悪くてね・・・。いろんなところが痛くてね。
浜にいた時(仮設に入る前)はクーラー/扇風機なんてつけたこと無かった。
浜風が入ってくるからね。
(80代:女性)


〇最初は社協さんとか訪問しにきてくれたけど、今はさっぱりだよ。
お客さんも誰も来ないから私から出かけてくんだ。車ないとどこにも行けないけどね。
(60代:女性)
※仮設から引越しされて公営住宅に入居された方


〇お友達が仮設から公営住宅に移ったがこういう機会(足湯)がないとしか集会所に来れなくなってしまったのよ。
あなた方がこうやって足湯をしてにきてくれるとみんなに会えるし、気持ちいい気分にもなれる。いつもありがとうね。
(70代:女性)


〇集会所使う人もどんどん減ってきたな。みんな移転してくんだ。俺も11月には行く。いろいろ世話になったな。
でも、まだ仮設にいっからよ。来月も再来月も来てくれよ。
(80代:男性)

宮城県七ヶ浜町報告【第203報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第25号](2015年7月1日~7月31日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年7月号をお伝えします。
七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯や
日々の活動を通して聴ける住民の声『つぶやき』からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年8月11日で震災から4年5ヶ月が経過しました。
ついに町内最大規模の防災集団移転地でもあり、新しい行政区となる『笹山』地区に家が建ち始め、移転する世帯も出てきました。山を切り崩し造成した高台に在り、菖蒲田浜を見下ろせる景色のいい場所でもあります。
「せまい仮設からやっと我が家に入れる。今度は広いから孫とも一緒に住めるんだ。すごい楽しみだ。」といった期待の声がたくさん聞かれます。

しかし、一足先に引っ越した方からは、
「広い家に住んでみてはなにか落ち着かない時もある。少し慣れるまで時間が掛かるかも」、
「息子たちはいいけど、俺たちは車がないからどこにも行けない。周りに店はないし、家にいるしかない。」
「早く来すぎたかもしれないって思う時もある。友達と会えなくてさびしい。早くみんな引っ越してきてほしい。もうちょっとかな。待ってるよ。」
という声も・・・。

新たな土地で生活をスタートする方、仮設住宅に残り移転を待っている方、まだ先が決まらない方・・・人それぞれ、さまざまな想いを胸に復興へ向かう町民の皆さん。
これからも足湯やその他活動を通して皆さんの想いに寄り添い、共に歩んでいきたいと思います。

高台移転地 笹山地区笹山地区から観る菖蒲田浜

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○俺は足が悪いから足湯に入ると良く眠れるんだ。本当に気持ちがいい。
今、台に家を建てているんだ。こんな不便なところ(仮設)は嫌だよ。
(80代:男性)

 

○今日は漁の仕事がないからねぇ、暇なんだよ。運動不足になっちゃうから畑の手入れをしている。足湯は夫がいつもお世話になっています。足湯に入ると気分が良くなるし、寝やすくなると嬉しがっているんです。震災で何もかも流されてしまったから、だからむしろこう、漁も畑も頑張ろうと思っているんだ。
(80代:女性)

 

○仮設から出て高台に8月に新しい家が建つけど、周りはまだ家建ってない。
移転したら、遊ぶ人がいなくなっちゃうからまだ仮設にいたほうがいい….
(中学生:女の子)

 

○集会所は涼しいけど、仮設は暑い。特に料理の時が暑い。男は良いよね。料理しないから。
「暑い、暑い」と旦那が言うので、いつもケンカになる。仮設も人が少なくなって、戸をあけているから喧嘩が目立つ。
この頃疲れているのは、復興住宅の書類を作っているから、厚さがこんな(約5㎝)くらいある。
10月に入れると言うが詳細はよく分からない。
(60代:女性)

 

○七ヶ浜はいいところだろう?俺らは生まれも育ちも七ヶ浜なんだ。30分で仙台いける、自然は良いしな。
釣りもできるんだ。仕事はないんだけど、それでもここに住んでいたいよ。
(60代:男性)

 

○公営住宅の抽選会終わったよ。3階になった。エレベーターあるから大変じゃないよ。
仮設店舗にいた八百屋さんの新店舗が公営住宅の近くで嬉しい。お散歩がてら遊びに行くようにする。
(70代:女性)

 

○今から(高台移転する)家を建ててもらっている大工さんたちに差し入れ持って行くんだ。
完成したら絶対に遊びに来てね。お世話になったからねぇー。
(60代:女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第202報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第24号](2015年6月1日~6月30日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年6月号をお伝えします。
七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯や
日々の活動を通して聴ける住民の声『つぶやき』からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年7月11日で震災から4年4ヶ月が経過しました。

こちらは少し遅い梅雨入りだったでしょうか?七ヶ浜町も夏に向けてどんどん気温が上がっています。
しかし、浜風があるぶんまったく暑さを苦に感じません。
住みやすい町という点では「海とはじめとする自然が豊か/降雪量が少ない/海産物が美味しい/仙台まで車40分/スポーツ施設が整っている」と挙げたら切がありません。
子どもたちに聞いても「海!浜!」という言葉が一番に返ってくるあたり、本当に身近なものであるんだなぁと感じます。
しかし、残念ながら『海開き』は出来ておりません。土地の嵩上げ/海水浴場の運営・管理などな問題があるなか、大きな防潮堤が着々と作られていきます。
今年と来年で震災前とも震災直後とも風景が一変するであろう七ヶ浜町。
私たちは皆さんの声を聴いて「今とこれから」を考えていきたいと思います。
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〇引っ越しは11月になりそうだなぇ。でもA浜(元住んでいた地区)の公営住宅に行くから寂しくはねんだ。
昨日、引っ越し先の部屋を見てきたんだ。
仲が良くて、一緒の時期に引っ越す予定の友達が体調悪そうでね・・・。早く治るといいなあ。
私は朝と夕方でたくさん歩いているんだよ。だから丈夫なのかねぇ。
(女性:80代)

 

〇最近はねぇ・・・なんかやる気がおきないねぇ。集会所使う人が減ってきたんだ。イベントもないよ。
引越ししていくし、人も減ってくしね。
(女性:70代)

 

○火力発電所の所も震災で全て流されてしまって海になってしまった。すぐ建て直されたから知っている人はあまりいない。
6月にやった『まるごとバーベキュー』は火力発電所で行われていたが、仮設から遠くて行く気にならない。
町で仮設から送迎のバスがあったら良かったね。
(女性:70代)

 

○10月頃に引っ越すの。最近は身体がだるくて、季節の変わり目かな?この間も朝起きてご飯食べて1時頃まで寝てたの。
4年間あっという間だった。無我夢中だった。流されたモノが痛ましい。何も持ち出せなかったの。
引っ越ししたらまた一から人間関係作らなきゃならないね。
(女性:70代)

 

○3月に県営住宅申し込んだけどどうなることやら。
最初の5年くらいは家賃が低く抑えられるみたいだけど、それ以降にガッと上がるらしいです。
(女性:40代)

 

○足湯は足の悪い人にとって、本当に気持ちの良いものなのですごくうれしいんだ。
(男性:80代)

 

○孫が遠くに行って、仮設で俺は一人暮らしだ。普段は家で何もしていない。一人だと何もしたくなくなる。
(男性:80代)

 

○仮設の風呂場は浴槽が深すぎては入れない。毎日シャワー入ってるけど、今はいいさ。冬は寒いよ。
(女性:80歳)

 

○午前中、公営住宅の説明会に行っててね。公営住宅だと庭が無くてさ、ガーデニングとかができねくてさ、ニラとかネギとか植えたいんだけどそれができねーんだわ。
(男性:70代)

 

○A浜の公営住宅に入る予定だが、本当はB浜の公営住宅がいい。あの(A浜)近くは人が亡くなってるから・・・。
逃げる時に(津波に)流される人も見てるから・・・。フラッシュバックしちゃうね。
(女性:50代)

 

宮城県七ヶ浜町報告【第198報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第23号](5月1日~5月31日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年5月号をお伝えします。
七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯や
日々の活動を通して聴ける住民の声『つぶやき』からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年6月11日で震災から4年3ヶ月が経過しました。

日焼け止めクリームが必要なくらいの日差しの強さが続く、梅雨入り前の七ヶ浜町。
『5月・6月でエアコン入れてたら夏はもたない。ただでさえ仮設住宅は暑いのに。』という声も上がるほど仮設住宅で迎える夏は乗り越えるのが大変です。『夏暑く、冬寒い』というプレハブ仮設特有の問題は阪神淡路大震災から多少は改善されているものの、未だ被災住民が悩んでいることの一つです。
更に『夕方以降、出歩くのが恐い。高台へ引っ越した人たちが少しずつ出てきたから、自然と部屋の明かりが少なくなって、仮設全体が暗い。』という今だからこその声も聴こえます。
このように4年間ずっと悩んでいたことに加え、4年目から新しく悩むことも出てきています。
そういった不安や悩みは公営住宅入居してからも出てきます。私たちは住民のみなさんが困ったその時に、相談しやすい良きパートナーでありたいと思っています。これからも皆さんの声に寄り添って…。
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〇先月、階段で転んでしまってね。救急車でそのまま半月くらい入院していたんだ。手術すれば治るんだけど、いろんな事情あって出来ないんだ。この怪我のお蔭で車の運転が出来なくなって仕事も辞めざるを得なかった。リハビリで歩いてるけど杖突くようになって、行動範囲狭くなった。いろいろやりたいことあったけど予定狂ってしまってもうなにもかも嫌だな。
(60代:男性)

 

〇集会所に来てお話することが一番楽しいです。孫の家に行っても、『なんだか邪魔かなー?』って思ったりする。
居座れる場所がないからすぐに仮設に帰ってきちゃう。足湯のみんなが来てくれるのがすごく嬉しい。
(60代:女性)

 

〇私は一人暮らしだからいつも寂しい。特に話すのが好きだからね。だから足湯は毎回来るよ。
今年の11月に完成予定の公営住宅に入るまでここの仮設にいるよ。でも、まだ先のことだからね。引っ越ししないでここに居てもいいだけどね。
(70代:女性)

 

〇今日が足湯って前に聞いたから来たよ。公営住宅はお客来ないからさ、仮設みたいに人がいっぱいいるわけでもないし。
毎月来るからさ、言ってよ。俺はあなたたち(ボランティア)に会いに来るんだからね。
(60代:男性)
※仮設から引っ越しをして公営住宅に移られた方

 

〇この頃、ふと思うよ。震災がなかったらRSYやたくさんのボランティアさんとも出会ってなかったんだよね。そう考えるとなんて云ったらいいのか・・・。震災のおかげって言ったら変だけど本当に感謝しているよ。
地区の体操教室も東京からきたボランティアさんが手伝ってくれたりして、本当に助かってるよ。
(70代:女性)

 

〇公営住宅に入居する場所とか全部決まってるんだけど、まだ引越しはしてない。他のみんなは引っ越してるんだよ。
日照権とかゴミ捨て場とか駐車場とかいろいろ問題はあるんだよね。
(70代:男性)

 

〇引っ越し終わったよ。だいぶ整理ついた。ほとんど業者さんにやってもらったけどね。
仮設とは違って部屋が広くなってお客も呼べるし、楽しいよ。いつでも来なよ?
『この新しい地区にこれから住む』っていうのを身体で慣らさなきゃねー。買物が不便以外であとは大丈夫よ。
(60代:女性)

 

〇おかげさまで地鎮祭が終わったよ。俺ら行くところはA浜とB浜の人が混ざる土地なんだ。知ってる人も多いけど、知らない人も多いな。そこに高台移転する人たちで新しい行政区作るんだ。区長とかまだ決まってないけどな。孫と一緒に住めるんだ。嬉しいよ。
(70代:男性)

 

 

宮城県七ヶ浜町報告【第195報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第22号](2015年4月1日~4月30日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年4月号をお伝えします。
七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯を通して聞ける「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年5月11日で震災から4年2ヶ月が経過しました。4月末には桜が散り、夏へ向かって動き出しています。
GWも観光名所である松島四大観「多門山(たもんざん)」や桜の名所でもあり、展望台もある「君ヶ岡公園」、マリンスポーツのメッカである「小豆浜」 、国際交流イベントがあった「国際村」、漁港やヨットハーバーがあり、太平洋を一望できる「眺洋台」などに町外からの観光客がいらっしゃっていました。
しかし、観光のメインであった「菖蒲田浜海水浴場」 は防潮堤の工事中で、遊泳禁止です。
着々とすすんでいますが、高さも6.8m。長さも約2㎞も有りますので なかなか終わりません。
防潮堤の前に立つと、本当に大きな壁です。
ある町民の方は、「海があるのが七ヶ浜という町だったが、見えなくなってしまった。浜が無くなったわけではないがこれでは七ヶ浜町ではないなぁ。命を守るために必要なことだろうけど、後の世代はどう思うかなぁ」とも話していました。

七ヶ浜町の大切なもの、変えていかなければならないものを町民のみなさんは考えています。
大切な声/想いに寄り添って、これからの七ヶ浜町を一緒に考えていきたいと思います。
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〇公営住宅にこれから移るけどまたみんなバラバラになるから(仮設にいる顔見知りの)ばあちゃんたちの事が心配なんだ。ここ(仮設)だと(近いし)、「よ!」って言えっぺ?これから高台移転地に行くんだけど金の借り方も考えねえと。海岸の前に家持ってたんだけどまさかこんなことになるとはなあー。
(70代:男性)

 

〇今月中に家建て始まって、今年の8月か9月ごろに仮設出るんだ。息子と孫とみんなで住むよ。俺も漁師だったし、息子も孫も漁師だ。俺が若い頃は町で一番税金を納めていたんだぞ、所得税だ。漁は55,56歳ぐらいで辞めた。あとは息子たち任せてる。

(70代:男性)

 

〇今日で(足湯に)来るのが最後なんだ。 引っ越しは5月3日だよ。いつでも遊びに来てよ。
(60代:男性)

 

〇おかげさまで引越ししました。高台移転です。孫らが公営住宅の説明会に行っている。4月16日から鍵もらってた。家賃は5月1日から掛かる。引越し自体はあとになってもいいらしいけどね。友だちとか買物とか考えるとやっぱり仮設にいたころの方が良かったよ。
(60代:女性)

 

〇公営住宅にもう住んでいる人がいたよ。住宅内にある公園にはベンチがなくて人が寄れない。仮設にあるベンチを持って来たらいいのにね。自分の庭にも置いて人が集まれるようにしたい。
(60代:女性)

 

〇公営住宅に入る時には、保証人をたてないといけないが、身内が全員年金暮らしの方がいた。役場も仮設から出て欲しいと思っているから特例も考えているじゃないか?
(60代:女性)

 

〇久しぶりに(商店街や公民館あたり)こっちに来たな。半年前に交通事故で入院したから動けなかった、。今も病院通いだよ。移転して2年間だが、家の片づけ終わってねぇ。
1人でやるのは時間かかるんだよ、透析で週3回病院行かなきゃならない。
七ヶ浜の復興間まだあと4年はかかるかな。浜も堤防工事おわんねぇし、仮設もすぐにはなくなんねぇよなぁ。
(70代:男性)

 

宮城県七ヶ浜町報告【第193報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第21号] (2015年3月1日~3月31日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年3月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年4月11日で震災から4年1ヶ月が経過しました。

「5年目はいったなや、いよいよ引越しだわ。ありがとう。」
ついに仮設から公営住宅の引越しが5月より始まる七ヶ浜町です。
しかし、5団地の内5月に入居できるのは2団地。その他は『年内』となっています。
「今年の年越しは寒い仮設じゃないところがいいね」と話す親子も見かけました。

「本当は家を建てたいけど・・・。そんなお金は流されてしまった・・・」
復興が進むにつれて、個人の復興格差が顕著に見えてきています。
公共の支援だけで補えないところを支えるのがNPOやボランティアです。
「公営住宅に入ったら、仮設みたいに収納棚や神棚をつくらないといけないんだ。
手伝ってくれないか。終わったら一緒にご飯でも食べよう!やっとお客を呼べる広さの家に入るんだからね!」
支援者と被災者といった関係から時を経て、友達付き合いのように接するようになり、このような声もかけてもらっています。
5年目に入ったRSYの東日本大震災支援活動を、頑張る七ヶ浜町のみなさんをこれからも応援してください。

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○入院してたから公営住宅入居の時の提出書類がまだ出来ていない。

入院中は全く情報が入ってこなくて大変だった。
説明会にも出られなかったけど、友だちがいろいろしてくれてなんとかなっている。
(50代:男性)

 

 

○引越はまーだまだ先だ。住宅の説明会もまだまだ。いつから入れるのかな。
一人暮らしは引越し大変だよ。なんかあったら『手伝って』って声かけるからね
(80代:女性)

 

 

○家にいる時は裁縫してんだ。なにもしねぇとボケるからさ。
若い時は漁師だったから全国回ってたんだ。身体悪くしてからはダメだな。
今作ってる(手芸品が出来たら)今度あげるからまた来てな。
(80代:男性)

 

 

○足湯来たの初めてなの。いつもは夫がいて家から出ようとしないから行けなかった。
夫が入院してから三日目。いたら喧嘩するけどいなくなるとさみしいね。
10日に手術するの。夫と息子夫婦と孫の5人で住んでるの。仮設での暮らしは慣れた。
(60代:女性)

 

 

○接骨院行ったら血圧が上200って数字が出たんだ。血圧高くてマッサージしてもらえなかった。右手/右足がしびれがとれねぇ。どうにかしてくれよ。
(60代/男性)

 

 

○避難所で一日2食の生活をしていたから、震災後は昼食抜きの1日2食の身体になった。
震災前は米を炊いていたけど、今は出来合いのものをコンビニで買っている。
(50代:男性)

 

 

○浜のお茶会はいつもあんな感じだよ。みんな楽しい感じで。また遊びに来てよね。
(70代:女性)
※同じ部落の人たちだけで集まるお茶会が集会所で開催されている。

 

 

○歳を取るにつれてどんどん身体が悪くなっていく。最近は白内障と緑内障と医者に言われた。いつも集会所に集まってみんなとおしゃべりするのがとても楽しみ。
こうして学生さんたちが来てマッサージしてくれるのが本当にありがたい。
(70代:女性)

 

 

 

○3月11日はまた雪降ったね。あの時も降ってたんだよ。
みんなして今、笑ってっけど大変だったんだからなぁ。
(80代:女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第191報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第20号] (2015年2月1日~2月28日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年2月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年3月11日で震災から4年が経過しました。

「いろいろ思い出す時期だが、まだまだだ。テレビで『神戸は20年経ってまだ復興していない』と言ってた。
東北は何年かかるか分からんな。でも、前向いてやってくしかねんだ。まずは今年に高台移転して家を建てて仮設を出てからだな。」
「公営住宅で部屋決まった。でも、アパート暮らしみたいなもんだからなぁ。前みたいな生活じゃないからどうなるやら・・・。」
「震災から4年でここまでやってこれたのも応援してくれる人がいてくれたからだ。みんなの気持ちを無駄にしないようにこれから頑張っていきたい」

故人を想う/家族・友人間の絆を確かめる/再起を誓う/これからを考える・・・人それぞれ、様々な想いを胸に『3.11』を迎えます。
この日から『震災から5年目』という言葉が出てきます。その言葉は時に住民の皆さんに重くのしかかります。
『5年目だからもういいだろう』と云うことはありません。
1年目も5年目も、いままでもこれからも支援の在り方は変わりません。
住民の声である『つぶやき』を元に、被災を受けた皆さんのためにこれから考えていきます。

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○2月頭に大雪が降ったけど風除室大丈夫だったよ!完璧!直してくれてありがとうね!
(70代:女性)

 

○公営住宅の入居者説明会に行ってきたわ。別の地区の人も結構いるみたいでちょっと不安だけど、全く知らない人じゃないし大丈夫かな。
集会所ではイベントとかあるんだろうか?あったらいいなぁ。
(70代:女性)
※震災前の地区単位で高台移転が行われるが、この方が入居する公営住宅のみ様々な地区の住民が入り混じる

 

○来月の頭に高台移転地で友達が自宅兼店舗でお店をオープンする。その人の夢だったんだよ。
自分のことのように嬉しい。
(40代:男性)

 

○3月って言ったら、桜とか花見ってイメージなのに。今は震災。暗いイメージが残ってしまった。
私は仮設暮らしだけど、そんなかわいそうな目でずっと見られたくない。普通に今は元気だ。
みんなで笑って花見がしたいね。
(60代:女性)

 

○2月は町のイベントもないし、町自体が静かだわ。今年はそんなに雪降らなかったね。
2011年や2012年はものすごい雪が降ったんだよ。あれはもう七ヶ浜じゃないくらいの量だったね。震災で天候もおかしくなったと思った。
(60代:女性)

 

○もうすぐ下の子が小学生になる。時が経つのはすごく早い。あっというまだよ。
ここ3年で私自身10歳以上年とった気がする。でも震災後はお兄ちゃんがかなり逞しくなった。
家でも妹の面倒ちゃんと見てくれる。頼もしいよ。
(30代:女性)

 

○マスコミは年明けからいきなり『震災だ。3月11日だ。』と騒ぎ立てる。
そしたら今度は何年後か知らないオリンピックの話題も出てきた。
うんざりしたけど、これに関してはもうどうにでもして思った。本当に私たちのことを見ているのか。
(60代:女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第188報】月刊つぶやき@七ヶ浜 [第19号](2015年1月1日~1月31日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年1月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年1月11日で震災から3年と10ヵ月が経過しました。震災から3回目の年越しとなりました。
先月号でもお伝えしたように、今年は防災集団移転・災害公営住宅入居が本格的に始まり七ヶ浜町にとって大きく動く年になりそうです。
しかし、全員が移転するわけではなく、新居も順番に建てられるので来年の年越しも仮設住宅で迎えるという方も少なくありません。
「広島の公営住宅が出来て入居始まってるってニュースで見た。俺たちは3年以上待ってんだけどなぁ・・・いつになるのやら」とお話される方も。
「次は『仮設』じゃないから慎重に決めなきゃならないんだ」と、土地が整備されても資金面や世帯分離等で悩む方々は多く、
高台移転か公営住宅入居かどちらにするかまだ迷ってる方もたくさんいらっしゃいます。
足湯のつぶやきでも出てきている移転に際しての問題・不安の解決にボランティアの力が必要になるときがいずれ来ます。
「利用者が話したいことを話して、気持ちを整理してもらい、和らいでもらう」そんな足湯の基本スタイルで寄り添っていきたいと思います。
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〇仮設暮らしは良いものなにもないね。空気は悪いし全然動かないもんだから、
身体が悪くなっていく一方だよ。シミも仮設で暮らすようになってからたくさん出てきてしまったよ。
(女性:80代)

 

 

〇正月もみんなとお茶してたの。私津波に流されたんだけど、誰に助けられたか分からなかった。
避難所に行ったらみんないて安心したの。今思えば死ねばよかったと思うけどね。
若い人たちが来てくれると元気もらえるよ。
私も年だから何も恩返しできないけど。今日足湯が初めてだったんだけど、次も宜しくね。
(女性:80代)

 

 

〇(今日は足湯やったから)今日はもうお風呂はいんねぇでいいな。
家だと(浴槽が)せまくて足も伸ばさんねぇ。だから入んねほうが良いんだ。
右足にしもやけできたんだよ。かゆくてひでえんだ。手術したからかな、初めてできたんだわ。
(女性:70代)

 

 

〇(ボランティアの顔を見て)見たことあるなー。きずなハウスにいなかった?集会所と違ってあそこは暖かくていいね。
(男性:70代)

 

 

〇3月が近づくとまたテレビで震災特集が組まれるんだよね。この時だけね。
なぜか今になって津波の映像とか嫌で見れなくなったんだ。前は大丈夫だったのに。
(女性:40代)

 

 

〇仮設から出たらイベントのチラシも入ってこなくなっちゃった。
でも、この前はボランティアさんが直接連絡くれたからイベントに参加できて良かった。
(女性:70代)
※自立再建されて仮設住宅を出られた方

 

 

〇今年の海苔もいい感じだ。海苔漁師には正月休みはない、4月までずっと忙しいぞ。海苔欲しい時言ってくれ!いい海苔売るよ!
(男性:70代)
※七ヶ浜町の海苔は皇室献上品に選ばれてます

 

 

〇今年は雪あんまり降らないな。毎年一回か二回大雪降るんだよね。
前に補修してもらった玄関(風除室)は雨漏れ無くていい感じだよ。ありがとうね。
(男性:60代)

宮城県七ヶ浜町報告【第184報】月刊つぶやき@七ヶ浜 [第18号](2014年12月1日~12月31日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年12月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。

2014年12月11日で震災から3年と10ヵ月が経過しました。
「仮設での年越しはこれで最後だ、来年は高台(移転した新居)で年越しだ。」
「3年以上お世話になった仮設だ。大掃除大変だわ、でも感謝の気持ちでやるよ」
いよいよ2015年は七ヶ浜町も仮設住宅から移転する人が増えていきます。

『集合住宅での生活はしたことがない』、『隣りの人は知らない』、『前住んでいたところよりも狭い』
など様々な理由から、入居初期はとても不安だったという仮設住宅での生活も区切りが見え、生活を振り返る人もいます。
「最初は大変だったなぁ。でも住めば都。寒かったし、狭かったけどいいところだったよ。」
「仮設住宅入居の際にボランティアさんたちに作ってもらった『手作り表札』は新しい家に持っていくよ。あれは宝物だからね。」
「仮設住宅での生活で出来た思い出の品(集会所でつくったもの等)や出来た友だちは一生もんだと思うよ」
という仮設住宅の生活への感謝の声も聴いています。
しかし、まだ仮設住宅での生活は続いていきます。引っ越しの時期は人それぞれですので、残る人もいます。
「友だちがさらに少なくなってさびしくなる」という声に寄り添い、足湯の活動はこれからも続けていきます。

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〇寒いからか、身体がなかなか動かなくなってきたよ。足湯は体がほぐれていいねぇ。
午後はずっとポカポカするんだぁ。
(女性:60代)

 

〇足湯が気持ちよい季節だね。学生さん(ボランティア)が孫みたいでかわいいよ。
お食事交流会も楽しいよ。できること言ってね、こっちもやるからさ。
(女性:80代)

 

〇家が流されてから、私とお父さん(旦那)はここ(仮設)に住んでるけど、
息子たちは隣町にマンションを買ってそこに住んでるんだ。お正月はそこで過ごすんだ。
昔は大正琴やってたんだけど、無くなってしまってやりたいんだけど、高いんだよねぇ。
(女性:80代)

 

〇(足湯をやっている)土日はいつも息子が病院や買い物に連れてってくれるからこれなかったの。
平日は集会所に来るんだけどね。平日の昼は暇だから編み物している。
お料理好きなんだけどする機会がないのよ。
(女性:70代)

 

〇震災で全財産もってかれちゃったよ。頭が真っ白になった。
今の若者はすごいよ、(みんなが頑張ってるのを見ると)勇気と希望が持てた。
不安だったけど、ここ(仮設)に来て楽しかった。若者が来てくれて、救われた。
(女性:60代)

 

〇集会所にはあんまり来ないなぁ。足湯の時くらいだよ。
元住んでた部落が違うから、友達が少なくて、話せそうな人としか話さねぇのさ。
(女性:60代)

 

〇最近は暇過ぎてねぇ。暇過ぎて時間あるからあなたにあげるよ。
図書館に行って本をたくさん借りて読むんだけど、肩が上がらなくなって来て大変だ。
(机で本を読んでみたらどうですか?の問いに対し)仮設は狭くて机置くスペースもないんだ。4畳半で5人だからさ。
(女性:80代)
※来月仮設住宅から、引っ越す方

 

〇来月引っ越すよ。今までありがとうね。集会所にはまた遊びに行きたいけど、車がないから行けないわ。
(女性:60代)

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