「心のかけ橋」が世界中に広がりますように

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今日は、西田公夫記念誌「ありがとう うれしかった」の出版記念パーティーでした。

昨日、事務所に主役の本が届き、私は一足早く中身を見たわけですが、

初めて本を手にしたときは、感激もひとしおでした。

 

パーティーには、総勢24人の方々がお集まり下さいました。

お一人お一人からメッセージを頂く中で、

公夫さんの存在の大きさや、

出会いを通じてみんながお互いに支えられ、

学び合ってきた10年間だったんだということを改めて実感しました。

 

公夫さんの、「自分の生きた証を残したい」という想いからつながった

「ありがとう うれしかった」の出版でしたが、

今日おいで頂いた方、そして、製作にあたり今まで惜しみないご協力を頂いてきた方々、

それぞれの「生」の中に、その証は確かに息づいているんだと感じました。

そして、それはきっとこれからも、続いていくことなのでしょうね。

 

私もこれから本を読み返して、公夫さんの人生を再び辿りながら、

自分なりの表現で、沢山の人たちにその「証」を伝えていければと思っています。

 

公夫さんの奥様・敏子さんから、

「今日は本当に嬉しかった。みんなで作った『心のかけ橋』が、もっともっと世界中に広がっていくことを心から願っています」

という素敵なメッセージを頂きました。

 

この本は、事務所で閲覧することができますので、ご興味のある方はぜひご覧下さい。

また、今日の様子は、読売新聞と毎日新聞に、今日明日中に掲載される予定だそうです。

新聞に何度も投稿を続けていた公夫さんだから、

きっと天国で、喜んで見てくれるのだろうと思います。

 

ご協力頂いた全ての皆様に、心から感謝致します。

本当にありがとうございました。

 

 

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心のかけ箸

 

 

kokoronokakehashi.JPG5月11日、西田公夫さん記念誌出版記念パーティーを行います。

当日は、公夫さんの奥様はじめ、ゆかりのある方々が総勢20名程集まる予定です。

出会った時は大学生だった子達も、今や母親に。子連れで参加してくれる方もいます。

公夫さんは、私達のこと「孫」と言ってくれていたから、「ひ孫」に当たるわけですね。

 

公夫さんは皆さんとの関わりが生きる支えとなっていました。

その想いを絵手紙に託して、毎月毎月私達に送ってくださっていました。

 

その絵手紙が、私達と公夫さんを結ぶ「心の架け橋」となっていました。

だから、公夫さん亡き後も、いつまでもこのつながりが続いていきますようにと願いを込めて、

「橋」を「箸」にかえて、

「心のかけ箸」として、お箸のセットを皆さんに贈ることにしました。

 

ちなみにお箸入れは、横浜市戸塚区にあるハンディキャップある方の作業所の製品です。

すべて手作り。素敵でしょ?ご興味のある方は、施設のブログをどうぞ。

地域作業所第2しもごう

http://smg2nd.blog.so-net.ne.jp/

 

shimogoukabann.JPGオーダーメイドでいろんなものを作ってくれます。私は、今までに名刺入れ、キーホルダー、パソコンバッグ、カード入れ、・・・色々と作ってもらいました。どれも全部気に入っていて毎日使い続けているので、ちょっとくたびれてきたかな・・。でもいい味出てます。

 

公夫さんの想いものせて、

みんな、喜んでくれるといいな~。

 

西田公夫さん記念誌「ありがとう うれしかった」がもうすぐ完成!

みなさんこんにちは。

以前からブログでも紹介しておりましたが、13年前の阪神・淡路大震災で、一時的に愛知に県外避難されていた西田公夫さんの記念誌がもうすぐ完成します。

 

公夫さんとは、私が大学生の時に出会い、10年ぐらいのお付き合いになります。

 

 その間、県外避難者としての苦悩や、震災をきっかけにできた新たな出会いの喜びを、新聞や雑誌に意欲的に投稿されていらっしゃいました。

 

 神戸に戻られてからも、絵手紙を通して交流は続いていましたが、昨年6月、肺気腫の悪化により帰らぬ人となりました。

 

 数年前から公夫さんが「自分の生きた証を残したい」とおっしゃられ、私たちに今まで書き溜めていた大切な手記を託してくださっていました。公夫さんが実際に手にとってご覧になるという願いは果たされませんでしたが、ようやく形となり、今まで公夫さんとゆかりのある方々にお届けすることができそうです。

あるある37号発送作業

こんにちは。
暖かくなってきました!夏が来そうな勢いです。4月25日に事務所でRSY発行の広報誌あるあるの発送作業が行われました。RSYの会員さんをを始め、名城大学の学生さん3人や市役所の方、名古屋ボラコの方々が入れ替わり立ち代わり、お手伝いしていただきました。皆さんの協力で5時間ほどで終了しました。皆さんの協力があるからこそRSYの沢山の活動ができることに感謝です。ありがとうございます。次号の5月号あるあるもお楽しみに~☆
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清野静香さん送別会

18日に4年間RSYに勤務された清ちゃんこと清野静香さんの送別会がありました。(清野さんは3月で退職されました。)30人ほど集まる盛大な会となり、清野さんは沢山の方に愛されていているんだなぁって思いました。初めて、清野さんに会う方もいました(笑)RSYスタッフが制作したスライドショーを見ながら清野さんとの思い出を振り返りました。清野さんが最後、皆さんに向けてメッセージをしてくれたときに1人ひとりに感謝の気持ちを伝えていて、素晴らしいと思いました。1人ひとりとの思い出を言えるのはすごいと思いました。
涙もろい私は、皆さんの泣いている姿を見て、感動して泣いてしまいました。(照)

清野さんには沢山のことを教わり、RSYにとって重要な方でした。また機会があったら、名古屋に来ていただき、ご実家の方にも遊びに行きたいです。

清野さん今までありがとうございました。
《次回のあるある5月号に清野さんからのメッセージが載っているので是非見てください。》
新旧のスタッフメンバー☆

おしゃべり食堂

こんにちは。春も本番で暖かくなってきました♪
4月11日(金)にRSYの事務所でRSYカフェ改め『RSYおしゃべり食堂』が開かれました。
桃の花も届きパッと明るい雰囲気で、楽しい時間を過ごしました。
当初は、RSYカフェということで、コーヒーとお茶菓子でカフェのようなイメージでいましたが、田口さんと北川さんが沢山のお料理を用意してくださったおかげで、食堂のようになりました。
参加者は10人で談笑しながら、笑顔があふれる会になりました。

会食後は、《ボタの話》の紙芝居を見ました。初めて見た方々が沢山いてとても好評でした。
今後の予定などについても話し合い、多数決の結果、美味しいお料理が食べられるということで、RSYカフェ改め『RSYおしゃべり食堂~腹ペコさん集まって~!~』という名前に決まり、来月も開かれることが決まりました。次回は5月16日(金)18時30分からです。
とても楽しい会になりますので是非みなさんもお出かけください♪

ちなみに桃の花は昨年の11月に刈羽村への復興支援として行った「せともの市」においでいただいた方よりお礼として桃の花が届きました。添えられたお手紙には一緒に桃畑を守ってきたご主人が震災後に病気で亡くなられたとの事で気落ちされていた様子もありました。しかし、ひとりでも桃畑を続けていきたいとのことで、今年収穫予定の畑から桃の花をおすそ分けいただきました♪

安城防災訓練

松田です。
どうやら、能登の寒さにまだ体が適応できていないようで、穴水に行くと風邪をもらってくるということがわかってきました。
寒い寒いと言ってはいても、もうすぐ春の訪れですね。去年の春は、京都と名古屋のどちらで桜の季節を迎えたのかも覚えていません。今年こそは、名古屋の桜をゆっくりと楽しみたいものです。名古屋のみなさま、名所、隠れた名所を教えてくださいねー。
最近の話題を一つ。
2月17日、安城市で高層マンション対応の防災訓練が開かれました。マンション特有の「避難はしご」「エレベーター停止」「ベランダ仕切り破り」などの不安を実際にやってみよう!という趣旨で開かれました。
あなたは、子どもを抱っこしたまま避難はしごを降りられますか?マンション防災訓練は、どのマンションでもできないことではありません。一度、住民の皆さんで話し合ってみてはいかがでしょうか。
この訓練参加者の生の感想を聞きたい方は、ぜひ3月16日の報告会(安城市市民会館)へお越しください。

阪神・淡路大震災から13年

清野です。
昨日、阪神・淡路大震災から13年目を迎えました。
名古屋からは、RSYスタッフほかボランティアの方々で、神戸を訪問しました。
震つな神戸事務局のある被災地NGO恊働センターの慰霊観音様の前で震災と同時刻に黙祷をささげました。僧侶でもある栗田は、読経を行い、私たちは亡くなられた方々への追悼の思いを新たにしました。080117kobe2.JPG
毎年、恊働センターでは、当時神戸で活動した震災ボランティアや防災関係者が集い、温かいぜんざいをいただきながら、当時の話や近況などの話題に花を咲かせ、再会を喜びます。
さらに今年は、能登や中越から住民の方々が、恊働センターを訪問され、観音様を参拝されました。その後、追悼行事や仮設住宅などを訪問され神戸の住民の方々と交流をはかったようです。
夜には、竹下景子さんが10年前から続けておられる追悼行事である詩の朗読会に参加しました。
会には、以前愛知県に県外避難しておられ、現在は神戸市内の復興住宅にお住まいの西田敏子さんも来てくださいました。朗読会が始まる前には、特別に楽屋へ通していただき、竹下景子さんと少しお話をすることができました。気さくにお話をしてくださる竹下さんに一同感激でした。

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新春のご挨拶

少し遅めですが、みなさまあけましておめでとうございます。
本年もレスキューストックヤードとこのブログをよろしくお願いいたします。
(と言っても許されるくらいの更新を目指します。)
昨年は、大きな地震が二つも起きてしまいました。
被災地はどちらも寒さ厳しい土地柄です。もともと、雪や寒さには強い方々とは思いますが、それでも被災者のみなさまがどう過ごされているのか案じてしまいます。
3月の末に、能登は地震から一周年を迎え、同じ時期に刈羽村でも催物が、そして2004年中越地震のときからRSYが支援を続けてきた田麦山の小学校の閉校式が相次いで開かれます。この時期はスタッフ総出で今まで地震を通じご縁ができた方々のもとへ向かいます。できる限りお世話になった方々皆さんに会えるようにスケジュールを組みますが、それでも限界があり、3人が3つずつ体を持っていればいいのに、と思います。
時間的限界、肉体的限界、能力的限界、様々な限界をRSYに来てからというものつくづく思い知らされましたが、人間の歴史は限界を感じて創意工夫を生んできたという過程の繰り返しですからね・・・。ありがたいことです。さて、

  • マンション・ママ
  • 自主防災会虎の巻
  • 診断シート・水害版
  • ボタ

これが、今私に創意工夫が求められているものたち(今年度の担当事業でーす)。こんなに生み出せませーん。この言葉にピンときた方がいらしたら、ぜひアイデアをそっと耳打ちしにきてください。
と、あっさり限界に負けてみるまつだでした。私のことも、今年もよろしくお願いします。

すごい会話

お昼を買いに出たお惣菜屋さんにて。
「わたしゃ今日90歳になったわ。」
                  「まあ縲怩ィ元気なことで」
「奥さまおいくつになりやさった?」
                  「80歳ですわ」
「あんたさん、まだ80歳かね!?」
                  「私も90まで生きてみたいです」
「いやいや、90といえば100まであと十年。
百まで生きたらかなわんわ。長すぎるわ縲怐B」
聞いて笑っちゃったけど、腰の曲がったご両人にはキリン女が
笑ってたのは見えなかったはず。
仕事と全然関係なくてすみません。
思わずおばあちゃん長生きしてねー、と心の中でつぶやいた、まつだでした。